★★たそがれジョージの些事彩彩★★

時の過ぎゆくままに忘れ去られていく日々の些事を、気の向くままに記しています。

「やさしく歌って」と「うつろな愛」

2014年10月11日 23時58分12秒 | 音楽
 1973年4月、18年間の九州の田舎生活にピリオドを打ち、私は青雲の志を胸に京都の地を踏んだ。
 青春のモラトリアム、大学生活の始まりだ。

 下宿探しに出遅れたため、京都での最初の居住地は、通学に1時間以上もかかる、滋賀県との県境の新興住宅地の中だった。京都市内の茶舗が投資目的で買った一軒家を、遊ばせて置くのももったいないとの理由で、学生下宿として貸し出していたものだ。
 その一軒家の4部屋あるうちの、二階の六畳間が私の部屋だった。床の間、バルコニー付きで家賃は6,000円だった。バス、トイレ、台所は共用だった。

 私の大学生活はその下宿からスタートした。同じ下宿の和歌山出身のFや、大学で入ったフォークソング同好会を通じて、友達の輪が広がっていった。
 親や先生や先輩の目を気にすることもなく、自分の意志のままに生活できる喜びに、心は浮かれまくっていた。

 大学生活は予想通りに楽しく、京都の街は見るものすべてが刺激的だった。
 そんな時にトランジスタ・ラジオから流れていたのが、ロバータ・フラックの「やさしく歌って」だった。春の柔らかな日差しのようなメロディが、私の大学生活を祝福するように心に染み渡った。

 新歓コンパや友達に誘われて覚えた酒は、私に大人の世界への片道切符を与えてくれた。 昼の世界しか知らなかったそれまでの私は、居酒屋やパブに出入りするようになり、人生のもうひとつの側面を垣間見たような気がした。おぼろげな未来に思いを馳せ、ひとまわり成長したような錯覚に陥ったものだ。
  
 そんな時にジュークボックスから流れていたのが、カーリー・サイモンの「うつろな愛」だった。カーリーが力強く歌う哀愁を帯びたメロディが、ほどよくアルコールの回った私に、これから先の大人の試練を予感させるようにガンガン迫ってきた。
 
 今でもこの2曲を聴くたびに、懐かしいあの頃の思い出が、甘酸っぱい感覚と共に脳裏に浮かんでくる。
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