井財野は今

昔、ベルギーにウジェーヌ・イザイというヴァイオリニスト作曲家がいました。(英語読みでユージン・イザイ)それが語源です。

バレンボイムのマスタークラス

2010-11-05 07:02:22 | 音楽

数年前にNHK-BSで紹介されたから、大抵はご存じかと思いきや、案外まだご存じ無い方も結構いらっしゃるようなので、一応紹介しておく。

あのバレンボイムが、7回シリーズで若手ピアニスト相手に公開レッスンをするのだが、初回が何と「ラン・ラン」。数年前の番組とは言え、すでに国際的な活躍をして有名な存在にも関わらず、敢えて生徒役なところが否がおうでも目をひく。

番組の始めにまずランランがベートーヴェンの「熱情」ソナタの第一楽章を弾く。あのランランが弾くのである。悪かろうはずはない。バレンボイムもその音色や情熱等、良いところはまず褒めた。

その後である。バレンボイムが「あえて、基本的なことを言おう」と語り始める内容は、本当に基本的なことだった。

まず、拍子を数えること、数えた上でテンポを守ることである。

例えば序奏も主部も、3拍伸ばしてから4拍目を演奏しなければならない箇所がある。ここでバレンボイムが「1、2、3、」とカウントを入れる訳だ。激しくても、穏やかでも、同じテンポである。

文章にすると当たり前のことにしか見えない。ところが実際、ランランはそう弾いてはいなかった!

これはザハール・ブロンの公開レッスンでも見た光景、聞くところによると、ヨーロッパの講習会では日常的に繰り返される光景、ついでに書けば、筆者も大学に入りたての頃、田中千香士先生に同じことをされた。

なので「ランランよ、お前もか」と、ちょっと嬉しくなったりするところもある・・・。

もう少し学術的に分析すると、つまりランランといえども、アジア的感性でベートーヴェンにアプローチしていた、ということになる。これは良い悪いは別にして、ヨーロッパ人の方法論とは異なる、ということだけはっきりする。

番組の合間に少しだけランランのインタビューがはさまるのだが、曰く、このような「様式」は中国では全く教えてもらえなかったから、今は少しでもこのようなことを学びたい、とのことだった。

なるほど、中国でもまだ様式については教育が行きとどいていないのか、と思われた。(ただ、これについては、あの広い中国のことなので、詳しくはわからない。ランランは瀋陽という北部中国の出身である。南部の中心、上海のグループは全く流派が異なるので・・・。)

バレンボイムは、熱情ソナタを熱情的ではなく、淡々と冷静に分析しながら、考え方を示した。ここは質問、ここは注釈commentary、というように。そして全体を通す戦略strategyが必要だと説いた。

圧巻は「一音でもクレッシェンドはできる!」

ピアノは通常、鍵盤を押して音を出したら、一方的に音は小さくなっていくものだ。物理的に、その後に大きくしていくことはできない。ところが、バレンボイムが弾いたら本当に一音でもクレッシェンドしたのである!

これには会場が興奮した。レッスン後の質疑応答の時間に、それを質問したピアニストがいた。

バレンボイム曰く「これはイリュージョン、種を明かしたらイリュージョンじゃなくなるよ」

と一旦はかわそうとしたが、親切にも説明を続けてくれた。

「昨日までのいやなこと、彼女との何とか、お母さんとの買い物の約束、全て忘れてクレッシェンドに集中するんだ。」

そして参考になるかどうかわからないけれど、と言ってホロヴィッツから言われたことを披露したのである。

録画を意地悪く、その箇所だけ再生すると、イリュージョンは起こらず、一音のクレッシェンドは聞こえてこない。イリュージョンは一回だけなのである。

本当に興味深いマスタークラスであった。