暇にまかせて1974年の月刊宝島を読み返している。
私が大学2回生の時に読んだものだ。
読み始めるとすぐにあの時代へタイムトリップできる。
パソコンや携帯電話もなかったあの頃、当然インターネットなど想像もできなかったし、知識や情報は書籍や新聞、テレビから吸収していた。
宝島のサブカル雑誌特有の紙質の悪い誌面は、時代の変化や流行に敏感なそれぞれの筆者の情熱が溢れていた。
メインストリームからやや外れた独断傾向の著述は、私たち若者の知的好奇心を刺激した。
私が20歳くらいの時で、宝島のメインの編集者、著者たちは30代だったはずだ。
学生運動盛んな時代に育ち、その時代特有の政治思想や哲学で理論武装した、その割にはストイックな本筋から外れた、ちょっと尖った中にも軟弱さが垣間見える連中だ。
その連中の書くものは、今読み返すと、論理の飛躍やこじ付けはあるもののなかなか個性的で面白い。
中には人種差別、男女差別、セクハラ、モラハラ的な表現もあるが、その時代の倫理観では問題にならなかったのだろう。
それに対して現在は、インターネット環境が浸透し、SNSによる情報の拡散、発言の切り取り、集中批判、揚げ足とりなど、自由な情報発信のリスクは高まり、マナーやモラルが複雑化、細分化、強制化され、今や物言えば唇寒し状態だ。
本来の知的知識階級は鳴りを潜め、メディアで発言しているのは、痛みに鈍感な似非評論家か芸人コメンテイターばかりだ。
*本日のゾロ目ナンバープレート
1111、6666、3333、5555、8888、7777、2222、9999
私が大学2回生の時に読んだものだ。
読み始めるとすぐにあの時代へタイムトリップできる。
パソコンや携帯電話もなかったあの頃、当然インターネットなど想像もできなかったし、知識や情報は書籍や新聞、テレビから吸収していた。
宝島のサブカル雑誌特有の紙質の悪い誌面は、時代の変化や流行に敏感なそれぞれの筆者の情熱が溢れていた。
メインストリームからやや外れた独断傾向の著述は、私たち若者の知的好奇心を刺激した。
私が20歳くらいの時で、宝島のメインの編集者、著者たちは30代だったはずだ。
学生運動盛んな時代に育ち、その時代特有の政治思想や哲学で理論武装した、その割にはストイックな本筋から外れた、ちょっと尖った中にも軟弱さが垣間見える連中だ。
その連中の書くものは、今読み返すと、論理の飛躍やこじ付けはあるもののなかなか個性的で面白い。
中には人種差別、男女差別、セクハラ、モラハラ的な表現もあるが、その時代の倫理観では問題にならなかったのだろう。
それに対して現在は、インターネット環境が浸透し、SNSによる情報の拡散、発言の切り取り、集中批判、揚げ足とりなど、自由な情報発信のリスクは高まり、マナーやモラルが複雑化、細分化、強制化され、今や物言えば唇寒し状態だ。
本来の知的知識階級は鳴りを潜め、メディアで発言しているのは、痛みに鈍感な似非評論家か芸人コメンテイターばかりだ。
*本日のゾロ目ナンバープレート
1111、6666、3333、5555、8888、7777、2222、9999