岸田・バイデンの会談は日本国民の支持など得られない。
日本は戦争に参加できる状態ではない、国民を戦火から護る手立てもない。
「憲法改正」というがその内容もテーマだけで内容は「憲法改悪」が待っている。
戦える国=護国とはいえない現状を知っている。ドイツでも「戦争はこりごりだ」と度重なる戦争を経験してきただけに、ドイツ国民の本音である。(昨年亡くなられたジャーナリストのクライン孝子氏からじかに伺った)(ブログ主)ところで長谷川幸洋氏によると・・・
日米の枠を超えた会合
「日本は米国と一体には動けない」という事実
いくら共同声明が「グローバルなパートナー」とか「地球規模の協力」などと美辞麗句を並べても、実際には「日本は米国と一体には動けない」のである。
バイデン政権とすれば「日本はさっさと憲法を改正して、真のグローバル・パートナーになれ」と言いたいところだろうが、それを言ったら、内政干渉と反発を招き、岸田政権も苦境に立ってしまうので、あえて言わない。それが真相、と私は思う。
岸田首相は1月の施政方針演説で「自民党総裁の任期中に憲法改正を実現するため、最大限努力したい」と語った。だが、9月の任期終了までに、改憲が実現するなど、誰も思っていないだろう。私は、まったく期待していない。
バイデン氏は岸田首相を追い詰めなかったが、もしも11月の米大統領選でドナルド・トランプ前大統領が復活すれば、どうなるか分からない。バイデン政権以上に日本に役割を果たすよう、期待する可能性もある。そうなれば、憲法改正は、これまで以上に待ったなしの課題になる。
全文は 「岸田・バイデン」日米首脳会談で語られなかった「ほんとうの問題」…日本が抱えている「致命的な弱点」の正体 (msn.com)
★ ブログ主・・・もしトランプが大統領になればイランに厳しい態度をとるので、日本は対イランではないので日本の立場は苦しくなるだろう・・・アメリカにとって日本に「憲法改正」をさせ、アメリカの属軍にしたい、それゆえのアメリカ側の岸田首相演説に対する「大拍手」だったと思う。
私は「憲法改正」について、このような世界情勢の中で利点より日本が戦火にまみれる可能性が大きいと感じている。何でも「憲法改正」と言っておけば「保守」なのではない。しかも今、まともな論がないのだ。
日本の置かれた現状を考えれば「調停役」として活躍を望む。お経を唱えるように「憲法改正」を言えば保守というのは現状に責任を持っていないということ。そして今の中国を過剰なまでに刺激するのも正直なところ危険だ。日本は日本としてきちっと考えていかないと亡国となる。
「憲法改正」と言えばナントカなるのではない。冷静に考えたい。私は現状を見てそう考える。
ある自民党議員はこう言った。私はじかにその場に居合わせて聴いたのだ。
>シェルターだって? そんなおカネはどこにもありませんよ。
戦前戦中の日本は自前で防空壕を作っていました。今では舗装されていてそれはできませんけれどね。
・・・そして支持者からは「徴兵制復活」を言う人もいた。
さらに「現代の兵器は高度化され専門的知識と経験が必要だから素人を徴兵しても意味がないので徴兵制はありえない」という説もあるが、ウクライナが年齢を指定して徴兵制で戦っていることも、ロシアが強制的に戦地へ民間人を送っていることを見ても、それはありえない。
予想した通りだった。いかにして戦争を避けるか、今はそれを考えるべき時で、国民の命を護るには「憲法改正」の掛け声で無責任に煽ったり無知ゆえに安心したり、それに政治の土台がなっていない。
賢明な政治家が少なすぎる。
日本の限界を超えた危険な政策やそれを軽く信じてふれまわることはやめるべきだ。
もうひとつ「臣民」などと言って(自分自身がそれでいいのだったら問題ないが)他人に強制するような、また別の意見を持つ人に対して「威圧的」な態度をとる人たち、賢明な人たちではない。
安倍カルト、がおかしな「正義感や正当性」を持ってそれを振りかざす人達がいる。
岸田首相がとった今回の日米会談も安倍氏から引き継いだものだ。それは百田氏の「日本保守党」にも大勢いる。百田氏は安倍政権の間違いをハッキリ言うべきだ。でないと私は納得などできない。
百田氏の軽さ、またその周囲の人たちの便乗というべき安っぽい考えである。
また左右ともに「人権ゴロ」という人もいる、この言葉でハッとする人も多いだろう。「人権」は大切だがそれが言論弾圧につながることもある。正義という旗を押し立てて暴力をもって威圧する組織がある。
私はじかにそういうことを見て知って心配している。
これは正論をおびやかす危険さを持っている。これがファッショにつながる危険性も感じ、本当の「人権」とは真逆の締め付けに道をはずす危険を思う・・・。私はこういうのをよく見てきた。賢明な路線ですすめるべき。また、逆に性被害を受けた女性を「左派だ」「枕営業」などと断定して追い詰めることもある。
「こんな人たち」「アベガ―」と言って異論を蹴散らすのもいる。共に許しがたい。
左右ともに「便乗型」は話にならない。人それぞれ日本を思って意見を重ねることを期待し、また日本という祖国への責任と思う。(身の危険を感じない環境が必要だ、身体的だけでなく精神的にも脅かされることのないように)
ブログのティールーム
プッチーニ「蝶々夫人」~ある晴れた日に ソプラノはイタリア出身のガブリエッラ・トゥッチ。
子供時代の私がテレビではじめて本格的なイタリアのソプラノを聴いたのがトゥッチで、一瞬にしてその美声のとりこになった。
蝶々夫人はけなげなヒロインだが、声はアイーダを歌えるような強靭さが必要。
晩年のトゥッチと話せるチャンスがあったことがなつかしい。
その時に演奏会用の彼女の靴を拭いて箱にしまっている夫君のフィロー二氏とも話した。
靴の手入れをしているフィロー二氏はかがんだまま、私と話す姿勢で申し訳なく、はやく切り上げたが・・・
弟子だったトゥッチを世界的な名歌手に育て上げたフィロー二氏は彼女を妻に迎え、舞台の袖で「もっと深く息をして」「そう、うまくいった」と指示をしていたのも有名だ。(カーテンの陰で指示をしている姿も見えた。私が直に接した当時トゥッチは70歳を超えていたが、それでも子弟関係は続いていたんだなあって思った。
Gabriella Tucci - Puccini - Madama Butterfly - 'Un bel dì vedremo' - 1964