今日は三連休最後の休日だが”ハッピー.マンデイ”ではない。れっきとした国が定めた「建国記念の日」の祝日である。しかし「建国記念の日」がどういう日なのか知っている日本人はどれだけいるだろうか?記紀によれば紀元前660年、奈良県の橿原宮で初代神武天皇が即位した日である。神武天皇は高天原(宮崎県)に降臨したニギニギノ命の曾孫であるという神話を戦前僕らは学校で学んだ。そして「建国記念の日」は「紀元節」と呼ばれ、この日には学校で祝典があり「紀元節の歌」を歌った。
♯「紀元節の歌」(作詞高崎正風 作曲伊沢修二)
雲にそびゆる高千穂の 高根おろしに草も木も
なびきふしけん大御世の 仰ぐ今日こそ楽しけれ
戦後「紀元節」は連合軍によって天皇制復活につながるとして廃止され、学校でも神話は一切禁止された。2月11日が「建国記念の日」と名前を変えて祝日になったのは1967年で”建国をしのび、国を愛する心を養う”(祝日法)ということであった。しかし、一部の市民活動家から建国記念日は国家主義の復活、戦争を美化するだと反対、政府が後援して開催されていた「建国記念の日」を祝う式典も2005年以降中止されている。つまり政府主催の式典はないのである。
毎年8月17日、僕は招かれて東京のインドネシア大使館大使公邸で開催される独立記念日式典に出席しているが、羨ましき限りである。国旗掲揚、国歌斉唱に始まって1945年8月17日の独立宣言日を模した式典には在京のインドネシア人が全員参加する。そして式典の後には大使を中心に会食し、時にはゲームを楽しんだりする。戦前の「紀元節」でも子供たちにお祝いの紅白の饅頭や鳥の子餅が配られた。たとえ神話であっても建国の歴史があり、綿々とそれが続いている国は誇りである。国が定めた建国記念日を国が主催しないのは何故なのか。不思議である。
♯「紀元節の歌」(作詞高崎正風 作曲伊沢修二)
雲にそびゆる高千穂の 高根おろしに草も木も
なびきふしけん大御世の 仰ぐ今日こそ楽しけれ
戦後「紀元節」は連合軍によって天皇制復活につながるとして廃止され、学校でも神話は一切禁止された。2月11日が「建国記念の日」と名前を変えて祝日になったのは1967年で”建国をしのび、国を愛する心を養う”(祝日法)ということであった。しかし、一部の市民活動家から建国記念日は国家主義の復活、戦争を美化するだと反対、政府が後援して開催されていた「建国記念の日」を祝う式典も2005年以降中止されている。つまり政府主催の式典はないのである。
毎年8月17日、僕は招かれて東京のインドネシア大使館大使公邸で開催される独立記念日式典に出席しているが、羨ましき限りである。国旗掲揚、国歌斉唱に始まって1945年8月17日の独立宣言日を模した式典には在京のインドネシア人が全員参加する。そして式典の後には大使を中心に会食し、時にはゲームを楽しんだりする。戦前の「紀元節」でも子供たちにお祝いの紅白の饅頭や鳥の子餅が配られた。たとえ神話であっても建国の歴史があり、綿々とそれが続いている国は誇りである。国が定めた建国記念日を国が主催しないのは何故なのか。不思議である。
夏の花火大会は日本の風物詩ですが、建国記念日にも、<建国花火の祝祭>を全国で開催してはどうか?
