1969年秋、当時中学三年だった私は、翌年の高校受験を控えて、受験勉強に明け暮れていた。
というのは嘘で、競争率1.0何倍台の田舎の普通高校に、中学のトップクラスの私が落ちるはずもないので、勉強はそっちのけで、ギターの練習に精を出し、洋楽のレコードを聴きまくっていた。
ギターは、当時創刊間もない「ヤングセンス」や「guts」を教則本として、独学でシコシコ弾いていた。
洋楽のレコードを聴き出したのもその頃で、ちょうどGSブームが終焉近くなり、それを凌駕する勢いの英米ロックやポップスにシフトして行ったのだ。
曲はラジオから流れるヒットナンバー中心で、お気に入りのアーティストはおらず、曲が気に入ったら音楽雑誌等でアーティストを調べて、その新譜を追いかけるという具合だった。
ビートルズの「ゲット・バック」を初めて聴いたのもラジオ番組でだった。
ビートルズの名前や、数年前に日本に来たのは知っていたが、曲は、あの「イエスタデイ」さえも知らなかった。
ベンチャーズのほうが、当時の私にはポピュラリティが高かった。
そんな私だったが、「ゲット・バック」は、他のアーティストのヒット曲とは明らかに違っているのがわかった。シンプルで軽快なロックンロールナンバーだが、完成されているという表現がぴったりの曲だった。聴いた翌日にはシングル盤を買いに行った。
後になってわかったことだが、その年でデビュー7年目の円熟期、「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」で頂点を極め、それを一度スクラップして「アビイ・ロード」で完成の域に達する、その一歩手前の曲だったのだ。
私の直感というか、選曲眼も大したものだったのだ。
ビートルズに関しては「ゲット・バック」を聴いて以来、雑誌や書籍で過去へ遡って調べたり、友達の兄貴が持っていた数枚のアルバムを聴いたり、有名な曲の歌詞を訳したりしてのめり込んでいった。
「アビイ・ロード」は町のレコード屋で売っているにもかかわらず、わざわざ輸入盤を音楽雑誌の通販で購入した。日本盤と違い、シワシワのビニールカバーで、紙質の悪いLPジャケットだったが、ナショナルのテクニクスで聴くサウンドは、グレート・ブリテンの息吹が感じられた(ような気がした)。
「アビイ・ロード」の内容や評価については、星の数ほどの論評が存在するので割愛することにする。
何回目かに聴いた時に、隠しトラックの「ハー・マジェスティ」を見つけた驚きは今でも覚えている。
というのは嘘で、競争率1.0何倍台の田舎の普通高校に、中学のトップクラスの私が落ちるはずもないので、勉強はそっちのけで、ギターの練習に精を出し、洋楽のレコードを聴きまくっていた。
ギターは、当時創刊間もない「ヤングセンス」や「guts」を教則本として、独学でシコシコ弾いていた。
洋楽のレコードを聴き出したのもその頃で、ちょうどGSブームが終焉近くなり、それを凌駕する勢いの英米ロックやポップスにシフトして行ったのだ。
曲はラジオから流れるヒットナンバー中心で、お気に入りのアーティストはおらず、曲が気に入ったら音楽雑誌等でアーティストを調べて、その新譜を追いかけるという具合だった。
ビートルズの「ゲット・バック」を初めて聴いたのもラジオ番組でだった。
ビートルズの名前や、数年前に日本に来たのは知っていたが、曲は、あの「イエスタデイ」さえも知らなかった。
ベンチャーズのほうが、当時の私にはポピュラリティが高かった。
そんな私だったが、「ゲット・バック」は、他のアーティストのヒット曲とは明らかに違っているのがわかった。シンプルで軽快なロックンロールナンバーだが、完成されているという表現がぴったりの曲だった。聴いた翌日にはシングル盤を買いに行った。
後になってわかったことだが、その年でデビュー7年目の円熟期、「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」で頂点を極め、それを一度スクラップして「アビイ・ロード」で完成の域に達する、その一歩手前の曲だったのだ。
私の直感というか、選曲眼も大したものだったのだ。
ビートルズに関しては「ゲット・バック」を聴いて以来、雑誌や書籍で過去へ遡って調べたり、友達の兄貴が持っていた数枚のアルバムを聴いたり、有名な曲の歌詞を訳したりしてのめり込んでいった。
「アビイ・ロード」は町のレコード屋で売っているにもかかわらず、わざわざ輸入盤を音楽雑誌の通販で購入した。日本盤と違い、シワシワのビニールカバーで、紙質の悪いLPジャケットだったが、ナショナルのテクニクスで聴くサウンドは、グレート・ブリテンの息吹が感じられた(ような気がした)。
「アビイ・ロード」の内容や評価については、星の数ほどの論評が存在するので割愛することにする。
何回目かに聴いた時に、隠しトラックの「ハー・マジェスティ」を見つけた驚きは今でも覚えている。