★★たそがれジョージの些事彩彩★★

時の過ぎゆくままに忘れ去られていく日々の些事を、気の向くままに記しています。

モノマネリサイタル

2015年03月12日 23時12分51秒 | 徒然(つれづれ)
 大学生の時に友達10人程が集まって、私のモノマネリサイタルを開催したことがある。
 今でこそ、モノマネ番組が隆盛を極めているが、1970年代半ばのその当時は、モノマネ自体がまだ珍しかった時代だ。
 
 場所は行きつけの河原町の飲み屋。
 6畳程の座敷で宴会をやり、ある程度アルコールが回ったところで、主役の私がトイレでスーツに蝶ネクタイのステージ衣装に着替えて登場した。
 まずは先輩や仲間内のモノマネから、京福電車の車掌や、近所のパチンコ屋の店内放送のマネで場の雰囲気を盛り上げる。
 その後は、上田吉二郎、森田健作、田中邦衛、萩原健一、水谷豊、郷ひろみ、平山三紀、小野田寛郎さん、アントニオ猪木、ジャイアント馬場、高見山などの芸能人、有名人で佳境へ。
 
 ラストは、座敷の障子を開けて、他のお客にも全面公開のもと、誰かが持ち込んだ森進一のリサイタルのポスターの横で、友達のギター伴奏で「おふくろさん」を熱唱。
 色とりどりの紙テープを受けながら、フルコーラスを歌い切った後は、満場の拍手喝采でリサイタルは幕を下ろした。

 おまけは、飲み屋を後に二次会へと向かう途中の、新京極のど真ん中の、シャッターを下ろした洋品店の外側に備え付けられた螺旋階段の上から、ポスターを片手に「おふくろさん」を歌いながら降りてくるという余興だ。
 道行く人からの声援を受け、気分は絶好調の有頂天だった。

 あの頃私は確かにアホでした。
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私のアイドル達

2015年03月12日 21時57分24秒 | 徒然(つれづれ)
 アイドルに目覚めたのはいつの頃だろう。
 小学生の時は、これといって好きなアイドルはいなかったように思う。
 基本的にアイドルとは自分より年下、ギリギリ2、3歳上の同世代までが限度だったからだろう。
 中学の時までは、女性歌手にしても女優やテレビタレントにしても、まだまだ年上が多かったので、意識したアイドルはいなかった。

 はじめてアイドルとして意識したのが、高校一年の時、天地真理、小柳ルミ子とともに三人娘と言われた、私と同い年の南沙織だ。
 返還前の沖縄出身のエキゾチックな面立ちは、九州の片田舎の高校生にとって他の二人よりも親近感が持てた。

 それ以降、清楚な木之内みどり、コケティッシュな太田裕美、シニカルな石原真理子、アンニュイな小林麻美、可愛らしい菊池桃子、理知的な沢口靖子、上品な鷲尾いさ子、チャキチャキな森川由加里など、行き当たりばったり好きになっていた。

 私のアイドル遍歴にとどめを刺したのがキョンキョンこと、小泉今日子だ。
 特に「艶姿ナミダ娘」「渚のはいから人魚」「ヤマトナデシコ七変化」あたりのショートヘアは胸キュンものだった。
 
 恥ずかしながら、還暦の今でもキョンキョンのファンだ。
 五十路手前でも第一線で光り輝いている、あの存在感は最早アイドルを超越して女神だ。
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ビター・スウィート・サンバ

2015年03月12日 19時54分44秒 | 徒然(つれづれ)
 ネットのウクレレサイトで昔懐かしの「ビター・スウィート・サンバ」の楽譜とデモ演奏を見つけた。
 言わずと知れたオール・ナイト・ニッポンのオープニング・テーマだ。

 この曲を毎晩聴いていたのは高校1、2年の頃だ。
 当時はエレキギターを弾き、洋楽や日本のフォークを聴きまくっていた時期だ。
 
 しかし九州の辺境の町には、そんな話題で盛り上がるような知り合いはいなかった。
 夜、深夜放送を聴きながら、洋楽や邦楽のベストテンをチェックし、読まれる事のない投稿ハガキをせっせと書いていたものだ。
 
 「ビター・スウィート・サンバ」を聴くと、その頃の情景や、ヒットチャートを賑わした曲が走馬灯みたいに蘇ってくる。
 ゲットバック、ホンキー・トンク・ウィメン、紫のけむり、西暦2525年、マンチェスターとリヴァプール、ノックは三回、ラブ・ミー・トゥナイト、霧の中の二人、トレイン…懐かしいなあ。

 あの頃、小遣いを工面して、いっぱい集めたEP盤はどこへ行ったのだろう。
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