毎日暑くて体力・気力消耗、もうどうにかならないものかと思う。
思い切って「避暑」に出掛けたいが、それも今から企画するのも面倒。
今日など夕方からは涼しくなったし風もあってそろそろ「秋の気配」を感じる。
また3つの台風が来るなど、心配も多い。
今年の夏はオリンピックで日本選手がよく頑張っている。
しかし私はほとんどテレビで見ることもできなかった。
それは北朝鮮のミサイルやチャイナの尖閣周辺にかなりの船が来ていたこと。
毎日が不安で「日本はどうなるのだろう」と気が気ではなかった。
そんなことはマスコミではほとんど報じられず、「何事もない」ようである。
今までの外国の脅威もほとんど知らされていないのではないかと思う。
あってもほんの少しであり、全国民に訴えるような迫力はない。
尖閣沖で中国漁船が沈没 海保が乗員6人を救助 (海上保安庁提供)
上記の動画を見てこの困難な中での中国人救出に、海保の方々の命がけの任務に「頭が下がる」どころではない。
申し訳なく、命をかけて中国船に対応し、またギリシャの船とぶつかって海に放り出された中国人を救出する気高い姿に
何とも言えない気持ちだった。中国からは称賛のツイートがいっぱいあったということである。
心無いプロパガンダが日本国内国外を問わず溢れていて、日本政府は海外には何も日本の名誉を護り、流布されてきた悪意あるプロパガンダに手を打っていないのだ。
ブログのティールーム
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/5f/8a/99f7b4656045f9502c8c5c9a9b97e20e_s.jpg)
★ マリア・カラスが歌うポンキエッリ作曲『ラ・ジョコンダ』より~ジョコンダはエンツオとラウラに「ジョコンダのことを忘れないでね」、と歌う。エンツオとラウラは感動。
~ヴェネツイアの場末の貧しい歌手ジョコンダは、身分違いだが秘かに憧れる貴族の青年エンツオ・グリマルドと母の命の恩人でエンツオの恋人の美しい貴婦人ラウラを追っ手からそっと逃す名場面。
(この場面のあと、ジョコンダは追っ手のバルナバと対峙し、自殺という悲劇。物語の原作は「レ・ミゼラブル」で有名なユゴーです。)
カラスの声は決して「美声」ではないが、その歌は詩と音楽に魂が宿りひとつひとつのフレーズが一体となって不思議な表現となる。
Maria Callas : La Gioconda Amilcare Ponchielli - A Te Questo Rosario - ClassicalExperience(イタリア語歌唱)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/pen.gif)
もともとは政治評論家の佐藤健司氏が私へのコメントに「日本はポンキエッリの『ジョコンダ』のように自殺か?」ということをお書きになったので
日本の自殺など冗談じゃない、しかしこのカラスの歌唱は素晴らしい。
でも本当のことを言えばヴェルディだったら(ポンキエッリの作曲の師匠)こんな風に書かなかっただろうな・・・と思う。
ヴェルディはヒロインのフィナーレにおけるアリアには神々しさまで感じさせた作曲家であった。
それに比べポンキエッリはフィナーレ近くになってどうも曲が荒いのだ。それに品格ある曲とは思えないところがある。
それを天才カラスは知りながら「低音域」を充実させながらヴェリズモ(現実主義)風に歌ったのかと思った。
ヴェルディだったら終幕は「天上的ピアニッシモ」の如く世の退廃を浄化して超越したような作風なのだが。
カラスの歌唱は独特の魅力があってポンキエッリの作品を超えるかな・・・。
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Maria Callas - Suicido! - La Gioconda 1952 Studio with Sound Externalisation GREAT SOUND!
マリア・カラスは私生活では不幸な人だったと思う。男性には恵まれず失恋の連続?だったようで。
しかしなぜあんなオナシスなんかに・・・わからない。社交界に入って地道な声の調整を怠り、これで声がだめになったと思う。