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★★たそがれジョージの些事彩彩★★

時の過ぎゆくままに忘れ去られていく日々の些事を、気の向くままに記しています。

テレビに夢中

2021年06月18日 14時46分47秒 | 徒然(つれづれ)
 昭和37年の夏に家にテレビが来て以来、僕の生活は大きく変わった。
 それまではアウトドア派だった僕は、俄然インドア派になった。
 学校から帰るとテレビの前に釘付けだ。

 当時のテレビは真空管式で、スイッチを入れてから画面が表示されるまで2、30秒ほどのタイムラグがあった。
 画面が表示されても、縦ブレ、横ブレがあり、それを本体横のツマミで調整して、初めて正常な映像が現れた。
 ダイアル式のチャンネルは12まで数字が刻まれていたが、視聴可能なチャンネルは、NHKを含め3つしかなかった。

 しかし僕にとってはそれで十分だった。
 テレビ番組を観られるということだけで画期的なことだったのだ。
 それは今のパソコン以上のカルチャーショックを巻き起こした。
 パソコンは事前に仕事で慣れていったが、テレビはある日突然だったからだ。

 午後3時前後には、テストパターンと呼ばれる丸い幾何学デザインの静止画面になり、1時間前後の放送休止時間帯があった。
 記憶に残っている当時の夕方以前の番組は、ローハイドや紅孔雀、琴姫七変化、少年ジェットなどだ。
 コマーシャルでは、ワンダフルKという食器用洗剤やミツワ石鹸がなぜか印象に残っている。

 ゴールデンタイムは夕食を食べるのももどかしく、テレビの前に噛りついていた。
 9時の就寝時間までは、テレビワンダーランドの時間だった。
 僕たちはテレビに育てられたといっても過言ではない。


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繁華街詣で

2021年06月17日 16時05分08秒 | 徒然(つれづれ)
 見渡す限り山と田んぼしかなかった、九州の辺境の村から出てきた僕にとって、昭和48年の京都の街は都会そのものだった。
 その中心地、河原町周辺は夢のワンダーランドだった。

 日本有数の百貨店が2軒もあり、大小さまざま店舗や大勢の人通りは、テレビで観ていた東京に匹敵するものだった。
 当時では珍しい、日本進出間もないマクドナルドやケンタッキーもあった。
 何軒もの映画館や、至るところにある喫茶店や飲食店、スーパーマーケットや大型書店、ジーンズショップに専門店。

 新京極には軒を連ねる土産物店、それに群がる観光客や修学旅行生。
 木屋町通りには星の数ほどのスナックやバー、居酒屋があった。
 田舎と違い、大学生活、いや日常生活に必要なものは、金さえあればなんでもすぐに手に入る便利さだ。

 下宿と大学の乗り換え地点が河原町だったので、僕は大学の帰り道や休日はいつも河原町に出ていた。
 百貨店を始め、興味のある店には、何を買うわけでもなく片っ端から入った。
 映画館には、東京とのタイムラグもなく、ロードショーがかかっていた。

 疲れたら、同好会の先輩に教えてもらった王将や春陽堂で食事をして、ジャズ喫茶で休憩した。
 ジャズなどわかりもしなかったが、雰囲気にはすぐに溶け込んだ。

 千年の都、京都のいにしえの文化には興味がなく、寺社仏閣巡りなどは念頭にもなかった。
 学生の街、若者の街としての京都に僕は魅せられたのだ。
 そんな繁華街詣では5月の終わり頃まで続いた。

 当時トランジスタ・ラジオや有線放送から流れていた、ロバータ・フラックの「やさしく歌って」やカーリー・サイモンの「うつろな愛」を今聴くと、当時のことが鮮やかに甦ってくる。
 

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関西弁に染まる

2021年06月16日 20時57分53秒 | 徒然(つれづれ)
 大学生活で最初に苦労したのが、話し言葉だ。
 それまでは九州の田舎の標準語、いわゆる方言が話し言葉だった。

 大学入学が決まってから、京都に行ったらテレビ標準語の関東弁で話そうと思った。
 てっきり京都も標準語だと思っていたのだ。

 しかし京都での標準語は関西弁だった。
 大学も関西出身者が圧倒的に多く、まわりはほとんど関西弁だった。
 僕の九州訛りの関東弁は違和感テンコ盛りだ。

 関東弁で話しているのは、数少ない関東出身者だけだ。
 その連中は関西に来ても、断固として関西弁に染まらない。
 
 郷に入れば郷に従えで、僕は関西弁を習得すべく、和歌山出身のFの喋りを真似ることから始めた。
 しかし、Fの関西弁とテレビの関西弁はなんとなくニュアンスが違っていた。
 あとで京都や大阪出身者に聞いたら、和歌山弁は関西でも下品な言葉だと知らされた。

