「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

痛ましい鹿屋の老人施設の”介護放棄”

2018-12-21 05:33:16 | 2012・1・1

鹿児島県鹿屋市の住宅型有料老人施設「風の舞」で、今年10月までの1か月間に入居者の85歳から96歳までの女性7人が次々と死亡、さらに今月に入ってからも1人が亡くなられた。この施設では、連続死亡が起きる直前、介護職員など8人が退職しておリ、鹿屋市役所では、職員の退職と入居者の死亡と間に”介護放棄”などの因果関係があるのではないかと調査している。

鹿屋市は大隅半島の錦江湾に面する風光明媚な地で、「風の舞」は市のバラ園山麓にあり、住宅型施設のほか付属の病院、訪問介護、通園介護など幅ひろく老人福祉事業を展開している。インターネットで調べると、立派な施設で、PR宣伝文句には“西方浄土を臨む”地にあり、入居者の人権尊重を第一とするとある。何故、こんな立派な施設で、こんな痛ましい出来事が起きるのだろうか。

「風の舞」施設は50人定員だが、今月8人目の方が亡くなった時には、夜間宿直は施設長と新人の二人しかおらず、ご遺体には重度の床ずれがあったという。鹿屋市でも入居者への”介護放棄”を認めているようだ。

鹿屋市といえば、戦争中、海軍の特攻隊の出撃基地があったとこだ。亡くなった女性はその厳しい時代に少女時代を送り苦労した世代だ。老人施設をめぐるこの種の出来事があまりにも多すぎる。痛ましすぎる。

 


防衛費27兆円と徴兵制度

2018-12-20 05:26:25 | 2012・1・1

明年度から5年間の防衛計画の大綱が閣議決定された。防衛費の総額は2,740,000,000、000円(正しいかな?)と、とてつもない額で僕には理解できないが、対GDP(国民総生産)比1%だというと、その額の大きさが解かる。額だけではなく、その内容も防衛”音痴”の僕にはこれまた理解できない。

それでも具体的に護衛艦「いずも」を改修して空母化し、一機数億円もすり最新鋭の戦闘機、F35-Bが離着陸できるようにしたり、敵基地を攻撃できるミサイルを装備したりできると聞くと、莫大なカネがかかるのも無理がないと思う。しかし、素人考えにはそこまでする必要があるのかと、首をかしげもなる。いずれも、最近の中国の軍拡の伸びを念頭に置いてのことだという。

その折もおり、新聞の外電欄の片隅に台湾の徴兵制度が今年で終了するとい記事があった。台湾では蒋介石時代に徴兵制度ができたが、最近は中国との緊張が緩和し、若者の反発もあって、徴兵期間も1年と短くなってきていたが、ついに廃止となり、今後は4か月の志願制度になるということだ。金門馬祖の砲撃戦時代では考えられないことである。

わが国では徴兵の経験のある世代は少なくなってきた。学年でいうと僕より4学年上までが入隊している。戦争がもう少し長く続けば、僕らも徴兵年齢繰り上げで徴兵されるところだった。それだけに「徴兵」とい言葉には敏感なのだが、少なくとも、向こう5年間の防衛計画には「徴兵」の字はない。防衛費の伸びだけで済むのなら、良しとすべきかも。


後期高齢者医療保険 貧乏人の年寄りをいじめなくても

2018-12-19 05:26:02 | 2012・1・1

「全世代型社会保障」の基盤を強化し、現役世代との負担の公平を保つため後期高齢者医療保険加入の低所得者に対する軽減特別措置を来年10月から廃止するそうである。こう書いてみたが、僕にはすぐには理解できない。かみしめて読んでみると、貧乏人のこれまであった軽減措置の特例を廃止すること。さらに具体的にいえば、特例措置で月570円だったのが1,140円に逆戻りさせようというのだ。

低所得層というのは。年収80万円から168万年の人達で全国で300万人ほどいるそうだ。多分、老齢基礎年金だけか厚生年金受給していてもその額が少ない層だ。生活保護費受給のボーダーラインの層である。

