香港警察の制服を着ているが 一体誰?!|反送中|林鄭月娥|逃犯條例
中国事情に詳しいノンフィクション作家の河添恵子氏は「学生たちは、香港にあったはずの『人権』と『自由』と『民主』がなくなってきていることを実感している。ここ数年、(共産党に批判的な)出版社店主などが次々と拘束されている。香港が監視社会になってきている」と語る。
習氏は今月末、大阪市で開かれるG20(20カ国・地域)首脳会合に出席するため来日する予定だが、激化するデモの展開次第で、どうなるか。
河添氏は「現在、中国共産党は内紛状態にある。習氏がデモ制圧のために軍を動かす判断をしなくても、反習派によって動く軍はたくさんある。万が一、軍が動いて大きな被害が出れば、国際社会は習政権を厳しく批判することになる。そのなかで、習政権の責任論が浮上する可能性もある。国内でクーデターが起こる可能性もある。G20前にヤマ場が来るのではないか」と分析している。
素敵な写真・・・日の丸の美しさ!!
★ ところで安倍総理がイランで最高指導者と会談中に起きた事件、
・・・米・イラン、対決色強まる=タンカー攻撃で非難の応酬
【ワシントン、カイロ時事】日本の海運会社のタンカーがホルムズ海峡近くで受けた攻撃について、トランプ米大統領は14日、FOXニュースのインタビューで『イランが行った』と名指しで非難し、両国の対決色が強まっている。対話に前向きな姿勢を示していたトランプ米大統領も、イラン最高指導者ハメネイ師が安倍晋三首相との会談で対話を拒絶したため態度を硬化。相互不信が一段と高まり、中東で緊迫の度が増している。
「イランとの合意は時期尚早だ。彼らもわれわれも準備ができていない」。トランプ氏は13日、こうツイートし、早期の交渉に否定的な見方を示した。トランプ氏は核合意離脱や制裁再発動でイランに圧力をかけ、ミサイル開発中止などを要求してきた。イランを訪問した安倍首相には「橋渡し」を期待したが、事実上不調に終わった。
米側は今後、イランへの圧力をさらに強化し、譲歩を迫るとみられる。米中央軍が13日、イラン精鋭部隊、革命防衛隊によるタンカー攻撃への関与を示す動画公開に踏み切ったのもその一環だ。米軍は「米国と中東のパートナー国は、自衛のために必要なあらゆる手段を取る」と強く警告し、武力行使も辞さない構えを示した。
これに対し、イランのザリフ外相はツイッターに「米国は事実に基づいた証拠なしにイランのせいにしている」と投稿し、攻撃関与を否定。ボルトン米大統領補佐官(国家安全保障担当)やイスラエルのネタニヤフ首相ら対イラン強硬派が、外交ではなく「プランB」(対決路線)に突き進んでいると批判した。http://www.msn.com/ja-jp/news/world/%e7%b1%b3%e3%83%bb%e3%82%a4%e3%83%a9%e3%83%b3%e3%80%81%e5%af%be%e6%b1%ba%e8%89%b2%e5%bc%b7%e3%81%be%e3%82%8b%ef%bc%9d%e3%82%bf%e3%83%b3%e3%82%ab%e3%83%bc%e6%94%bb%e6%92%83%e3%81%a7%e9%9d%9e%e9%9b%a3%e3%81%ae%e5%bf%9c%e9%85%ac/ar-AACSwQv?ocid=ientp#page=2
★ この事件についてアメリカが仕掛けた「トンキン事件に類似している」という声もあるが、それ以外の国が関与しているとも思える。
日本独自で調べたほうがいいだろう・・・私が懸念するのはアメリカに無理やり中東に自衛隊派遣を要求されるまで入り込むような事態になってしまうことである。
「憲法改正」は賢いリーダーの下で行うべきだ。いいえ、「自主憲法制定」がふさわしい。
気になるのは昨日もブログに書いたが、日本人に対し「言論弾圧」がひどいことだ。
これを放置するということは、すでに特定の国の支配下に置かれているということである。(ベッラ)
WIKIより・・・トンキン湾事件(トンキンわんじけん、英: Gulf of Tonkin Incident, ベトナム語: Sự kiện Vịnh Bắc Bộ / 事件灣北部)は、1964年8月、北ベトナム沖のトンキン湾で北ベトナム軍の哨戒艇がアメリカ海軍の駆逐艦に2発の魚雷を発射したとされる事件である。これをきっかけに、アメリカ合衆国連邦政府は本格的にベトナム戦争に介入、北爆を開始した。アメリカ合衆国議会は、上院で88対2、下院で416対0で大統領支持を決議をした。しかし、1971年6月『ニューヨーク・タイムズ』が、いわゆる「ペンタゴン・ペーパーズ」を入手、事件の一部はアメリカ合衆国が仕組んだ物だったことを暴露した。
ブログのティールーム
まだ若いころのプラシード・ドミンゴ、このころはさわやかな声だった。
それからだんだん重い声になっていったが私はこのころの声が好きだ。
フォーレ作曲「夢のあとに」
Après Un Rêve - Placido Domingo