東京では3月10日の下町大空襲に次いで、京浜地区に住んでいた都民にとっては4月15日深夜の京浜大空襲が忘れられない。B-29,200機の来襲で老生が勤労動員されていた蒲田区(大田区)六郷の軍需工場は全焼した。当時老生が住んでいた都立大学から電車が動かないので歩いて通勤したかが、工場は灰燼に帰していた。老生らはその焼け跡から焼き米を拾い東海道線の側溝からエビがにに捕まえ夕食のおかずにした。
不見識だが、空襲後の焼け跡での焼き米拾いは都民の名物だった.。戦時中の空襲写真などで有名な石川光陽氏の写真集の中にも荏原区の農林省事務所の焼け跡にモンペ姿で焼き米貰いに並ぶ主婦の姿がある。77年も前の昔のことになった。同じ愚行が繰り返されている。
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