井財野は今

昔、ベルギーにウジェーヌ・イザイというヴァイオリニスト作曲家がいました。(英語読みでユージン・イザイ)それが語源です。

万博記念公園

2010-04-04 08:38:18 | まち歩き

予定が変更されて,数時間が急に空いた。立っていた場所は新大阪駅近く。目の前に大阪市営地下鉄御堂筋線が走っている。関西圏で最も長い歴史を持つ路線だ。東京の銀座線,丸の内線と同様,第三軌条方式(架線からでなく電気を流す専用のレールから集電する)で電車なのにパンタグラフがない。でも銀座線よりモダンでかっこいい,と私は思う。

これが梅田駅あたりだと,頭の中で自動的に欧陽菲菲の「雨の御堂筋」が流れるのだが,新大阪では流れない。ヴァイオリン仲間の一部では隣駅の「西中島南方」が特別な感情をひき起こす,と学生時代に聞いたが,私は違う。この北側には北大阪急行という4駅しかない私鉄があり,その昔は大阪万博の会場まで行けたはずなのだ。

1970年開催の日本万国博覧会,行きたくて行きたくて,たまらなかった。で,ついに行けなかった。これほど夢のある催し物,行けなくて悔しかったものは,後にも先にもない。今後もまずない。

行けなかったのが本当に残念だった。当時は今程,大阪が近くにはなかったから,行くだけで大変だったのだが,行けば充分お釣がきただろう。

大人になって,万博の類いはいくつかあった。今度こそ逃してなるものか,と1985年,筑波の科学万博には仕事も含めて都合4回行った。でも,当時の気持ちが満たされるものではなかった。
その後も,1990年大阪の花と緑の博覧会,2005年の愛・地球博,と行ったのだが,満たされない気持ちを抱えたままである。さすがに悟った。あの「子供の頃」に観ないとダメなのだ。

ガックリである。博覧会ごときで,と今の人は思うだろうが,所詮松鶴家千とせだ。この「夢」は,当時生きていた人しかわからないし,悔しい思いも当時行けなかった人しかわからない。

だけど,その「夢の跡」で良いから観てみたい,と常々思っていた。でも,そこで勝手に往時に思いを馳せながら「ひたりたい」ので,ふらっと一人で行くに限る・・・ん?・・・あっ,そうか,今行けばいいんだ・・・。

という次第で,過日初めて大阪の万博記念公園に向かうことができた。

北大阪急行の終点千里中央駅は,ショッピング・モール等も含む,ちょっと洒落た乗り換え駅。ここから大阪モノレールに乗る。これは営業キロ数が世界一長いモノレールだそうで,ギネスに認定されている。ただ,大阪万博の20年後に開業とのことで,当時は,北大阪急行の東西線というのが,現在の中国自動車道の敷地を走っていたそうだ。

折しも,大阪万博から40年,ちょうど「鉄鋼館」を改装,EXPO'70パビリオンとして当時の「立体音楽堂」を再現,などというポスターも目にした。これはいい。鉄鋼館の音楽と言えば武満徹の仕事という知識が,頭の片隅にひっかかっていた。

万博記念公園駅で降りる。かの有名な「太陽の塔」を初めてナマで見る。何とも不思議な塔だ。顔が二つあるような感じで。万博の凄さを実に象徴している。

二百数十円払って園内に入る。鉄鋼館はその東奥だ。前川国男の設計とかで,なるほどコンクリート打ちっぱなしにガラスの壁面,東京文化会館,熊本県立劇場と同じだ。

さて,いよいよパビリオンに入ろうか,と思ったのだが,時計を見た。駅からここまで10分以上かかっている。それから計算すると,ここに滞在できるのは10分程度,それで帰らないと,後の予定に差し支える・・・。

あーあ,よくよく縁がないなあ。ここの前に数分たたずむのに40年を要した。次来れるとして,いつになるやら。せめて爺さんになる前には訪れたい,と思いながら,再び大阪モノレールに乗ったのであった。