年金は偶数月の15日、2か月に1回、2か月分支給さるが、年に何回かその支給額の通知が届くたびに額が減っている感じがする。僕の場合は後期高齢者医療保険費を年金から天引きされており、このため、25年前、厚生年金支給開始時に比べて額は減ってきている。

低所得者に対する軽減措置撤廃によっての負担額は月570円増、額にすれば、ラーメン1杯分に過ぎないが、年金以外に所得がないものにとっては気分的に大きな負担である。「全世代型社会保障」には協力するが、何も、低所得の老人を狙い撃ちにしなくてもよいのでも。年寄りのひがみえあろうか。

 

 

 


理解できない 朝鮮半島の”近くて遠い国々”

2018-12-18 05:46:00 | 2012・1・1

”近くて遠い国”という言葉があるが、僕には朝鮮半島にある二つの国がいまだによくわからない。昨日の産経新聞(首都圏版)を見たら1面に大きな見出しで”北漁船と巡視船接触 巡視船破損”という記事が載っていた。一触即発にもなりかねない物騒な話である。一方、別の面では北の漁船とおぼしき漂流物が急増、地方自治体がその処理に悩まされているという特集記事があった。しかし、北からは謝罪一つなく僕には理解できない。

理解できないのは北だけではなく、南の韓国もそうだ。日韓関係の改善を目指して、日本から党派を越えて議員団が先日訪韓して文在寅大統領とと親しげに握手をしていたが、一方では、これに合わせるがのように、わが国の領土である竹島沖で3日間にわたって軍事演習を展開している。これも僕から見れば、無礼千万の話で理解に苦しむ。最も理解に苦しむのは日本の議員団についてもそうだ。”いったい何しに行ったのか”(産経社説)である。

文在寅大統領から一方的な言い訳話を議員団が承った日、東京では政府主催の拉致問題解決のシンポジュームが開かれた。しかし、僕が知る限り、議員団が文大統領と間で、あれほど北との親密さを自己宣伝している大統領に、解決への協力依頼したという話は聞いたことがない。政府は北からの漂流漁船をはじめ一連の出来事について抗議しているのだろうか。弱腰では拉致問題は解決されない。

 

 

 


ダバオのトンネル 戦地の歴史遺跡の正しい保存

2018-12-17 06:02:18 | 2012・1・1

2年ほど前書いた小ブログ「ダバオの日本のトンネル」(2016年5月28日)に対して、昨日マニラ在住28年の「南十字星の爺」という方から”同感です”のコメントが届いた。僕はこのブログで、ドゥテルデ比大統領の出身地、ミンダナオ島のダバオに戦争中、旧日本軍が掘った大規模なトンネルがあることを紹介、今なお海外戦地にある戦争遺産の保存を呼び掛けた。

ダバオのトンネルは、今、観光地になっており、ホテルまであるが、偶然にもこのホテルは「南十字星の爺」さんの遠縁の化粧品会社の副社長が2001年に建てたものだと分かった。僕は国内外の戦時遺産に関心があり、松代の大本営跡や日吉の慶応大学キャンパス内の旧海軍連合艦隊司令部跡の壕を見学したことがある。海外もインドネシアが中心だが各地の壕を視察したが、西スマトラのブキティンギにある旧第25軍司令部防空壕跡のように、いつの間にか虐殺の虚妄が独り歩きしていたところもあった。

ダバオのトンネルは幸い反日宣伝には利用されていないが、訪れた方の記事や写真を見ると、どうも正しいトンネルの歴史が残され伝っていないようだ。例えばトンネルは昭和17年に当時ダバオの防衛に当たっていた海軍第32根拠地隊が造営したものと思われるが、トンネル入り口の旧日本軍の服装は”日本兵”らしいが、海軍だか陸軍だかわからない。

不幸にもダバオでは戦争末期の昭和20年4月、連合軍が逆上陸してきて日本の守備軍との間で激戦が展開され双方に大きな犠牲が出ている。そのため当時の日本側の記録も喪失してしまった。しかし、防衛庁には部分的だが当時の資料が残っている。JICAがダバオのインフラ整備の一環としてトンネル保存を始めるそうだが、その時には、ぜひ史実も保存してもらいたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