 それからは、吉本新喜劇やヤングおー!おー!を参考に、関西弁のアクセントやイントネーションの特訓を始めた。
 当初はまわりの連中から、変な関西弁と笑われた。
 ビートルズの「 I Want To Hold Your Hand」をアイ・ウォント・トゥ・ホールド・ユア・ハンドと言っているようなものだ。

 半年もすると普通に通じるようになった。
 要は僕の関西弁が、アワナ・ホージョーヘンになったのだ。
 


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大学生活のスタート

2021年06月16日 14時03分50秒 | 徒然(つれづれ)
 大学の入学式から1週間ほどのオリエンテーション期間というのがあった。
 履修登録やクラス分け、健康診断や各種手続き、クラブ勧誘の期間だ。

 僕は必要な登録や手続きを済ませ、当初の目的のクラブ探しに入った。
 音楽関係のクラブに入ろうと決めていたが、グリークラブや軽音楽部などの本格的なクラブから、同好会、サークルまで、音楽関係でも、それこそ多岐に渡っていた。

 デモンストレーションが各所で行われていたが、それらの演奏技術と自身の能力を比較検討して、最終的にフォークソング同好会に入ることにした。
 その同好会は50人ほどの規模で男女比率も半々くらいで、僕のギターの実力でもついていけそうなレベルだった。
 
 下宿は滋賀県との県境の新興住宅街の中の一軒家で、同じ大学の新入生の、和歌山出身のFと富山出身のSが同時に入居していた。
 本来ならもっと大学に近い下宿がよかったのだが、下宿探しに後れをとって、仕方なく遠方になった次第だ。

 新学期が始まり、僕は専門課程はもちろん、一般教養の講義にも欠かさず出席していたが、それも夏休みまでだった。
 大学の講義といえば、アカデミックなものを想像していたが、高校の授業となんら変わりはなかった。
 そんなわけで、前期の終わり頃には、出欠をとる専門課程の講義にしか出なくなった。

 それとは裏腹に、フォークソング同好会には日参した。
 そこで知り合いもでき、2人組のバンドも組んで、サイモン&ガーファンクルやビートルズのナンバーを練習した。
 
 下宿ではFの友達が入り浸り、コタツのある僕の部屋は麻雀部屋と化した。
 牌など握ったこともなかったが、猛勉強の末、五月の連休が明ける頃には、いっぱしの雀士気取りにまでなっていた。

 そんなわけで、僕の交友関係はフォークソング同好会とFの友人関係から、友達の友達という具合に、どんどん派生していった。
 残るはガールフレンドだったが、これがなかなか縁がなかった。
 英文科のクラスは女の比率が8:2と圧倒的だったが、あまりの多さに文字通り圧倒され、僕たち男子学生は隅っこに固まっていじけていた。

 友達連中が主催する合コンや合ハイにも積極的に参加したが、カップル成立までには至らなかった。
 麻雀とパチンコ、バンド練習と飲み会の日々が続いた。
 

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青春の始まりの日

2021年06月16日 11時14分59秒 | 徒然(つれづれ)
 昭和48年4月上旬、僕は京都御所に面する大学の校門の前に立っていた。
 田舎の高校の校門と比べると、ズッコケるくらい小さな校門だった。

 ともあれ、入学式の日だ。
 まわりは一目でそれとわかる新入生で賑わっていた。
 今、この時から、僕の本当の青春が始まるのだという期待感が、いやが上にも高まった。

 僕の横には母親がいた。
 はるばる九州から、どうしてもついてくるというのを断り切れなかったのだ。
 母は近くの学生に頼んで、持参のカメラに僕とのツーショットを収めた。
 その時の僕の服装は、JUNのブレザーにニットのベスト、京都駅の土産物屋で買った西陣織の派手なネクタイ、VANのスリムなスラックス、足元はパンタロンシューズという、今にして思えば赤面もののチグハグさだった。
 
 キャンパスの中に入ると、メインストリートの両側にテントが立ち並び、盛んにクラブ勧誘が行なわれていた。
 それを横目に、入学の手引を頼りにしながら、入学式が行われるホールに入った。

