昨日、大阪のジュンク堂本店にてチャンネルAJIER主催で、西村正氏の著作「司馬さんに嫌われた乃木・伊地知両将軍の無念を晴らす」の内容を著者自らの解説でお話と質疑応答があった。
会場はジュンク堂の喫茶店に椅子をズラッと並べテーブルを取り払って広く使用されたが、すっかり満員だった。
(ここまで遠かった・・・それにしても大きな書店。)
著者の西村正氏は本職は医師だが、若いころから歴史好き、歴史的現場に直接訪れて数々の「真実」を突き止められ、司馬遼太郎の作品は好きだが「坂の上の雲」だけは好きではない、それは司馬遼太郎の間違った歴史観、それも意図的なものがあると解説された。
チャンネルAJIERも動画を収録していたようなので、実際にその模様が見ることができると思うが、会場に詰めかけた方々は大変な歴史好きらしく、質問もかなり面白かった。
私は本を店頭で買ったばかりでまだ読んでいないのだが、西村正氏のお話はこれから買ったばかりの本を読もうと楽しみになった。
私が読んだ司馬遼太郎氏の著作は「項羽と劉邦」だが、実はこの本を最初に読んだせいで司馬文学に距離を置くことになってしまった。
それは天才軍師張良の描き方や項羽や虞美人の表現など、他の作家の本に比べあまりにも・・・だった。
(私はチャイナの歴史小説については多くの作家の本を読んでいた。司馬遼太郎という高名な作家の本を買ってガックリした。)
あの暴君始皇帝を狙う若き張良を女のように色の白い脆弱な美少年、と書いているのに絶句したし、虞美人は伝説上の美女で実在しないが、司馬遼太郎氏の描く虞美人は「女性が描けていない」と驚くほどだった。
項羽が愛する虞美人はまだ年端もいかない子供だったというとんでもない設定、あの京劇で観た虞美人の立ち振る舞いや「剣舞」の凛々しさ、最後の「剣舞」の素晴らしさも覚悟を決めた芯の強いなかなかの女性と感動もしていたが、司馬文学では「戦場の凛々しい女性像」どころか印象もなかった。
劉邦も項羽もあまり印象的でない描き方もそうだったし、それを取り巻く個性的な武将たちも印象にない、さてはいいかげんに書いたのか、二度と読むものか、と怒って古本屋に売り飛ばした。
それから作家の陳舜臣さんとの対談も読んだが、(私は陳舜臣さんの「十八史略」「中国の歴史全巻」「中国五千年」など愛読していたが、この対談でも司馬さんの印象は希薄だった。司馬さんファンの方々ごめんなさい。)
「坂の上の雲」はNHKでドラマ化されていたが、偏向的な内容が気になって途中で見なくなった。
かつて富岡幸一郎氏が下記の動画で司馬史観を批判されたことがある。
【ズバリ!文化批評】「司馬史観」に異議あり! [桜H21/10/10]
保守の側にも人気がある司馬遼太郎の作品、戦後史観を乗り越えた作品として評価されてきたが、「坂の上の雲」では日露戦争までは日本は素晴らしかったが、その後は暗黒の日本だった、という司馬史観。
日露戦争は祖国防衛戦争であったがその後は日露戦争を絶賛のあまり「痴呆化」したと言っていた。このあたりをもう一度検証しなくてはならない。
果たして昭和前期はそうだったのか。「坂の上の雲」人気は心理的な逃避をしているのではないか。大仏次郎は維新にあった攘夷思想を評価し、司馬遼太郎はそれを否定する。
(以上、富岡幸一郎氏のお話)
ブログのティールーム
プッチーニ作曲「トスカ」から
画家のカヴァラドッシは政治犯を匿ったとして捕らわれの身。
そこへオーストリアの将軍ミヒャエル・フォン・メラスが「マレンゴの戦い」において
ナポレオンに追いつめられて敗走したという知らせが入る。
思わず画家カヴァラドッシは「勝利だ、勝利だ」と叫び、再び捕らわれる。
この時、聴衆も我を忘れて大騒ぎオペラが先に進めない状態に。
もちろん名歌手コレッリの偉大な声は伝説的となる。
ナポレオンはイタリア語ではナポレオーネ「ナポリの獅子」という意味。
コルシカは元イタリアだった。
Franco Corelli in Parma - Tosca - "Vittoria! Vittoria!" イタリア語歌唱 約3分