ピアノの友人が,かれこれ20年は言い続けている。「ヴァイオリンの人達が,コンチェルトばかり弾き続けるのは,絶対に良くないと思う」
20年間,主張し続ける人はご立派!
確かに,ピアニストはみんなソナタで育つ。それによって,音楽というのは,どのように組み立てていくものなのか,体でわかる訳だ。ある年の学生音コンは,しっかりそれが試された良い機会になった,と以前にも書いたことがある。
片やヴァイオリン,さあ,この駆け上がり,行くぞ,はずすなその音,よし、決まった,次は重音,こっち高め,こっち低め,よーし・・・とスポーツだかサーカスだかと見紛うばかりのことのみ考えている時間が長い。たまには(?)音楽作りも考えたいものであるから,かの友人の説は正論である。
で,時々小学生同士の二重奏を聞く機会があり,この問題とは正面から向き合うことになる。なぜコンチェルトばかりなのか,一番考えられる要因は,ソナタでは演奏技術の習得が効率良くできないことだろう。
あのパールマンが言っていた。
「ピアノは押したら音が出るから,すぐ解釈の問題にいける。ところがヴァイオリンときたら,音が出るまでにいろいろやらなきゃならないから,なかなかそこには到達しないんだ。」
どんな楽器でも,最初に「楽器を鳴らす」訓練から始まる。鳴らないことには始まらない。コンチェルトは「鳴らしまくる」形態だ。この訓練にはうってつけである。
これがニ重奏ソナタになるとヴァイオリンがピアノの伴奏をする箇所も出てくる。フォルテも弾けない人がピアノで弾くなんてことをしていたら,楽器がいよいよ鳴らなくなっちゃうよ,と指導者は心配してしまう。
なので,バロックのソナタならば伴奏部分がないのでOKとなる。ヘンデルが重用される所以である。
ならばバッハもOKだろうと,小学生に弾いてもらったことがある。結論はNG。
できなくはないが,かなり難しい。バッハのチェンバロとのソナタは,いわゆるバッハのポリフォニー楽曲で,始まったら最後までテンション張りっぱなしなのである。小学生には過酷だった。
これがヘンデルだと,しばしば中断があるのでOKとなる。
同じような理由で,ベートーヴェンも向かない。フレーズの長いものが多く,仮にフレーズは長くなくても,たたみかけるように続くベートーヴェンの音楽は途中で息つぐ暇もなく,やはり小学生には無理がある。
という次第で,フレーズの長い曲が多いために子供は敬遠,これが二つ目の理由。
ではフレーズの短いモーツァルトはOKか?
ここで三つ目の理由が浮上する。ニ重奏ソナタは相手あっての物種,一人では学習できない。殊にモーツァルトはオブリガートつきピアノ・ソナタが大半を占めるため,ピアノ同伴でないと音楽作りの勉強はできない。
モーツァルトほどではないにせよ,他の作曲家の作品もピアノ無しでは音楽にならない。このあたりが,コンチェルトやバロックのソナタと大きく違うところだ。
とは言え,音楽作りの学習も取り入れたいからドヴォルジャークのソナチネくらいやっても良いような気はする。大人の学習者であればソナタもお薦めできる。
昨日会った小学生「将来の目標は『メンコン』です!」と言っていた。ソナタがやりたい訳ではない,というのも一般的な姿であろう。メンデルスゾーンに早く到達するには,ソナタなどで時間を取られたくない,という本音もあるかな?
とにかく上述のような理由が確実にあるのだから,堂々とコンチェルトや小品ばかりやり続けるとしようか。