「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

カズオ.イシグロ氏と幼児の記憶

2017-10-08 05:56:54 | 2012・1・1

今年のノーベル文学賞作家カズオ.イシグロ氏(62)の生きざまに興味を持った。イシグロ氏は英国在住の日系の作家である。1954年(昭和29年)生まれで、59年、5歳の時、海洋学者の父親のイギリス転勤で渡英し、以来、英国で教育を受け、87年英国に帰化された方だ。イシグロ氏はノーベル賞受賞に当たり”自分はイギリス育ちだが、物の見方、芸術的感性は日本の影響をけている”と語っているが、僕が興味を持ったのは、氏の5歳までの日本での幼児体験である。

ノーべル賞作家と比べるのは僭越もいいところだが、僕は普段から人生の記憶がいつごろから始まるのか関心を持っていた。僕は昭和6年2月生まれだが、5歳の時の2.26事件の大雪の日、幼稚園横の坂道を滑った記憶は残ってる。父が残してくれた絵(写真)の中には僕が10年7月、4歳5か月の時に描いた幼稚園のプールがある。このプールで泳いだのも僕は覚えている。

2006年6月号の「文学界」にイシグロ氏のインタービュ記事が載っており、氏が幼児期育った長崎の事も書いてある。イシグロ氏が育ったのは昭和30年代の初めである。当時の長崎が幼児だった氏の目にどう映り、残像として残っているのだろうか。僕の幼稚園の自由画帳をみると、ほとんどどの絵にも”お日様”と軍艦が描かれ時代を反映している。イシグロ氏の作品にも昭和30年代の残映があり残されているのだろうか。

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3 コメント

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日本古典の美意識を継承するカズオ・イシグロ (lordyupa)
2017-10-10 19:50:02
ブロッカー賞を授与された後に読んだのですが、小説「日の名残り」は、第一次大戦と第二次世界大戦後に至る時代を背景に、貴族階級のお屋敷で長年執事をつとめてきた男の一人語りで過ぎ去った日々の回想が繰り広げられていくが、物語の背景に漂う何とも言えぬ哀愁に、何故か、日本の古典以来の「もののあわれ」のような深みのある抒情を感じました。 没落する英国伝統社会の物語でもあり、また、老年に達しつつある男女による恋愛回顧し悔悟する物語といった多面的な小説でした。

憶測でしかありませんが、5歳までの日本での暮らしの記憶は潜在意識には残っていても、直接には、イシグロ氏の作品には、影響していないのでは、ないでしょうか?
むしろ、団塊の世代が受けた「敗戦後の反日教育」の影響を回避できたことが、作用しているのではないでしょうか?
イギリスに5歳から住んでいた幼年期、少年期、そして青年期には、日本人である父母から日々の暮らしを通じて日本文化(日本古典の美意識)の影響を受けた可能性はありますが、基本は、英国での英語教育を受けています(学校からは英国文化を、家庭では日本文化を)・・・
いずれにせよ、
イシグロ氏が、もの心のついた頃から、戦後の英国は、経済が英国病のジリ貧となり、戦前の大英帝国の栄光・伝統が、米国の隆盛におきかえられて行き、緩やかに没落崩壊する英国社会の二十年だったのではないだろうか?この没落感も、さながら、平家物語ではないですが、イシグロ氏の小説の寂寥感の基調にあるのでは、なかろうか?
・・・
しごく逆説的なのですが、
日本を離れたために、GHQに洗脳された日教組による「戦前の古い文化はすべて劣悪」という「反日」学校教育の影響を全く受けなかったことが、逆に、イシグロ氏に、あの物悲しい雰囲気の日本的情緒が漂う深みのある作品を描けたのではないでしょうか?
その点では、
ノーベル賞を受賞した川端康成の「日本の美しさ」を、英国籍のイシグロ氏こそが継承しているとも言えます。日本古典文化のもののあわれ(大和心)が、イシグロ氏を通じて、世界中へと拡散して共感を生んだともいえ、素晴らしいことだと、喜んでおります。

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シェークスピアと紫式部の融合 (lordyupa)
2017-10-10 21:17:29
敗戦後、日本は生活のあらゆる分野で、American way of life(米国に追いつけ、追い越せ)とばかり猿真似に励みました。そして、敗戦前の日本の伝統文化をないがしろにして捨て去ってきたと思います。いまや、東北の「なまはげ」を伝承する人が衰退する一方で、米国では、子供のためのHalloweenのようなお化け祭りに対して、いい歳をした青年らが血道をあげています。

5歳で英国に移住したイシグロ氏の少年期・青年期の暮らしには、このような「何でも、かんでも、アメリカ様式」を礼賛する風土は、英国には皆無だったのではないでしょうか?ゆっくりと沈みゆく夕日のように、経済的には没落しつつも、円熟した英国文化を、豊かな感性で浸み込ませたのでは、ないでしょうか?
外から家に帰れば、日本文化を御両親の感化を受けたのではないだろうか??
これらが融合したのではないでしょうか?

日教組の反日教育、いわゆる進歩的文化人、日本のマス・メディア(新聞、TV)、デパートなどの商業宣伝などから、文化的に断絶できたからこそ、今のイシグロ氏があるように想像します。
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東西文化の融合 (kakek)
2017-10-11 10:23:45
lordyupa さん
イシグロ少年が渡英した同時代1962年(昭和37年)1週間ほどロンドンに滞在、在留の先輩の招待でソーホーの大衆演劇を見た際、終演に観客が立って英国国歌を歌った時を想い出します。敗戦から10数年経過していましたが、当時、日本では、まったく国旗、国歌が忘れれており、驚いた記憶があります。敗戦後の占領政策それによる日教組教育がいつか知らぬ間に浸透していた時代だったのですね。
逆に、この時代、ロンドンには高層建築はなく、山高帽にステッキの紳士が散見されました。東西文化の融合。是非作品を読んでみたいです。
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