”生きてるあかし” 年に一度の年賀状

2018-12-16 06:29:58 | 2012・1・1

12月も半ばを過ぎ、平成もあと残り少なくなってきた。昨日から郵便局で2019年の年賀葉書の受付け開始が始まった。テレビで、その風景をみて、そこはかはとなく年の瀬は感じたが、昔のようなあの「師走」感はない。でも、暦をみると、すでに”煤(すす)払い””正月こと始め“も過ぎ、無精者の僕もそろそろ年賀を書き始めなければと思った。

新聞をみると、平成最後の年賀状の発行枚数は24億枚で、ここ10年連続して減少している。ピーク時の平成15年(2003年)には44億枚あったのだから、大変な減り方だ。人口減もあるが、原因はインターネット、メール。SNSなどの普及が原因だという。僕も現役時150枚ほど出していたが、今年は100枚に減っている。しかし、これは周囲の知り合いが年々減少してきたのが原因だ。

もう一つ、この10年ぐらいの現象だが、”今年をもって年賀を失礼します”という類の”年賀”が多くなってきたことだ。確かに加齢と共に心身が弱り年賀を出す気力もなくなる。頂いた年賀の中には家族の代筆と思われるものもある。人さまざまだが、僕はできれば年に一回のことだ。”生きているあかし”として、年賀状は出したいと思っている。年賀状の中には、半世紀もお会いしたことない方もいて迷惑かも知れないが、一期一会を大切にして、相手からお断りのない限り送りたいと思ってる。


景気 「イザナギ」「イザナミ」そのあとは

2018-12-15 05:37:26 | 2012・1・1

景気が「イザナギ」を越え、さらに今月で戦後最長の「イザナミ」と並ぶと産経新聞(首都圏版)2面に2段記事で小さく出ていた。戦後最長といえば、普通ならビッグニュースだが、国民には実感がない。編集記者も気が引けたのだろう

「イザナギ」景気(昭和40年9月―45年7月)の57か月は、経済音痴の僕でも知っている。「神武」景気(昭和29年1月―32年6月)につぐ好景気で、「神武天皇」を越えて神話の「イザナギ」の命(みこと)以来だと当時のマスコミが命名した。当時、僕は30歳代の働き盛りだったが、月給が初めて10万円を超え、その恩恵に浴している。

しかし、今、「イザナミ」景気があったことをは知らなかった。調べてみると「イザナミ」景気(平成14年2月―19年8月)の73か月を言うのだそうだが、覚えがない。すでに、僕は年金生活に入って10年、第一線から退いていたせいもあるがー。一般にも「かげろう」景気とか「無実感」景気とか悪口されている。

驚いたのは今,アベノミクスの下で好景気が続いており、今月中にその期間が「イザナミ」景気気を抜くのだそうだ。たしかに有効求人倍率など一部の経済指標でみる限り好景気のようだが、一般庶民には実感がない。「イザナミ」景気のあとは、なに景気なのか。「アマテラス」景気とでも呼ぶのだろうか。景気が国民全体に天照らす景気を期待したい。


外国人労働者受け入れ新制度 受け入れ企業を免許制に

2018-12-14 06:10:13 | 2012・1・1

来年4月から実施される外国人労働者受け入れの新制度の基本方針が、断片的ながら新聞に出てきた。お役人の作文みたいで、よくわからない。例えば、各都道府県に「多文化共生総合相談ワンストップセンター」を設置するとあるが、具体的に何をするのか―。日本人にもわからない。絵に描いた餅にならなければよいが。

基本方針の概要をみた印象だが、日本語学習にだけ力点を置いているように見える。先日も山下貴司法相が、日系中南米人の多い浜松市の日本語学習センターを視察していた。新制度では、採用に当たって共通の日本語試験を実施し、合格者のみと契約するのではなかったか。僕の日本語教師としての体験でいえば、日常生活で必要な日本語ならば、集中的に学習すれば3か月でよい。今、新制度実施に当たって、問題なのは、現行の技能実習制度の見直しではないだろうか。