 満員の室内は新入生やその親で溢れ返っていた。
 8割方は着飾った女学生だ。
 それもそのはず、僕が入学したのは英文科だった。
 この中にまだ見ぬ恋人がいるのだろうかと、あたりを見まわしたが、当然それらしき子は見当たらない。

 粛々と式は進み、最後はグリークラブの荘厳なコーラスに見送られて退出した。
 桜はすでに散っていたが、外はビーカンの春の陽気だった。

 これから4年間、この地で暮らすのかと思うと、舞い上がるような多幸感に包まれた。
 
 

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記憶抽出力の減退

2021年06月15日 11時57分14秒 | 徒然(つれづれ)
 歳をとると記憶力が低下するといわれる。
 物事を記憶する能力を記憶力というならば、ちょっと違うように思う。

 現在66歳の前期高齢者の私だが、記憶力自体は低下しているとは思わない。
 実感するのは、物事を思い出せないもどかしさだ。
 記憶としては脳内に確実に存在しているにもかかわらず、それに辿り着けないのだ。
 要は記憶抽出力の低下だ。

 若い頃はダイレクトに記憶に辿り着いたものだが、歳をとるごとに、いろんな記憶のキーワードを経由して辿り着くようになる。
 そして今はその経由がスムーズに進まない。

 記憶にはいろんなキーワードが付帯していて、それが目的の記憶に辿り着く道標になっている。
 その道標が途中で単一の方向ではなく多方向に拡散し、なかなか目的の記憶に辿り着かないのだ。

 一時的に五里霧中の状態になり、以前だったら何とかそれを抜け出し、目的の記憶に辿り着けたが、今では加齢による気力の衰えも影響して、目的の記憶に到達する前に諦めることもしばしばだ。

 日常生活に必要な記憶、例えばルーチンや予定などは認知症でもない限り忘れることはない。
 しかし生活に密着しない記憶、人の名前や物の名前、曲名や歌詞などは、思い出すのに苦労する。

 まさに記憶抽出力の減退で、それはどうすることもできない。
 また、思い出したところでなんの役にも立たないので、より一層、思い出せなくなるのだろう。


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冬の夕暮れの家路

2021年06月14日 21時00分15秒 | 徒然(つれづれ)
 故郷の田舎の村の、子供時代のヒエラルキーの話は既報(5/28投稿)の通り。
 いつも一緒に遊んでいたのが、小学4年生で、私より二つ上の中隊長のヒロちゃん、二等兵の私、一つ年下の新兵のシン坊とヤスだった。

 初冬のその日も、僕たちは中隊長のヒロちゃんを先頭に連れ立って歩いていた。
 隣の村を抜けても、ヒロちゃんはズンズン歩いて行く。
 僕にとっては、何度か親に連れられてバスで通ったことはあったが、歩くのは初めての道だ。
 シン坊やヤスにとっても初めての道のりだ。

 初めて見る家並みや神社や雑貨屋に僕たちの心は踊った。
 左手には海が見えていた。
 眼前に見える、ひょうたん島に似た小さな島に、僕たちははしゃいでいた。

 途中からはそのバス通りも外れて知らない道へ入った。
 相変わらずヒロちゃんは前進する。

 初冬の陽は短い。
 急にあたりが陰ってきて、ヤスがもう戻ろうとグズり出した。
 僕やシン坊も同じ気持ちだった。

 一軒の民家の前で立ち止まったヒロちゃんが言った。
「おいはここの親戚の家に泊まっていくけん、おまえたちは早よ帰れ」
 予期せぬ言葉に僕たちは呆然とした。
「気いつけて帰れよ」
 そう言うとヒロちゃんは民家の中へ入っていった。

 あたりは薄暗くなりかけだ。
 躊躇してはいられない。
 僕たちは急ぎ足で元来た道を戻り出した。
 途中でベソをかくヤスとシン坊をなだめながら、僕たちは必死で家路を急いだ。
 
 芥川龍之介の「トロッコ」を中学で習った時に、あの時のことがデジャブのように甦った。



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テレビジョンが来た日

2021年06月14日 17時16分50秒 | 徒然(つれづれ)
 夏の夕暮れ時の、開け放たれた座敷の縁側には、近所の人々の人だかりができていた。
 大人も子供もほとんどが知った顔だ。

