「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

    80老のインドネシア独り旅(4)大分師団の萬邦の碑

2011-11-25 07:05:55 | Weblog
トマングンでは僕はプルノモさんが用意してくれた”ゲストハウス”に泊まった。インドネシアには、オランダ植民地時代の名残の、こういった外からのお客を泊める宿泊設備がある。僕の泊まった"ゲストハウス”は80平方㍍の広さの部屋にベッドが二つおいてあるだけで家具類は一切ない。山間部の町なのでエアコンはなく、マンデイ(水浴び)も温水ではなく冷水でする昔ながらの生活だった。

45年前、インドネシア在勤中僕はスマトラ縦断旅行をしたが、その時もジャンビーという町で、洪水によって道路が破壊され、約1週間、次の目的地パカンバルへのトンカン(材木運舟)待ちのため"ゲストハウスにお世話になったことを想い出した。あのときはコトブス(南京虫)に悩まされたが、今回は壁に潜むトーケー(やもり)の鳴声を子守唄に熟睡できた。

トマングンの丘の上には、独立戦争の英雄、プルノモさんの長兄バンバン・スゲン将軍(元駐日大使)の銅像が建っているが、その下には戦時中大分47歩兵師団第一大隊「磨部隊」の"萬邦”の記念碑が二つ建っている。「磨部隊」約250人は守備についていた東チモールから西へ転戦の途中、昭和20年5月、トマングンの警備に当たり終戦を迎えた。部隊はその記念に近くの川原から岩を運び"萬邦大結”と刻みこんだ。この記念碑は戦後の1991年、風雨で痛みがはげしいため、関係者がぼきんして修理し、同時にもうひとつ日イ友好の碑を建て、二つの碑に覆いの屋根をつけた。

トマングンは自然の残るきれいな町である。郊外には「water park」という水をテーマにした立派な公園があるが、ここには昔、磨部隊が復員まで収容されていた兵舎が建っていたという。プルノモさんは若き日、磨部隊所属の義勇軍として、日本軍と一緒に寝食をともにした。僕は今回の旅のお土産として、プルノモさんの生徒が、とくに僕のために製作してくれたトマングンのdvdを頂戴した。何よりの記念である。

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2 コメント

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Unknown (chobimame)
2011-11-25 16:24:17
国は色々だなと思いますが、そのような宿泊施設があるのには驚きです。日本はわりとひなびた所でも旅館としていれば、それなりの形はありますから。磨部隊の存在は知りませんでした。日本人の知らない隊に思いを馳せてくれる外国人がいる。有り難くもあり、また日本の有り様か情けなくもあります。
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植民地時代の名残 (kakek)
2011-11-25 17:42:22
chobimame さん
植民地時代、西欧人は現地人の家や宿舎に泊まるのを嫌い、このような設備を作ったみたいです。アフリカの僻地にもあるみたいです。とあ
大分の磨部隊の碑には、紀元二千六百六年とあります。多分復員の決まった昭和11年に住民への感謝と記念をこめて建立したものでしょう。
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