「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

    "猫に小判" ”豚に真珠” ”老人にケータイ”

2008-04-11 06:21:45 | Weblog
ケータイは老人にとって”猫に小判””豚に真珠”である。外出する機会はあまり
ないし、第一メールしたくても相手がいない。若い人のようにいろんな機能が駆使
できない。せいぜい時々カメラ代わりに使うぐらいだ。それでいて月3千円ぐらい
の使用料がかかる。娘から”もったいないから、やめれば”と注意された。

電車やバスに乗ると”猫も杓子”もケータイと戯れている。さすがに大声をあげて
通話している乗客はあまりみかけない。でも車内放送でしきりに使用禁止を呼び
かけているところをみるとトラブルがあるみたいだ。先日も競輪送迎バスで使用
をめぐって殺人事件が起きている。

ケータイは車内だけの現象ではない。立ってもケータイ、歩いてもケータイ、自転
車に乗ってもケータイである。昔”ながら族”という言葉があったが、ケータイなが
ら族の誕生だ。その割りに若い人の動作が敏捷になってきたとは思えない。駅の
切符売場で後の人にお構いなく待たせるのは、若い女性だ。人を突き飛ばすよう
にして降りる乗客も、たいてい、さっきまでケータイしていた若い人だ。

大都会では、最近若い人の間で座禅が静かなブームと聞いた。”さもありなん”と
いう気がする。ケータイの虜になっている若い人も人間である。時には頭の休息
が必要だ。ケータイから離れて瞑想の時間があってもよい。逆に時間をもてあま
す老人は、ボケ防止にもっとケータイに励もう。


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2 コメント

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携帯依存症 (chobimame)
2008-04-11 11:40:05
私の学生の頃は、まだ携帯がなかったのですが、今の20代の子はもう学生時代には携帯が使える状態でしたから、便利さを感じ前に生活必需品になっているのでしょうね。 しかし必需品も度を越えて、今は「依存症」になっているのだそうです。携帯を取り上げたら今の子は生きられないという精神状態だそうです。携帯はどんな場面にいても、自分だけを密室にいる感覚にさせます。なのでマナーがなくなるのです。その空間には携帯で繋がる世界と自分だけしかないのです。だから周りは見えない。よく電車や飲食店、またはエレベーターなどの公共の場所で、自分以外の他人と同じ空間を共にしなくてはいけない場合、必ずそういう若い子は携帯を触ります。それがどんな短時間であっても、他人と時間を共有することに慣れない若者は耐えられないのです。外に出ていてもある意味引きこもりの精神と代わりません。携帯やパソコンの普及と共に、直接人と触れあいをしなくても良くなったせいか、他人への配慮もなくなっていますし、対人恐怖症に近い人が増え続けているように思います。
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依存症 (kakek)
2008-04-11 13:27:42
chobimame さん
なにかわかるような気がします。依存症なのですね。時々肩越しに画面をのぞくと、老人にはわからない画面が出ています。電話より他の機能の利用みたいですね。何かしていないと寂しいという気持ちは理解できないでもありません。
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