 親戚は座敷に陣取っている。
 クーラーはおろか、扇風機さえない座敷は、家中すべての窓を開け放していたが、昼間の暑さの名残りと人いきれで、蒸し返っていた。

 昭和37年大相撲名古屋場所の千秋楽の日だ。
 結びの一番は大鵬柏戸の取り組みだ。
 女子供はほとんどが大鵬ファンで、大人は玄人好みの柏戸ファンだ。
 大鵬が千秋楽前に優勝を決めていたにもかかわらず、横綱同士の柏鵬戦は盛り上がる。

 人々の目は一点に集中していた。
 床の間のテレビジョンだ。
 
 親父はその一番をリアルタイムで観るために、事前に電器屋にテレビジョン設置を依頼していた。
 子供の私と弟に知らされたのも当日だった。

 昼間から屋根の上にアンテナを設置し、配線や接続、調整が済んだのは前頭上位の取り組みあたりだった。
 それまではラジオで聴いたり、病院の待合室のテレビで観るだけだった大相撲を、家のテレビで観られるというだけで舞い上がったものだ。
 
 当時、テレビジョンのある家は田舎村でも裕福な家に限られていた。
 うちは両親が小学校の教師だったので、とりわけ裕福な家庭でもなかったが、新しもの好きの親父が多分、無理をして月賦で買ったのだろう。

 その日から私はテレビっ子になった。
 

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馬柱ってなんだ?

2021年06月13日 12時08分38秒 | 徒然(つれづれ)
 馬柱といっても、ほとんどの人にはわからないはずだ。
 人柱を思い浮かべるかもしれないが、生贄を意味する人柱とは、まったく違うのはもちろんだ。

 競馬通なら誰もが知っているのが馬柱だ。
 要は、競馬専門紙やスポーツ新聞の競馬面に載っている、出走馬のデータ表だ。
 たまに横表のものもあるが、ほとんどは縦表で、その形が林立する柱みたいなので馬柱と呼ぶようだ。

 馬柱には、5~10レース前まで遡った過去の戦績から、生産牧場、馬主、所属厩舎、持ち時計、距離や競馬場別実績など詳細な情報が満載されている。
 その表示内容や形態は各社それぞれで、競馬ファンも自身の好みに合った馬柱の専門誌やスポーツ紙が決まっている。

 どれかに慣れると、他のタイプの馬柱に替えるのは至難の業だ。
 ちょうど女性が基礎化粧品をなかなか替えられないのと似ている。
 私はスポーツ報知の馬柱を愛用しているのだが、たまにコンビニで売り切れの時に他紙を買ってみるのだが、とにかく馬柱が見にくく、予想どころではなくなってしまう。

 各種データの並びが異なると、それだけでストレスになってしまう。
 また、各社とも良かれと思い情報を詰め込み過ぎで、馬柱の文字フォントが昔に比べるとかなり小さくなっている。
 老眼の私はそんな小さな文字が見えにくく、目が疲れてしょうがない。

 春のGⅠは連敗が続き、予想のスタイルをバッサリと変えてみようとも思うが、予想のベースにしてツールである見慣れた馬柱を替えるのは無理だ。
 それほど競馬ファンと馬柱には深い絆があるのだ。
 

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映画の思い出

2021年06月11日 16時18分07秒 | 徒然(つれづれ)
 映画が庶民の娯楽だった時代、ちょうど高度成長期真っ只中の頃、故郷の辺境の田舎町にも映画館が5軒あった。
 田舎町も寂れ、そんな映画館も、今では1軒も残っていない。
 兵どもが夢の跡、の感がある。

 子供の頃は月に1回、両親に連れられて観に行ったものだ。
 邦画がほとんどだったが、どんな映画だったかは断片的にしか憶えていない。
 時代劇の時代が終わり、日活が栄華を極めていた頃だから、たぶん石原裕次郎や赤木圭一郎の映画だったはずだ。

 当時はどの映画も立ち見が出るほど盛況で、二本立てが普通で、幕間には売り子がお菓子や飲み物を売って歩いていた。
 子供の頃は映画より、売り子が売るお菓子目当てだった。

 中学生になった頃からは、ひとりで観に行くようになった。
 親父が小学校の教師で、視聴覚担当だったので、校内映画上映の絡みで、映画館の担当と懇意で招待券が手に入ったのだ。
 高校の頃まで、毎月2、3回のひとり映画鑑賞は続いた。

