「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

僕の動員先工場にも女子勤労挺身隊が働いていた

2018-12-01 04:08:23 | 2012・1・1

韓国の最高裁が10月の新日鉄住友についで、またぞろ戦時中の”徴用工”賠償請求上告審で、三菱重工に対しても支払いを命じた。いずれも1965年の日韓請求権協定ですでに解決済みの問題であるが、今度は新たに女子勤労挺身隊に対しても支払いを命じてきた。韓国最高裁の判事たちは当時の「挺身隊」がどのようなものかご存知ないのではないか。

国家総動員令体制の下で本土で、女子勤労挺身隊が創設されたのは、昭和18年9月頃だが、日本統治下の朝鮮半島では19年になってからで、それも強制的なものではなく、新聞広告などを通じての募集だった。今回の裁判の原告5人の女性は三菱重工名古屋工場で、無償で働かされたと主張しているようだが、いくら戦時下といえども考えられない。

僕は昭和20年1月、中学2年3学期から東京蒲田の”人間魚雷”の部品を作る工場に学徒動員されたが、同じ工場に女子専門学校の生徒も勤労挺身隊として動員され、日の丸の鉢巻きをして旋盤を回していた。僕らは学校を通じて学費を差し引いた給料を貰っていたし、戦後退職金40円(4000円ぐらい)も支給されている。

女子挺身隊員たちは蒲田駅から工場のある六郷まで、女子挺身隊の歌「桜花の誓い」を歌いながら行進した。その歌の三番の歌詞「今年十五の弟も命捧げて皇国の危急を知るならば、いざいざ立て花の挺身隊」を何故か僕は覚えている。僕の同学年の学友の中には陸軍飛行学校や海軍の予科練に応募していた者もいた。統治下といえども半島の人たちも当時は同じ日本人であった。