その後の『ロンドン テムズ川便り』

ことの起こりはロンドン滞在記。帰国後の今は音楽、美術、本、旅行などについての個人的覚書。Since 2008

東京の「坂」特集(東京・早朝寺社巡りラン 付録)

2020-09-19 07:30:00 | 日記 (2012.8~)

東京に坂が多いことは自明だが、今回、お茶の水、上野界隈の早朝ランで、改めて色んな坂があるものだと実感した。

水道橋のホテルを出て、駿河台の台地を上る。駿河台は、もう何十年も前だが某予備校に1年間通ったのでそれなりに知っているはずなのだが、こんなところに階段があったなんて知らなかった。途中で踊り場があって緩やかな「女坂」ともっと急な「男坂」がある。


〈女坂〉


〈男坂 確かにこっちのが急勾配である〉

お茶の水の駅前の交差点を通過する際に、設置されていた観光板を読んで驚いた。お茶の水駅の北側には神田川が流れ、深い谷のようになっているが、「古くは北側の本郷台(湯島台)と南側の駿河台が一続きで「神田山」と呼ばれていたが、2代将軍徳川秀忠の時代に、水害防止用の神田川放水路と江戸城の外堀を兼ねて東西方向に掘割が作られ、現在のような渓谷風の地形が形成された」(Wikiより)とのことである。この谷間は人手でつくられたものだったのか・・・


〈この地形は人工的なものだったとは・・・〉

その本郷台(湯島台)の上に神田明神は建っているが、ここにも「(明神)男坂」と「(明神)女坂」があった。続いて訪れた湯島天神もやっぱり高台に位置している。ここも「男坂」と「女坂」。こんな半径2-3kの中に何個の「男坂」と「女坂」があるのだろう。


〈神田明神の東側〉


〈湯島天神の横の男坂〉


〈湯島天神横の女坂〉

根津神社の脇にはエス坂という奇妙な名前の坂があった(写真は撮ってない)。この近辺に住んでいた森鴎外がこの坂を小説『青年』で描いており、その小説にちなんでS坂と呼ばれるとのこと。さらに進み、東大に向かうところにも素適な名前の坂が。「異人坂」と言って、昔、坂上に東大のお雇い外国人教師の官舎があったらしい。日本の医学の発展に貢献したドイツ人ベルツも住んでいたという。


〈異人坂〉

お茶の水近辺に戻って改めて気をつけて見ると、周りは坂だらけだった。もう一つ一つ写真撮るのも面倒くさくなったので止めてしまったが、印象に残ったのをあと一つだけ。「幽霊坂」。「坂の両側は大木が繁って、人通りも少なく、淋しい道であったので、俗に幽霊坂と呼ばれました。」とのことである。


〈幽霊坂〉

東京の町としての歴史は400年程度だが、土地には様々な歴史が刻み込まれている。こんな楽しい観光ランニングができるところはあまりない。

コメント
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