「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

          敗戦の年を偲んで献杯

2010-08-30 05:15:13 | Weblog
昨日、母方の本家の当主に請われ従兄の嫁の一周忌の精進落としの場で献杯の音頭を
とらされた。都会では年々、親類関係のつきあいが稀薄になってきており、周忌の法要に
遠い親戚を招くことは少なくなってきた。でも、江戸時代まで遡れる旧家である母方の本家
では、これをきちんと守っている。

わが家は戦争中、強制疎開で家を壊されるまで、母親の実家の敷地内に住んでいた。東京
23区でも戦前は、旧家は敷地が広く、その敷地内に一族親類が住んでいるケースは珍しく
なかった。わが家も本家から100平方㍍ほど土地を借り、亡父が二階建ての家をここに建てて
いた。

庭の中に池があり、鬱蒼と木が茂っていた本家の家も昭和20年3月10日の東京大空襲のあと
近くに軍需工場があったため、1週間以内に立ち退き命令がでた。本家には元治元年生まれ
の僕の祖母もまだ健在だったが、一家をあげて栃木に疎開した。従兄夫妻は仕事の関係で世
田谷の郊外へ引っ越したが、その直後に明治生まれの従兄にまで再度の応召令状がきた。

見知らぬ土地での疎開生活が影響したのか祖母は敗戦直後の9月1日なくなった。伯父も身体
を壊し12月初め東京へ搬送されてきて翌21年1月死亡した。この激動の1年、従兄の嫁は5人の
子供をかかえ、従兄の出征中の留守を守りながら、疎開先で大変苦労された。あの当時は日本
人だれもがが、苦労した時代だったが、僕は故人への献杯に当り、改めて敗戦の年の一家の苦
労話に触れた。(写真は法要のあった古刹に残る江戸初期の石仏)

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2 コメント

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すごいですね (chobimame)
2010-08-30 12:38:06
東京在中の人は大半が地方出身です。その中でご自分のルーツが確認出来ているのは本当にすごいと思います。思い出話しなど、一晩あっても語り尽くせないでしょうね。終戦の混乱した時代に、家を守り、経済復興まで果たした世代には頭が下がります。これで国がもっと大事にしてくれたら良いのですよね。
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戦争の悲惨 (kakek)
2010-08-30 14:39:29
chobimame さん
戦争は悲惨です。暑い中、寺の近くの墓地に行き住職の読経の間、墓地内の墓碑を見てあるくと、昭和19年、20年、21年に亡くなっている方が非常に多いのです。老人、病人、幼児など弱者は過酷に耐えられなかったのですね。母方の宗派は天台宗ですが、老妻の実家は浄土真宗です。いわゆる門徒は”ものしらず”と他宗派から悪口いわれていますが、すべて儀式は簡略で年回忌も、いつまでも長くやらないみたいですね。どちらがよいか解りませんが、親類同士の親睦を深めるには意味があります。
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