★★たそがれジョージの些事彩彩★★

時の過ぎゆくままに忘れ去られていく日々の些事を、気の向くままに記しています。

松乃家の食べ放題漬け物復活

2018年01月04日 11時12分10秒 | 徒然(つれづれ)
 朝一番でとんかつの松乃家に行ってきた。
 定番の得朝ロースかつ定食400円也を注文。

 ふと卓上を見ると、なんと食べ放題の、あの旨い漬け物が復活しているではないか。
 当ブログでも書いたが、昨年の秋くらいになくなって以来、こっそり値上げとともに、ネットでも不満の声が続出していた。
 それを反映してかどうかわからないが、昨今の費用削減の、あえて逆をいく施策は、企業姿勢としては、賞賛に値する。

 離れかけていた私の松乃家への思いを引き戻すには十分の英断だ。
 競争の激しい飲食業界、特にファーストフード業界においては、こういったほんのちょっとしたサービスが顧客の心を引きつけるものだ。
 今後もまめに通い続けようと思いを新たにした次第だ。
 
 食事のあとは大阪天満宮に遅ればせの初詣にでかけた。
 引いたおみくじは小吉。
 今年の抱負、平穏無事とシンクロしていた。
 
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思い出の劣化

2018年01月03日 19時36分08秒 | 徒然(つれづれ)
 正月休みは何もすることもないので、日がな一日ネットでB級映画やユーチューブ観賞だ。
 ユーチューブは主に昭和歌謡、特に昭和30年代から40年代物が懐古趣味の私にはピッタリだ。

 今日は以前BS朝日で放送された『「いちご白書」から「神田川」まで~昭和フォークの旅』という番組を観た。
 往年のフォーク歌手、ばんばひろふみ、堀内孝雄、杉田二郎、高山巌、因幡晃が、フォーク居酒屋で、聴衆を前に、それぞれのヒット曲を歌いつつ、昭和フォークの名曲や曲にちなんだエピソードを紹介するという番組だ。

 昭和歌謡はよく聴いていた私だが、昭和フォーク全盛期には、ビートルズを筆頭とするロックにハマっていたので、曲は知っていても、当時はそんなに思い入れはなかった。
 それが今日聴いてみると、なかなか懐かしく心に染みた。
 歌詞がイマイチわからない洋楽は、懐かしい思い出とはシンクロしないが、邦楽は当時の心情をダイレクトに思い出させてくれる。

 しかし心に染みる昭和フォークも、明るく楽しい懐かしさではなく、どこか切なくやるせない、痛みにも似た懐かしさを喚起させる。
 あの頃は楽しかったはずなのに、今にして思うとセピアの思い出は、その楽しさが蒸発して、記憶の澱みたいに切ないものに変化している。

 思い出は美化されるだけでなく、経年変化という劣化もするのだ。
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王将鉄板メニュー

2018年01月03日 12時23分33秒 | 徒然(つれづれ)
 久しぶり、かつ、年明け初の王将。
 開店と同時に一番乗り。

 オーダーは私の鉄板、餃子&ニラレバ炒め&瓶ビールだ。

 これは王将の三種の神器ともいうべきアイテムで、私だけでなく、長年の王将通や酒飲みを自認するのなら、なにはともあれ注文すべき王道の三品だ。

 餃子は王将がその店名に冠しているだけあり、当然のマストアイテムで、それをより旨く食するためにビールは欠かせない。
 餃子&ビールという組み合わせは、妻と夫、ストリッパーとヒモ、クラプトンとギターくらいベストマリアージュの関係だ。

 食事という意味では何らかの一品も必要だ。
 餃子とビールというアースカラーの地味な色合いに彩りを添えるには、カラフルな食材が考えられるが、八宝菜や酢豚などのあまりに派手な色合いは、それが全面に出てしまう。

 ここは色合い的には控えめだが、栄養バランスはもとより、スタミナ食としてはピカイチのニラレバ炒めが相応だろう。
 ニラの緑、レバーの焦げ茶、垣間見える人参の赤と玉ねぎの白が、ほどよく餃子とビールにマッチする。
 味のほうもニラやレバーの苦味を、甘辛い醤油と砂糖で中和させた、ビールによく合う酒飲みの大人の味だ。

 そんなわけで、今年もチープでジャンクな私の食生活は変わらないだろう。
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隔世の感

2018年01月02日 15時33分22秒 | 徒然(つれづれ)
 1973年から78年まで私は京都で大学生活を送った。
 青春時代の一番コアな期間だ。
 人生の中で一番いろんな経験をし、遊び、社会的な知識を吸収した時期だ。
 
 月末に親から手紙付きの現金書留で仕送りがあり、それはほとんど食費と遊興費に消えた。
 足りない分はアルバイトで補った。
 流行の服は河原町の専門店や百貨店で買っていた。
 ロードショーも欠かさず観ていた。

