僕らの成長過程で、大きな役割を果たしたのが、教科書でも文学書でも、ましてや漫画でもない。
僕らの思考回路や人生哲学に多大な影響を及ぼしたのは週刊誌ではないだろうか。
インターネットなどなかった僕らの学生時代の情報源は、テレビと新聞、そして週刊誌だった。
中でも高校時代から定期購読していた、平凡パンチとプレイボーイは、僕たちの青春のバイブルといっても差し支えないだろう。
時事問題からサブカルチャー、連載小説、漫画やヌードグラビア、通信販売…若い僕らには情報の宝庫だった。
スポンジが水分を吸収するように、僕らは週刊誌から得られる情報を灰色の脳細胞にインプットしていった。
社会人になってからは、いわゆる大人の週刊誌、週刊文春や週刊新潮、朝日ジャーナルやサンデー毎日なども読んでいた。
インターネットの普及とともに、僕たちは週刊誌を読むことはなくなった。
電車の吊り広告やスポーツ新聞の広告で見る週刊誌の見出しは、今では何の想像力もかき立てない。
少なくとも僕たちには、週刊誌はその情報源としての役目を終えた感がする。
1973年、京都で大学生活を送るにあたって、直面した問題が夕食をどこで食べるかだった。
朝食は抜いてもいいし、昼食は学食で安く食べられる。
それまで外食などしたことがない九州の田舎者が、限られた仕送りの中で、安く腹一杯に夕食を食べるには、どこがいいか皆目わからなかった。
そこで手っ取り早くクラブの先輩に聞くと、開口一番に出てきたのが、餃子の王将だ。
当時はまだ全国展開するずっと以前で、京都の中でチェーン展開する激安中華料理店だった。
大学や下宿の近く、通学路の河原町にもあったので、すぐに常連になった。
当時餃子が90円、中華丼が150円くらいだったと思う。
餃子の存在は知っていたが、九州の田舎者は、それまで食べたことがなかった。
初めて食べた餃子の味は還暦の現在まで尾を引いている。
同時期に初めて食べてファンになった、マクドナルドやケンタッキーは、最近は年に数えるほどしか食べないが、王将の餃子は今でもヘビーローテーションだ。
喧嘩別れして独立した大阪王将と区別するため、王将フリークは餃子の王将を京都王将と呼ぶ。
私が大学生活を送った1970年代の京都には、ジャズ喫茶がいたるところにあった。
覚えているだけでも、ビッグ・ボーイ、マンホール、しぁんくれーる、52番街、ブルーノート、ムスターシュ、蝶類図鑑…もっとあったように思うが忘れてしまった。
最初はクラブの先輩に連れられて行ったのだが、そのうち独りで行くようになった。
別にジャズが好きでもなかったが、コーヒー1杯で何時間でも粘れるし、貧乏学生の暇つぶしにはもってこいだった。
大音量の中で文庫本を読むというのが、私のスタイルだった。
門前の小僧じゃないが、よくかかる曲はメロディラインを覚えてしまう。
何年か経ってから、いろんな場面でそのメロディと曲名がシンクロしたものだ。
なんで、ジャズ喫茶だったのだろう。
ロックやフォーク、歌謡曲だってある。
曲の認知度からいっても、ジャズはニッチな世界だ。
私が思うに全共闘世代と関係があるのかも知れない。
政治的関心度が高く、議論を戦わせることが好きだったあの世代が聴く音楽として、ロックやフォークなど子供の音楽で、ジャズこそがいか様にも解釈できる大人の音楽だったからだろう。
要は政治を論じる学生が聴くに値する、難解で知的な音楽という幻想があったのだ。
そのジャズ喫茶も今や京都では、いや、全国でもほとんど見かけなくなった。
ジャズ喫茶でジャズを聴いていた世代は、今でも家でジャズを聴いているのだろうか。
学生運動と同じく、一時の気まぐれだったのだろうか。
早起きをして7時前に松乃屋にロースかつ定食を食べに行った。
客は私ひとり。
こんな時間からトンカツなんて食ってる酔狂者はいない。
帰宅して競馬予想をしていると猛烈な睡魔に襲われる。
8時半だが、とりあえず寝ようと床につく。
あっという間に夢の世界へ。
その時に見た白昼夢が以下のとおり。
私は幼稚園児の娘と居間でテレビを見ていた。
現在32歳の娘が、夢の中では幼稚園児なのに違和感はない。
隣のバスルームでは嫁がシャワーを浴びているようだ。
盛んにシャワーが冷たいという黄色い声が聞こえる。
嫁が身体にバスタオルを巻いて、居間のドアを開け、私に石鹸を取ってと言う。
私は嫁のバッグの中を探すが、なかなか石鹸が見つからない。
嫁にあれこれ指示されながら、やっと見つけた石鹸を嫁に渡す。
嫁がドアを閉めてバスルームに戻る。
居間を振り返った私の目の前に、三連のガスコンロがあった。
居間のど真ん中にコンロがあるのも変だが、なんせ夢だから、これも違和感はない。
そのコンロが消し忘れたのか、赤々と燃え盛り、チラチラと炎も上がりかけている。
このままでは火事になると焦ったが、水をかけるとコンロがダメになる、居間が水浸しになるという思いで、右往左往していた。
幸いに火の手は弱まり鎮火しそうな雰囲気でほっとする。
でも、待てよ、コンロには笛吹きケトルを乗せていたはずだと思い当たる。
そのケトルが、そこにはない。
娘に聞くと、居間のテーブルの上を恥ずかしそうに指差す。
そこには、布巾をかぶせたケトルが見えていた。
それを見て、なんや、お前がケトルをコンロから外したんやと大声で笑い、その笑い声で目が覚めた。
時計を見ると10時前だった。
1時間半ほどの不思議なデイドリームだった。