世界の国々の建国記念日の三分の二は宗主国の独立を達成した日です。わが国のような綿々とした歴史を誇りにした記念日は少ないのではないでしょうか。それも万世一系の天皇家を中心にした歴史です。確かに戦時中の一時期、神がかった行き過ぎもありましたが、、国民をあげて紀元節を祝ったものです。折角、敗戦から40年すぎ、建国記念日がない反省から「建国記念の日」を制定しました。それなのに一部の左翼の
反対から、この日が単なる休日にすぎないのは残念です。日本会議を中心に全国的に各地で祝典が行われていますが、国民あげてお祝いにはなっていません。
バブル時代にワークフォーリック(仕事中毒)への批判から国民祝日は世界に比べて沢山あります。建国記念日ぐらい一日、国を思う式典があってもよいと思います。
一度機会があったら8月17日のインドネシア独立記念式典にご参加ください。戦争が終わっても日本の軍政の影響下での独立宣言日を摸した式典です。戦前の日本の紀元節をしる日本人は、懐かしさから驚き喜びます。植民地国にとって宗主国からの独立がいかに嬉しかったのか式典に凝結しています。
戦前の形で建国を祝えといっても無理です。ご提案の花火大会はよいですね。要はわが国の歴史を日本人一人一人が知り、それを誇りに思う雰囲気のお祭りにすることです。
祝日でありまず国旗「日の丸の旗」の掲揚を地方公共事務所・学校・国民が忘れている。 また、マスコミーテレビ・新聞(休館の関係もあるのか)等で建国記念日に関する報道記事がない。 日本国が建国記念日を無視ではこの祝日の目的でない。 このことを強調すると右寄りと非難されるでしょうが、どこの独立国でも国家事業として行っている。 まして日の丸掲揚、オリンピックのメダル貰った時の旗と勘違いしているのでは。これは
最近のマスコミの取り組みにも問題があるのでは。 国旗「日の丸」が問題であればなぜそれを取り上げないのか?。。。米国でも、中国でも、
ロシアでも堂々と国旗をいろんな面で出している。 何故、国旗「日の丸」が掲揚されていないか? 理解に苦しんでます。 みなさんこの意見どう思われますか?
やはり戦後進駐軍の命令で国旗掲揚、国歌斉唱が禁止されたことが、依然尾を引いているのでしょうね。先年台湾を訪れた際、国旗がメイン通りに並んで飾られているのに感激しました。集合住宅の多い都会では、物理的に国旗は飾るのは難しいですが、官公庁、学校は掲揚は義務づけるべきです。国旗がどこで売っているのかわからない国も少ないのでは。国旗のミニチュアを作って学校で配ったらどうでしょうか。
すべての学校で、「国家斉唱・国旗掲揚・愛国心の宣誓」を行う普通の国にしなければ、ならないと思います。
敗戦直後、マッカーサーの一番の狙いは、第1次世界大戦で敗けたドイツが、その後、第2次世界大戦で、再度、英米が報復された歴史を念頭に、日本が二度と米国に報復戦争をしかけないように「国家意識を失わせる」あらゆる手段・施策を日本に強制することだったと思います。
米国の小学校では、朝登校するとまず、国家に対する忠誠を誓う宣言を全員で唱えます。次に、美しいアメリカを讃える歌を歌います。マッカーサーは、意図的に、米国で行っているこの愛国的な習慣を、日本の学校教育では、絶対に実行されないように禁止令を出し、また、GHQはメディア報道の検閲(新聞、ラジオ、映画、雑誌等に対しての言論統制)を行い、国家意識を消滅させました(戦前のように伏字ではなく、報道機関が自己規制をかけて、まったく報道させない方式の検閲を行った)
次に、GHQは、日教組が、ソ連のコミンテルン1932テーゼ=反日・自虐史観に洗脳されているのを利用して、学校教育の現場で、国家意識を高める活動を封じ込める役割を担わせたのだと思います。
米国は、国際法違反かつ人道主義違反である「原爆や空襲などの戦争犯罪」を行ったにもかかわらず、
日本では、
1951年4月16日、マ元帥に対して、衆参議会は「マ元帥に対する感謝決議」を行い、大手新聞社も、、「感謝」報道一色。
1964年12月7日、原爆投下と東京空襲を指揮命令したルメイ元中佐(将軍)に、勲一等旭日大綬章を付与(佐藤栄作内閣で閣議決定)
・・・これほどひどい、反日自虐史観に洗脳された事態をみても、日本人が、GHQにより、戦後の自虐史観に洗脳された「異常性」が見てとれます。
マクナマラ元米国国防省長官が85歳になっときの証言:『私は、東京大空襲で如何に効率的に日本人を殺戮できるかを仲間とともに研究した。その結果、一晩で子供をふくむ十万人を殺した。・・・原爆投下を許可した好戦的性格の上官ルメイは、「負ければ、戦争犯罪人になる」と言ったが、・・・勝てば許されるのか?・・・』
戦争を実際に体験した世代は、日本人全体の一割になったそうです。広島、長崎の原爆の悲劇はかろうじて国民の記憶の中にありますが、数百回にわたって日本各地に対して行われた空襲や艦砲射撃は年とともに風化してきています。先日、わが町の空襲について調べたとき、米国の空襲が、マクナマラの言うように効率的な無差別な殺戮であったことが改めて知らされました。
従軍世代につぐ僕ら昭和世代は、もう一度機会をとらえ、戦争が”従軍慰安婦”ではなかったことを次世代に伝える義務があると思います。さもなければ300万の英霊が浮かばれません。