 洋楽のレコードは毎月1枚のLPを買い、モジュラーステレオで聴いていた。
 最新ヒットはトランジスタラジオでチェックしていた。

 下宿にいる時はテレビやラジオはつけっ放しだった。
 週刊誌はもっぱら喫茶店で読み、小説は書店で買っていた。
 時事情報や流行はほとんどそれらから収集した。

 友達には下宿の電話や公衆電話で連絡し、親に近況はハガキで書き送った。
 パチンコや麻雀、競馬に手を染めたのもその頃だ。
 飲み会やコンパも毎週だった。
 
 試験前は当然勉強もした。
 わからないところは辞書や参考書、文献などで調べもした。

 前述したことは、現在ではほとんどスマホでできる。

 電話やメールはもちろん、送金もショッピングも、音楽を聴くのも映画を観るのも、小説を読むのも調べ物をするのも、すべてスマホがあれば事足りる。
 飲みに行く店の選択もできるし、女の子とだって出会えるし、競馬やゲームもできる。

 今の大学生のなんと恵まれていることか。
 これを隔世の感というのだろう。
 
 
 
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年頭の抱負

2018年01月02日 11時15分26秒 | 徒然(つれづれ)
 年頭の抱負などと大上段に構えても、そんな大層なものがあるわけもない。

 病気にだけはなりたくないが、かといって健康に留意するわけでもない。
 大金があるに越したことはないが、積極的にゲットしようとも思わないし、まず無理なことも承知している。
 40数年来の趣味の競馬は続けるが、大儲けの意図はなく、あくまで他人のゴルフと同じで、レジャーの一環だ。
 まぐれで当たれば儲けもの、外れてもともとのスタンスだ。

 女にも興味はない。
 来るもの拒まず、去るもの追わずの心境だ。
 まあ、還暦オーバーの私に言い寄ってくる女がいる訳もないが。

 何かで人と争ったり競おうとも思わない。
 人は人、自分は自分、所詮比べる対象ではないのだ。
 
 健康寿命があと10年程、定年退職まで2年足らず、以降年金節約生活ということを考えると、日々を可もなく不可もなく、平穏無事に過ごすことがもっとも望むところだ。

 ということで、今年の抱負は平穏無事。
 
 なんか天皇陛下のお言葉みたいだなあ。
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チープでジャンク、そして旨いが一番

2018年01月02日 10時37分08秒 | 徒然(つれづれ)
 昨日、今日と朝食は松屋だ。
 休日の朝はいつになく腹が減り、ガツンとした朝食が欲しくなるのだ。
 昨日の朝、ネット検索で松屋の期間限定プルコギ定食690円也が目に留まり、早速出かけて食した。
 それがことのほか旨くて、今朝もリピーターとなった次第。

 薄切りの一口大の牛カルビが、これでもかというくらい入っていて、玉ねぎとニンニクの芽と一緒に甘辛く炒めてある。
 生卵、野菜サラダ、味噌汁がセットで、それに食べ放題の紅ショウガで栄養バランスもよく、コスパも上々だ。

 牛丼は吉野家がデフォルトの私も、定食は価格、バリエーションで勝る松屋に軍配を上げたい。
 味覚音痴の私には、チープでジャンクで旨い松屋、松乃家、吉野家、王将、やよい軒などが性に合う。

 高い金を出して、高級店で食べる料理も普通に旨いと思うが、安くて旨いほうが断然いいに決まっている。
 見栄やリッチな雰囲気はいらない。

 夜勤明けの労働者や低級ホスト、貧乏学生やニートと一緒に食べる、チープでジャンクで旨い定食こそ、束の間、人生の機微を味わえるのではないだろうか。
 
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感動よ何処に

2018年01月01日 13時49分37秒 | 徒然(つれづれ)
 年が明けたがなんの感動も感慨もない。
 感動的な出来事、景色や風景、映画や小説、音楽や絵画、人やモノ、エピソード…そんなものにはついぞお目にかからない。

 その昔、満身創痍の貴乃花の優勝に、一国の総理が「感動した!」などと叫び、昨年末もキタサンブラックの有馬記念優勝に、演歌の大御所が感動を露わにしたが、私のまわりには感動のかの字もない。

 若い頃、私たちの世代は三無主義などと揶揄されたものだが、未だにそれが当てはまっているのか、感動のボタンは錆び付いたままだ。
 過去に嬉しかったことや喜ばしいことはあったが、感動というレベルには程遠かった。

 感動というのは、それこそ喜びに身体が打ち震えるくらいの激しい情動だ。
 そうたやすく我が身に起こるべきものでもないだろう。
 それにもかかわらず、世間の皆様のSNSでは、日々感動のオンパレードだ。
 余程、世間知らずなのか、感情過敏症なのだろう。
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