ベッラのブログ   soprano lirico spinto Bella Cantabile  ♪ ♫

時事問題を中心にブログを書く日々です。
イタリアオペラのソプラノで趣味は読書(歴女のハシクレ)です。日本が大好き。

【新藤義孝衆議院議員】 鬱陵島訪問・韓国メディア電話取材

2011年08月02日 | 政治
【新藤義孝衆議院議員】 鬱陵島訪問・韓国メディア電話取材


絶大な人気のカラヤンさまから皆様に動画でお知らせです。

ちょっとうなぎを焼きますので、感想は後で書かせて下さい。
皆様はどうぞご覧になって下さい。
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巨匠ロストロポーヴィチ、リサイタルライヴ

2011年08月02日 | 芸術
Rostropovich Popper Dance of the Elves


私はロストロポーヴィチの演奏が好きで、何度も演奏会に行った。彼が演奏会のあと、白い楽器ケースをコロコロ引っ張ってホテルのレストランに入るのも目撃した。
この曲は軽やかなポッパーの名曲だが、ドヴォルザークなどを聴くと、心が震え、立ち上がれないほどの感動を受けた。

彼は天才だった。本職のチェロ以外にも指揮、そしてピアノはあのリヒテルの代役までして名曲をちゃっかり世界初演までしてしまった・・・普通ではないのはすぐわかる。

彼がソ連当局を批判し、あらゆる名誉をはく奪され、ほとんど無一文で国外追放を受けた時、助けたのは小澤征爾で、アメリカの家を無償で貸したことは有名。その家に小澤の亡き父の写真が飾られていた。

ロストロポーヴィチはその写真の前にローソクを灯し、毎日祈ったという。また日本公演では小澤が日本に帰国する前に、小澤の父の墓参りをし、小澤の母のすすめるおにぎりをほおばっていたことで、小澤本人を驚かせた。

また彼は「音楽キャラバン隊」と称して、田舎のお寺で無料コンサートを開き、夜は農家の家でもてなされ、鍋料理を囲んだという。

東京では貴乃花の稽古を見に行き、その後、浴衣をはおってちゃんこをつついていた。
また皇居に上がり、天皇陛下が以前から親しまれているチェロのレッスンを引き受けた。「なぜヴィヴラートをかけないのか?」と天皇陛下に質問、「高貴な身分のかたは音をふるわせたりしないんだな」と納得したり、いろいろ報道されていた。

夫人はボリショイのプリマドンナ、ヴィシネフスカヤ。
このリサイタルでピアノ伴奏をしているのは、娘である。

☆ 同じくチェロを弾かれるフローラはなさまに捧げます
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ショスタコーヴィッチの曲を初演した名指揮者、ムラヴィンスキー。Mravinsky-Shostakovich Symphony No. 5

2011年08月02日 | 芸術
Mravinsky-Shostakovich Symphony No. 5


これがあの伝説的な名指揮者、ムラヴィンスキーである。
この指揮の様子を見ても、今の指揮者のパフォーマンスとは全く違う。彼の指揮は重圧感と使命感が強く感じられる。
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Shostakovich Symphony No. 5 ショスタコーヴィッチの交響曲に秘めた願い

2011年08月02日 | 芸術
Shostakovich Symphony No. 5


ショスタコーヴィッチは旧ソ連の代表的な天才作曲家であった。
彼は容赦なく粛清するスターリン体制の中で、秘かに自分の作曲にスターリン批判を入れた。
「言葉は粛清のもととなるが音楽はまだ余地がある」と・・・たとえばこの曲、この最終楽章を「強制された喜び」としたのだ。
低音の3つの音はビゼー「カルメン」のハバネラに出てくる<ご用心>というフレーズを思わせる。

しかし、いつ家のドアを叩かれ、連行されるかわからない恐怖に、彼は重い鬱となった。彼は指揮はムラヴィンスキー、チェロはロストロポーヴィチ、ヴァイオリンをオイストラッフ、ピアノはリヒテル、という当時最高のソリストたちに依頼した。
彼らもスターリンの粛清におびえ、オイストラフやリヒテルは夜中の足音さえ、連行される恐怖に自宅の電話番号も覚えられないほどだったという。
また、ロストロポーヴィチは、友人の作家、ソルジェニーツインが「収容所群島」でソ連当局に逮捕される危機をかばい、別荘へかくまった。
さらにソ連当局を堂々と批判した。
彼は一切の仕事を奪われ、レーニン賞もはく奪され、外国での演奏会も勝手にキャンセルされた。
そして国外追放、家族と身の回りのカバン、そして愛犬をつれ、涙ながらに祖国を後にした。
彼はロシアを愛していた。
生活のめどもなく住む家もないロストロポーヴィチを救ったのは小澤征爾であった。アメリカの自宅を無償で貸し、アメリカでの演奏会に共演、また小澤の師である名指揮者カラヤンは絶大な政治力を駆使し、彼の演奏活動を護り、命の危険から救った。
やがてソ連は崩壊し、ロストロポーヴィチはひそかにロシア入りし、銃を手にエリツインをまもり、立てこもった。

外国で途方もない権力に抵抗してきたのは芸術家だった。
たとえば、ベートーヴェン、ヴェルディ、そして「フィンランディア」を作曲したシベリウス、ソ連の作家ソルジェニーツイン、作曲家ショスタコーヴィッチ、チェリストのロストロポーヴィチ、ヴァイオリニストのスターン・・・などなど。

圧政の恐怖と怒りに震えながら、毅然とした態度をとった。
これが芸術への試練でもあった。
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