天皇讃歌とも受け取れるこのテキストの内容,現行憲法下で国歌と言うにはいかがなものか,という主旨で国歌演奏に反対する意見もある。アメリカが押し付けていった現行憲法は,そこまで絶対視できるのだろうか?天皇制があることでどれだけのメリットが生じているかを考えれば,ことはそれほど単純な問題ではないだろう。
しかし,調べてみると,もともと「君が代」ではなく「わが君は」だったという。紀貫之が改ざんして収録した「和漢朗詠集」が後世に伝わり,明治時代,大山巌が国歌に推挙したという歴史があるようだ。
ところが,この「君が代」には二重の意味が込められていた。それが福岡市周辺の地名だという。
「千代に八千代に」
県庁のあるところが千代町。 福岡県民なら皆知っている地名だ。
「細石の」
JR筑肥線波多江駅から南に約3km進むと細石神社というのがある。全く細かくない大きな石が御神体として置いてあるそうだ。近くに「伊都民俗資料館」がある。いわゆる「魏志倭人伝」に出てくる「伊都国」である。
「いわお」
その細石神社から南7kmほどのところに「井原(いわら)山」というのがある。井原の尾,裾野という意味で「いわお」。
「こけのむす」
福岡県糸島市志摩船越にある若宮神社,ここに「古計牟須姫(こけむすひめ)」こと「磐長姫(いわながひめ)」が祀られている。猿田彦の長女で,次女が木花開耶姫命(このはなさくやひめ)。コケムスヒメは苔牟須売神とも書き,不細工だったという説と,本当は美女だったという説がある。ニニギノミコトはコノハナサクヤヒメを娶る。まあ日本書紀は都合の悪いことは改ざんしてあるだろうから,本当は美女説を信じよう。
なぜコケムスヒメなのかを探っていくと縄文の神だの卑弥呼だのが出てくるので,それ以上は立ち入るまい。「君が代は九州王朝の讃歌」という本まで出ていた。
いずれにせよ,福岡で君が代を演奏するのは,大変意義深いのではないかとまで思えてくる。演奏反対の人々は,このようなことを知っていたのだろうか?
多分,知っていたのだろう。なぜなら,千代町の近くに九州大学の箱崎キャンパスがある。それ以外の地名は全て九州大学が今移転を進めている前原市の近くだ。君が代が間違って九州大学讃歌に受け取られてはいけない,という危機感に駆られた人々が,君が代演奏に異を唱えたに違いない。
さあ,エイプリル・フールも残りわずかだ。おやすみなさい。