戦前、来日したシャリアピンは当時世界最高のバス歌手で、超大物。
ところが、このシャリアピンも人の子、急に「歯が痛い、でも肉を食べないと声が出ない、肉は痛くて噛めない」、などと嘆いていた。これではせっかくの名歌手のコンサートが台無しになる。
そこで当時の帝国ホテルの若きシェフが、シャリアピンのために作ったのがこのステーキ、
帝国ホテルの伝統ともなった「シャリアピンステーキ」のレシピを書きましょう。(さすが動画はなかった)
比較的新しい料理法なので様々なレシピがある。以下は代表的なもの。(wikiより転載)
1、牛肉(ランプ、ヒレ、サーロインなどステーキ肉ならなんでも良い。“ムッシュ”村上信夫はランプを勧めている)は叩いて延ばし、筋切りをする。
2、タマネギ1個をみじん切りし、牛肉を浸す。時間は30分から3時間程度。
フライパンでタマネギのみじん切り(1から2個程度)を大さじ2程度のバターで炒めて、薄く塩胡椒で下味をつけ、色がついたくらいで取り分けておく。
3 2の牛肉の水分をとり塩胡椒(適量)し、サラダ油とバターを1:2もしくは2:3くらいの割合で熱しフライパンで焼く。店によっては包丁の背などであらかじめ格子模様をつける。両面に焼き色がついたら取り出し皿に盛る。
4、3のタマネギをフライパンにいれ肉汁と馴染ませ、味を塩梅し、ステーキにのせる。
好みでパセリ、クレソン、いんげん豆などを付け合わせる。
☆シャリアピンって?
シャリアピンは貧しい炭鉱夫の出身、声に自信があったので声楽家を目指し、まず合唱団のオーディションを受けることにした。
友人の売れない作家、ゴーリキーと受けるが、結果はゴーリキーが合格してシャリアピンは落選!!
エッ、ゴーリキーってシャリアピンより歌が上手いの?
どうもシャリアピンの声量が凄すぎて、合唱団ではつかいものにならない、ということでした、
日本に来た時の話では、公会堂の窓ガラスが震えたそうな。(今はコンサートホールに窓ガラスはないが)
ゴーリキーはそれから作家として名をなしたが、ソ連当局を批判。
「レーニンもトロツキーも自由と人権についていかなる考えも持ち合わせていない。彼らは既に権力の毒に冒されている」。
1919年、レーニンはゴーリキーに宛てて書いた手紙に「君に忠告する。環境とものの見方、行動を変えるべきだ。さもなくば人生は君から遠ざかってしまうだろう」と書いている。1921年、結核の療養のためイタリアのソレントに移り住んだ。(wikiより)
ところが・・・当時イタリアはファッショが締め付け、ゴーリキーはソ連に帰る。スターリンが待っていました。
ゴーリキーの死因は「毒殺」だといううわさがあるそうです。シャリアピンもソ連当局を批判し、国外追放、
レーニン賞、人民芸術家などすべてはく奪される。パリで客死するが、遺骨が祖国ロシアに帰ってきたのはつい
最近であった。
ロストロポーヴィッチといい、このシャリアピンやゴーリキーといい、時代は違うけれど同じソ連を批判し、大変な目にあっていた・・・半端じゃないですね、そのうち日本もこうなったら・・・人権救済法案というゲシュタポみたいな法案が民主党によって
着々と準備されています。誰の人権を救済?日本人以外の人権でして。