★★たそがれジョージの些事彩彩★★

時の過ぎゆくままに忘れ去られていく日々の些事を、気の向くままに記しています。

映画の思い出

2021年06月11日 16時18分07秒 | 徒然(つれづれ)
 映画が庶民の娯楽だった時代、ちょうど高度成長期真っ只中の頃、故郷の辺境の田舎町にも映画館が5軒あった。
 田舎町も寂れ、そんな映画館も、今では1軒も残っていない。
 兵どもが夢の跡、の感がある。

 子供の頃は月に1回、両親に連れられて観に行ったものだ。
 邦画がほとんどだったが、どんな映画だったかは断片的にしか憶えていない。
 時代劇の時代が終わり、日活が栄華を極めていた頃だから、たぶん石原裕次郎や赤木圭一郎の映画だったはずだ。

 当時はどの映画も立ち見が出るほど盛況で、二本立てが普通で、幕間には売り子がお菓子や飲み物を売って歩いていた。
 子供の頃は映画より、売り子が売るお菓子目当てだった。

 中学生になった頃からは、ひとりで観に行くようになった。
 親父が小学校の教師で、視聴覚担当だったので、校内映画上映の絡みで、映画館の担当と懇意で招待券が手に入ったのだ。
 高校の頃まで、毎月2、3回のひとり映画鑑賞は続いた。

 中学生の頃は若大将シリーズやクレイジーキャッツ、ドリフターズの喜劇が専門だったが、高校生になると洋画専門になった。
 話題の映画も、都会でロードショー上映された3ヵ月から半年後くらいには、田舎の映画館にも回ってきた。
「レット・イット・ビー」や「イージーライダー」、「ある愛の詩」や「小さな恋のメロディ」を筆頭に、当時の話題作はほとんど田舎の映画館で観た。

 招待券があったので、それ以外の作品も、時には映画館をハシゴして観まくったものだ。
 その頃が人生で一番映画を観た時期だ。

 そんな映画熱も、大学に入ってからは急速に冷めていった。
 映画産業自体が衰退し、昔のような名画が減ってきたからだろう。

 再び映画を観始めたのは、高齢者再雇用社員になってからだ。
 それもGYAO!の無料のB級映画をパソコンで観ている。
 定年退職した今も、それは続いている。
 

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