この記事を見て、「まさか」と衝撃を受け、そして次に「ああ、やっぱり日本政府は・・・」といつものこと、でもショックでした。
政府、中国刺激せず=人権懸念も関係改善優先-天安門事件
6/5(水) 7:09配信 時事通信
日中関係改善を優先していることが背景にあり、事件に過敏な中国を刺激しないよう抑制的な対応を取っている。
中国共産党政権は現在も、民主化を求める学生らを武力で弾圧した同事件を正当化している。
河野太郎外相は4日の記者会見で、事件への見解を問われたのに対し、「自由、基本的人権、法の支配は国際的に共有されるべき価値観だ」などと一般論を述べるにとどめ、「政治体制が違う中でも普遍的な、共有できる価値観についてはこれからも日中の間で議論していきたい」と語った。
日本政府は同事件を「武力弾圧」「虐殺」などと表現することも意図的に避けている。
こうした対応について、首相官邸幹部は「日中関係が改善傾向にあり、経済的なつながりも深まっている」と指摘し、対中関係への配慮をにじませた。
今月下旬には、大阪市で開かれる20カ国・地域(G20)首脳会議に合わせた中国の習近平国家主席の来日を控え、中国とのあつれきを避ける狙いもあるとみられる。
政府を支える与党も事件への発言には慎重だ。中国に人脈を持つ自民党の二階俊博幹事長は4日の記者会見で「重大な事件であっただけに、思いを新たにして当時のことを思い巡らしている。十分関心を持っていきたい」と指摘。
公明党の山口那津男代表も会見で「中国国内で(事件を)どう振り返るかは内政の問題でもあるので日本側から言及するのは控えるべき部分もある」と述べるにとどめた。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190605-00000015-jij-pol
【討論】天安門30年と習近平の行方[桜R1/6/1]
パネリスト:
古森義久(産経新聞ワシントン駐在客員特派員・麗澤大学特別教授)
澁谷司(拓殖大学海外事情研究所教授)
石平(評論家)
坂東忠信(元警視庁通訳捜査官・外国人犯罪防犯講師)
福島香織(ジャーナリスト)
ペマ・ギャルポ(拓殖大学国際日本文化研究所教授・チベット文化研究所名誉所長)
矢板明夫(産経新聞外信部次長)
司会:水島総
【Front Japan 桜】天安門事件から三十年 / 天安門事件後、党中央では何が話し合われたか[桜R1/6/4]
天安門事件から30年後に明かされた事実
当時ANAのCAとして救援機初便に乗務した健康社会学者の河合薫さんがその機内の状況を記すとともに、日本の大使館員による命懸けの救出劇の模様を紹介しています。
30年経って判明。あの天安門事件から日本人を救った「真の英雄」
北京空港に到着するやいなや、機内に流れ込んできた人々。額から血を流している人、日本の国旗に身を包んだ人、声を上げて泣き出す人、泣き叫ぶ子どもを抱きかかえる若い母親…。
「ありがとう、ありがとう。迎えにきてくれてありがとう!」と私の手を握ったまま放さない人など、機内は恐怖と疲れと安堵感で埋め尽くされました。
飛行機が離陸し、私たちCAがお客様の様子を伺いに回ると、
「殺されるかと思った」
「必死で逃げてきたんです!」
「日本領事館の人から“コレ(日本の国旗)”渡されて、助かりました!」
「自分たちは日本人だ!攻撃しないで!と大声で叫んできました」
とみなさんがいっせいに話しはじめ、お食事後はほとんどの方が、ぐっすりとお休みになっていました。
当時は「自分が救援機初便に乗務し、その後何便か救援機を飛ばした」という事実以外、何も把握していませんでした。
それ以上の情報を会社からもらっていませんでしたし、自分から「情報を取りに行く」という発想もありませんでした。
そして、30年が経過し「誰が、どういう風に、日本人を帰国させたのか?」が公表され、当時の悲惨な状況が走馬灯のごとく脳裏に蘇り、改めて自分が「歴史の瞬間の一片」に関わったことの重大さに震えています。
天安門前の長安街で、事件を鎮圧するために現れた何台もの戦車の車列の前に立ち、行く手を遮った男性の映像は、その後「無名の反逆者」(the Unknown Rebel)と呼ばれ、世界中のメディアが報じましたが、日本の大使館員は「無名の英雄」として、邦人救出に身を呈していたのです。
大使館員たちの必死の救出劇で、事件に絡む邦人負傷者は2人にとどまり、ANAとJALが飛ばした救援機は6~8日で計10便。留学生を含む合計3,133人の人たちが無事帰国しました。
…あれから30年。中国は大きく変わりました。ものすごい速さで変わりました。
車道を埋め尽くす自転車の列や人民服が日常着だったことを知らない若者の時代になってしまいました。
6年前に深センに滞在したとき、外国人が泊まるホテルやレストラン、あるいは富裕層が行くゴルフ場に「出稼ぎ」できている中国人女性の多さに驚きました。
“彼女たち”の多くは子供を故郷に残してきた、お母さんでした。衝撃的だったのは富裕層の人たちの“彼女たち”に対する態度です。
実に冷ややかで、命令的。経済的格差が身分格差であり、それが「階級」として定着していると痛感させられました。
格差社会なら本人の努力次第で成り上がることも可能です。しかし、階級社会では「落ちる」ことはあっても「上がる」のは至難の技。階級は「学歴、職業的地位、所得」などの社会的経済格差が重なりあい構成されているため、「持てる物」と「持たざる者」で分断され、世代を超えて引き継がれていきます。それを目の当たりにしたのです。
中国ではNHKの海外テレビ放送のニュース番組で、天安門事件に関する部分が突然真っ黒な画面になり、放送が中断したと報じられています。経済発展が進む中、中国政府は天安門事件を「なかったこと」にしようとしているのです。
そして、日本でも「あの頃の中国」を知る若者はいません。「中国」といえば「爆買い」。そんなイメージだけになってしまいました。
中国の民主化運動の象徴的存在で、2017年に死去した人権活動家の劉暁波氏が2009年に書き、2010年のノーベル平和賞の授賞式で読み上げられた文章の一節を記します。
私には敵はいないし、恨みもない。私を監視する人も、取り調べる警察官も、起訴する検察官も、判決を言い渡す裁判官も、皆、私の敵ではない。私は彼らの仕事と人格を尊重する。恨みは個人の知恵や良識をむしばみ、社会の寛容性や人間性を壊し、1つの国家が自由で民主的なものへと向かうことを阻む。
私は望んでいる。私の国が表現の自由のある場所となり、異なる価値観や信仰、政治的な考え方が共存できるようになることを。私は望んでいる。私が、中国で、文章を理由に刑務所に入る最後の被害者となることを、そして、今後、言論を理由に罪とされる人がいなくなることを。https://www.mag2.com/p/news/400888?utm_medium=email&utm_source=mag_W000000001_thu&utm_campaign=mag_9999_0606
・・・尊敬する三宅博先生
ブログのティールーム
往年の名ソプラノ、レジーヌ・クレスパンが歌うデュパルク作曲「旅への誘い」
・・・美しいが悲しい歌、天安門事件のことでブログに記事を貼っている時、なぜかずっとこの旋律が頭の中で流れた。この悲しいあきらめの旋律、・・・日本政府の対応の記事を読んで特に悲しい旋律が・・・天安門事件とこの曲とは関係ないのだけれど。
Régine Crespin; "L'invitation au voyage"; Henri Duparc