 中学生の頃は若大将シリーズやクレイジーキャッツ、ドリフターズの喜劇が専門だったが、高校生になると洋画専門になった。
 話題の映画も、都会でロードショー上映された3ヵ月から半年後くらいには、田舎の映画館にも回ってきた。
「レット・イット・ビー」や「イージーライダー」、「ある愛の詩」や「小さな恋のメロディ」を筆頭に、当時の話題作はほとんど田舎の映画館で観た。

 招待券があったので、それ以外の作品も、時には映画館をハシゴして観まくったものだ。
 その頃が人生で一番映画を観た時期だ。

 そんな映画熱も、大学に入ってからは急速に冷めていった。
 映画産業自体が衰退し、昔のような名画が減ってきたからだろう。

 再び映画を観始めたのは、高齢者再雇用社員になってからだ。
 それもGYAO!の無料のB級映画をパソコンで観ている。
 定年退職した今も、それは続いている。
 

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月曜から夜ふかし

2021年06月10日 13時28分48秒 | 徒然(つれづれ)
 日テレの月曜深夜の「月曜から夜ふかし」を観るともなしに観ている。
 村上信五とマツコ・デラックスが、巷のどうでもいい些事や少数意見を面白おかしく取り上げている。

 街頭インタビューがメインで、インタビューされる人間は、マイノリティ、変人、下層階級がメインだが、そのキャラはどれも個性的だ。
 視聴者に優越感を持たせる意図も散見されるが、それらの人間の意見は、情報番組やワイドショーのコメンテイターの意見より、ある意味核心を突いていたり、本当の意味での「別の地平」からのものの見方を示唆したりする。

 MCのふたりも、そんな意見に深く突っ込んだり、切り捨てるわけでもなく、ちょうどいい程度にコメントする。
 アウトサイダーのマツコと転がし上手の村上のキャラが絶妙に融合している。
 その緩さ加減が妙にしっくりくるのだ。

 街頭インタビューが縁で、番組の準キャスト化された一般人も何人かいる。
 どれも変人ばかりだが奇妙な親近感に溢れている。

 地味だが、おもろうて、やがて悲しきを実感させる番組だ。
 

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京都青春三部作

2021年06月09日 13時44分18秒 | 徒然(つれづれ)
 時は1973年、私は青雲の志を抱いて、九州の辺境の地から、勇躍、京都での大学生活を謳歌するため上洛しました。
 大人へと続く、青春の階段を昇り始めた、多感な年齢で、なんの刺激もなかった田舎から、1000年の歴史を誇る観光都市、そして学生の街で若者文化華やかな京都へとやってきた、純朴な少年の大学生活を、3冊の小説にまとめました。

 パソコンもスマホもなかったあの時代、それでも僕たちは青春真っ只中で、勉強そっちのけで、クラブやコンパ、アルバイトやデートに明け暮れていました。
 そんな人生でもっとも輝いていた京都での生活をベースに、あったこと、なかったこと、あったらよかったことを織り交ぜ、ノスタルジー漂う青春三部作にまとめました。

 コロナ禍の自粛生活を余儀なくされている皆さんの、一服の清涼剤として、ぜひご一読ください。
 
 <第一部>京都青春セレナーデ
 
 <第二部>京都青春ラプソディ
 
 <第三部>京都青春コンチェルト
 

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【競馬】第71回安田記念予想

2021年06月06日 13時18分04秒 | 競馬
 春のGⅠシリーズも残すところ今日の安田記念と月末の宝塚記念のみとなった。
 依然として、去年の春のGⅠから続く連敗街道から抜け出せない。
 どれだけGⅠと相性が悪いのだろう。
 もうヤケのヤンパチで、大穴狙いに徹して玉砕するしかないようだ。

 とりあえずは過去10年のデータから消去対象馬の抽出だ。

 ▼7歳以上で10番人気以下、かつ単勝30倍以上
  カデナ、ダイワキャグニー
 ▼関東馬で10番人気以下
  ダイワキャグニー、トーラスジェミニ
 ▼5歳以下前走GⅢ以下2番人気以下
  カテドラル、カラテ、トーラスジェミニ
 ▼前走10着以下
  ダノンキングリー
 ▼前走10人気以下
  ダイワキャグニー、カデナ
 ▼前走着差0.8秒以上負け
  カデナ、サリオス、ダノンキングリー
 ▼前走10番人気以下
  カデナ、ダイワキャグニー
 ▼前走海外2着以下
  ダノンプレミアム

