井財野は今

昔、ベルギーにウジェーヌ・イザイというヴァイオリニスト作曲家がいました。(英語読みでユージン・イザイ)それが語源です。

落書きと創造性

2015-11-25 23:31:14 | 日記・エッセイ・コラム

史跡や公園の施設に落書きをしてはいけない。これは当たり前である。

だが、その落書きが、例えば百年以上残っていたりすると、落書き自体が歴史的資料になってしまう。

だから、どうせ落書きをするならば、百年以上未来の人に向けて書いた方が良い、


と言いたい訳ではない。


ふと、昔の東京芸大の練習室の落書きを思い出したのだ。
大半がくだらないものだが、時々感心してしまうものもあった。

ドレミファソラシドの楽譜があって、最後のドだけオクターブ高く書いてある。

これは「高井戸」(東京の地名で、高いド)、というなぞなぞ。

次のドレミファソラシドは、シとドがオクターブ高く書いてある。

これは「下高井戸(しもたかいど)」

貴重な?情報もあった。

「黛敏郎の髪はカツラである」
その下に黛先生の似顔絵があり、吹き出しに「芸能界には知られたくないなぁ」とあった。

これには驚いた。当時、題名のない音楽会の司会者で、私の管弦楽法の先生でもあった。

お会いする度に、髪の生え際を凝視してしまう。
すると、日によって生え際の位置が違うようにも見えた。

それでも決め手に欠けるなぁ、と思い、黛先生の昔の写真を探したのである。(私も閑人だな。)

すると、一葉だけ、髪の非常に薄い写真を見つけた。同級生の作曲家、矢代秋雄とのツーショットだ。

決定的かどうかはわからないけれど、これで「カツラ説」を信じることにした。ロマンスグレーのカーリーヘア、こんなカツラ、他に見たことがなかった。さすが黛先生、と思った。

そんな落書きが、ある日、改修工事ですべてなくなる日が来た。

すると、ここぞとばかりに、あらゆる壁に落書きをした学生達がいたらしい。

どうせなくなるから問題は生じないだろう、と思ったのが学生の浅知恵。
計画されていた改修工事は案外小規模なもので、壁はそのまま残る予定だったらしい。

おかげで、想定外の経費がかなりかかり、学生代表がかなり怒られた、かどうかは定かではない。

普通だったら「だから勝手に落書きなぞするな」で終わる話だ。ちなみに私達の学年は上級生らしく?落書きはしなかった。

さて、それから数十年経って…

落書きした学年は、その創造性を音楽面に活かしたと見えて、あちこちで活躍する姿が見える。
一方、落書きしなかった学年は、ずっと大人しく…

大人しくと大人らしく、似ている、

ちょっと違うのだが。

落書きも、創造性の発露なのだ。
普通の大学ではないのだから、一律「落書き禁止」で良いのだろうか。

まぁ、良くないとしか言えないだろう。落書きでない形で創造性を発揮せよ、ということだな。


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