ステッラは戦後まもなく、はじめて来日した名歌手のひとりで、その時の「イタリアオペラ」のメンバーには、メッツオ・ソプラノのジュリエッタ・シミオナート、バリトンのタッデイがいて、「原爆」で苦しむ人々のためのチャリティーコンサートを開いた記録が残っている。
イタリアの芸術家は親日であった。オペラ上演の可能な音楽ホールもなく、宝塚を借りて演奏したという。
次回に参加したマリオ・デル・モナコは上野駅で傷病兵のため、歌った。
帽子をぬいで、その中に義捐金を、と呼びかけながら。
もちろん、駅にいた傷病兵のために・・・。
これは最高です!!・・・1960年、ニューヨークのメトロポリタンでのライヴ
ANTONIETTA STELLA & ETTORE BASTIANINI Il Trovatore "Qual voce!...come... tu, donna?"
日本でも上演されたヴェルディ『トロヴァトーレ』より2重唱
バリトンはエットレ・バスティアニーニ、もちろん日本でもこの二人でした。
ステッラとバスティアニーニはヴェルディのオペラ最高の組み合わせと称賛されました。
しかし、この後まもなくバスティアニーニは40代の若さで急逝してしまいます。
あとを継ぐのは「いぶし銀」のカップッチッリでした。