 条件をクリアしたのは、グランアレグリア、シュネルマイスター、ケイデンスコール、インディチャンプ、ラウダシオン、ギベオンの6頭だ。

 先週のダービーでも2頭出しのサンデーレーシングのシャフリヤールが優勝したように、複数出しの馬主に注目だ。
 今回はサンデーレーシングがグランアレグリア、シュネルマイスター、ケイデンスコールの3頭出し、シルクレーシングがインディチャンプ、サリオス、ラウダシオンの3頭出し、ダノックスがダノンキングリーとダノンプレミアムの2頭出しと、出走頭数の過半数を占める。それも有力馬ばかりだ。
 それぞれ大将格のグラン、インディ、キングリー以外は、チームプレーに徹すると見て消してもいいだろう。
 天邪鬼的にはそれ以外の馬を狙わざるを得ない。

 とすれば、当てはまるのは2番枠を引いたギベオンだ。
 9番枠のトーラスジェミニの出方次第だが、上手くハナを取り、後続が競りかけなければ、逃げ粘りが期待できる。
 前々走の金鯱賞で、最低人気から、並み居るGⅠ馬をシャットアウトした楽逃げの再現だ。

 もう1頭は、サンデーレーシングの2週連続Vはないとみるも、ピンかパーでシュネルマイスターを狙ってみたい。
 あとはシルクからラウダシオン、ダノックスからキングリーをピックアップだ。

<結論>
 三連単フォーメーション10点
  1着②ギベオン⑬シュネルマイスター
  2着②ギベオン⑬シュネルマイスター
  3着④カラテ⑦ラウダシオン⑨トーラスジェミニ⑪ダノンキングリー⑭カテドラル 
 

拙著ハズレ馬券ゲットのための十ヵ条 ただいまAmazon Kindle Storeにて絶賛発売中。

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カムリのおばあちゃん

2021年06月06日 12時22分42秒 | 徒然(つれづれ)
 ウォーキングの途中の喫煙ポイントのコンビニの前で煙草を吸っていたら、駐車スペースに車が入ってきた。
 トヨタの黒のカムリだ。それもピカピカの新車のようだ。

 どんな兄ちゃんが降りて来るのかと見ていたら、アッと驚くタメゴロ~、降りてきたのは80代くらいと思しき白髪のおばあちゃんだ。
 それも足元がおぼつかない、見るからに老婆だ。
 とうていカムリとは似つかわしくない、いや、それ以前に、本当にここまで運転してきたのかと疑わしくなるくらいのヨタヨタ歩きだ。

 よく見たら車の後ろに高齢者マークが貼ってあったが、そんなレベルをとっくに超えている。
 絶対に運転をしたらダメなタイプだ。

 思わず、例の池袋の上級国民の事故を思い出した。
 高齢者の操作ミスによる事故はニュースでは時々見かけるが、メディアが大袈裟に取り上げているものと思っていた。

 本人は大丈夫と思っているのだろうが、身内の人間はどう思っているのだろう。


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五輪中止派の五輪後の行方

2021年06月04日 14時12分38秒 | 徒然(つれづれ)
 オリンピック中止を求める世論は、メディアにより多少異なるが、少なくとも過半数以上、多いメディアだと80%ほどだ。
 一般庶民はもちろん、少なくない専門家や評論家も、中止の持論を述べている。
 SNSやヤフコメ欄では、不安を煽る過激で感情的な中止論も散見される。

 ほとんどすべてがコロナ禍絡みで、オリンピック開催による感染拡大を危惧している。
 しかしオリンピックは強行開催が濃厚な勢いだ。
 政府の思惑だから、庶民にはどうしようもないのが現実だ。

 オリンピックにより感染爆発が起これば、中止派のその後の意気も上がるだろう。
 しかし、もしオリンピックがコロナの感染もほとんど見られず、大過なく終了した場合はどうだろう。

 感染が広がり、それ見たことか、と言いたかったのが、取り越し苦労でしたね、と推進派に笑われるのがオチだ。
 その場合、中止を声高に叫んでいた人間の憤りはどこへ向かうのだろう。
 
 コロナ禍絡みだと、ワクチンの接種率だろう。
 オリンピックに向けて、接種のスピードは上がっており、医療従事者や高齢者などの優先者の接種率は高そうだが、年齢が下がるにつれて、接種率は下がるのではないだろうか。

 もしそうなれば、肩透かしを食らった、オリンピック中止派の憤懣はそこへ向かうような気がする。
 コロナが収束しないのはワクチン接種率が低いからだ、政府の対策が緩いからだ、というネットの声が聞こえてきそうだ。



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