新制度といっても半数近くは技能実習生からの移行である。その技能実習生について、先の国会で、山下法相は失踪や自殺、溺死などの実態を明らかにしているが、政府が企業の実習現場を立ち入り検査をしたという話を聞いたことがない。山下法相は、日系中南米人の日本語センターを視察する前に、技能実習センター受け入れ企業の現場を視察するべきだ。

新制度は、まさに”走りながら考える”みたいだが、忘れられているのは、受け入れ企業に対する教育ではないだろうか。安価な労働力とだけ考えて外国人を雇用すれば、技能実習制度の二の舞である。政府は受け入れ企業に対しても事前にオリエンテーションを実施し、できれば免許事業にしたらどうか。


南京陥落旗行列の記憶と「虐殺」

2018-12-13 05:39:44 | 2012・1・1

日支事変のヤマ場であった南京が陥落したのは昭和12年(1937年)12月13日である。81年前のことで、すっかり忘れてしまっていたが、昨日、靖国神社の境内の参道で、中国人男女二人が「南京虐殺」に抗議して段ボールに放火した事件を知り,往時のことを想い起こした。

僕はまだ小学1年生だったが、7月7日に盧溝橋で日支両軍が衝突し、戦火が拡大してゆくのを子供ながらに覚えている。とくに12月、蒋介石の居城、南京に日本軍が迫り、空爆を伴う激しい攻略戦で、まわりの大人たちが大騒ぎしていたのが昨日のようだ。10日間の攻略戦で脇坂部隊が光華門に一番乗りして万歳している写真を見て僕も万歳を唱えた。14日には東京で、勝利を祝う祝賀旗行列と提灯行列があり、僕も日の丸の小旗をふって参加した。

あれから81年、往時の感激を実感した日本人も少なくなリ、忘れかけ始めてきた。逆に「南京虐殺」という虚妄が独り歩きし、ユネスコの記憶遺産に指定されている。中国側が主張する30万人という数字は、当時の南京の人口から見てありえない数字である。この虚妄に基づく博物館が南京にあり,今年7月、福田康夫元総理が参観した。元総理は日支事変が始まった数日後に生まれ、南京攻略戦時は乳飲み子であった。

歴史は実際に生きていた者だけで語れ、といった傲慢のことは言わない。しかし、史実は一つしかない。小学1年だった僕でも「便衣兵」という言葉を知っている。確かに場内で「便衣兵」との間に戦闘があり、死傷者が出ているのは事実である。しかし、これを「虐殺」といえるかどうかだ。


"だまされないぞ” わが家に三度目のオレオレ詐欺電話

2018-12-12 06:02:14 | 2012・1・1

昨日、わが家にオレオレ詐欺電話がかかってきた。名前も名乗らずに”郵便物が届いたか”といきなり老妻に言ってきた。間違い電話かも知れないがと思ったが、老妻が適当にあしらっていた。が、先方で気が付いたらしくきってしまった。ところが、この電話の1時間ほど後、警視庁振込詐欺本部から電話があり、わが家付近に、振込詐欺電話が頻発しているから注意するよう警告があった。これは本物と思ったが、一応、最寄りの警察に連絡はしておいた。

わが家にオレオレ詐欺の電話があったのは3回目である。前回は5年前の2013年10月27日で、小ブログにもそのことが書いてある。読み返してみると、孫だと名乗り、カネを落としたからローソンから振り込んでくれ、といった趣旨。電話にでた老妻は、孫がトルコ旅行中なのにおかしいと疑いながらも、母親が留守だから、あとで電話してくれと切った。

最初のオレオレ詐欺は、オレオレ詐欺の初期の頃で。僕が車を運転中、妊婦にケガをさせた。示談で済ますからカネを出せといった話であった。電話に出た老妻は僕が車の免許を持っていないのを知っているから、すぐ詐欺と判った。昔、僕と結婚前警察署に勤務していたので、僕に110番を別の電話でかけるよう指示した。すぐ警察官が駆け付けてくれたが、寸時のところで電話を切られてしまった。

オレオレ詐欺が横行してカラ、かれこれ10年になるが、手口は巧妙になり、僕の周囲でも、まさかと思われる慎重な方が被害にあっている。”自分はかからない”と思っている人間が危ないそうだ。写真のステッカ―を電話口において警戒している。