★★たそがれジョージの些事彩彩★★

時の過ぎゆくままに忘れ去られていく日々の些事を、気の向くままに記しています。

1974年6月7日(金)晴れ(当時の日記より)

2015年01月07日 22時43分40秒 | 徒然(つれづれ)
 午前7時起床。
 カーテンを開けると眩い朝の陽光が降り注ぐ。梅雨の晴れ間で、今日も暑くなりそうだ。
 ナショナル「ワールド・ボーイ」(注01)のスイッチを入れる。
 FM大阪からロバータ・フラックの「やさしく歌って」(注02)が流れてくる。

 歯を磨いて顔を洗い、先日買ったHalf(注03)のベルボトムジーンズ(注04)と、半袖のアーミーシャツ(注05)に着替える。
 今日は9時からの第1講が英作文の試験だ。

 京福八幡前の下宿を7時半に出る。
 8時に出町柳駅に到着。駅前のカミ家珈琲店(注06)でモーニングサービス。ここのコーヒーは京都でもピカイチだ。
 8時半に今出川通りから女子大ロマンスロード(注07)を通り、今出川新町の大学(注08)の教室へ向かう。
 9時5分前に着席。試験。10時半試験終了。7割ほどの自信。同じクラスのJとYに合流。

 3人でフォークソング同好会のボックスに行くが、まだ鍵がかかっている。
 正門前の同好会のフランチャイズの喫茶店「スペース」(注09)にも顔を出すが、知った顔はない。とりあえずコーヒー1杯で漫画を読みながら時間を潰す。
 
 12時に学食で好物のハンバーグ定食。
 顔見知りを見つけ、4人で近所の雀荘「グリーン」(注10)で4時頃まで麻雀。散会。

 今日は6時半から飲み会だ。
 5時前に市電で河原町三条へ出る。
 待ち合わせの時間まで、京都書院(注11)や十字屋楽器店(注12)で時間を潰す。

 6時半に居酒屋「静」(注13)入店。総勢6人。野郎ばかり。
 2時間ほど安酒を鯨飲し、二次会の四条木屋町のパブ「ビュッフェ」(注14)に向かう。
「ビュッフェ」でジュークボックス(注15)を聴きながら、カウンターのお姉ちゃんを冷やかし、ここでも2時間ほど馬鹿話。

「ビュッフェ」を出て帰宅する奴らと別れて、酒飲みのFとHと三人で、金曜の夜の河原町の雑踏を四条から三条まで歩く。
 川端三条上がったところの居酒屋「よしみ」(注16)へ。
 
 1時頃まで飲んで、三人でタクシーで下宿へ戻る。
 四畳半に男三人で雑魚寝。




 ***注釈***

注01.1970年代前半に一世を風靡したトランジスタ・ラジオ。AM/FM2バンドで、深夜放送や音楽番組を聴きまくっていた。

注02.1973年のロバータ・フラックのスマッシュヒット。多くの日本人歌手もカバーした。

注03.京都発祥のジーンズメーカー。ローライズのウォッシュタイプが京都の学生に人気。

注04.70年代のジーンズのメインはベルボトム。派生品がパンタロンやバギーパンツ。

注05.米軍払い下げの軍用シャツ。河原町三条の三信衣料が京都の元締め的店だった。

注06.京都でも知る人ぞ知る老舗珈琲店。昭和30年代のレトロな雰囲気がお洒落だった。

注07.同志社女子大から同志社大学へと続く小径。

注08.同志社大学新町学舎。英文科の本拠地。

注09.同好会の溜まり場。学生街の喫茶店を髣髴。クジラカツランチが旨かった。

注10.行きつけの雀荘。美熟女のママがいた。

注11.カラフルな美術書を中心に幻想文学やカルト本などの品揃えでマニアックな書店。

注12.京都のバンド小僧御用達の楽器店。

注13.学生や若いサラリーマン向けの居酒屋で、店内至る所に、店公認の学生達の落書きがあった。

注14.当時流行のお洒落なパブ。今で言うガールズバー。お値段は良心的。

注15.コイン式の大型蓄音機。カラオケなどない時代で、音楽はこれか有線放送。

注16.夜遅くまで開いてた居酒屋。最後はここで締めていた。
コメント
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