最近、リサイクルという感覚が定着してきた。
それはそれでいい。みんなが意識を持つということは一歩前進。
でも、せっかくだからもう一歩進んで考えたい、リサイクルの前に。
本当にそれが必要なものなのか。
本当にそれがいいものなのか。
ペットボトルのリサイクルがとても盛んになってきた。
でも、このペットボトル、氾濫しすぎである。
なんでもかんでもペットボトル。みんな手に手にペットボトル。
以前から、缶ジュースや缶コーヒーは飲まなかった。
ペットボトルが出てきたときも同じこと。飲まない。
一番の理由はとても簡単。おいしくないからだ。
特にその存在がイヤだと思っているのがお茶。
お茶のペットボトル、これが最悪である。
お茶は自分でいれたものがおいしい。
もちろん、人がいれてくれたものもおいしい。
そして、いれたてがおいしいのも当然である。
それは今も昔も変わらない。はず。
それなのに、氾濫しているペットボトルのお茶。
手軽だから? ほかのヘンなジュースよりいいから?
すでに味覚音痴になっているから?
これでは長年培ってきた日本のお茶文化が崩れかねない。
リサイクルもいいけれど、お茶をまず自分でいれるようになれば
ペットボトル、ひいては貴重な資源をムダにしなくてもよくなる。
まやかしの味に惑わされることなく、本物のおいしさを
おいしいと思える本来の味覚を失うこともない。
これはなにもペットボトルのお茶に限ったことではない。
すべてのことに共通している。
「便利さ」と引き換えに失うものはとても大きい。
それはそれでいい。みんなが意識を持つということは一歩前進。
でも、せっかくだからもう一歩進んで考えたい、リサイクルの前に。
本当にそれが必要なものなのか。
本当にそれがいいものなのか。
ペットボトルのリサイクルがとても盛んになってきた。
でも、このペットボトル、氾濫しすぎである。
なんでもかんでもペットボトル。みんな手に手にペットボトル。
以前から、缶ジュースや缶コーヒーは飲まなかった。
ペットボトルが出てきたときも同じこと。飲まない。
一番の理由はとても簡単。おいしくないからだ。
特にその存在がイヤだと思っているのがお茶。
お茶のペットボトル、これが最悪である。
お茶は自分でいれたものがおいしい。
もちろん、人がいれてくれたものもおいしい。
そして、いれたてがおいしいのも当然である。
それは今も昔も変わらない。はず。
それなのに、氾濫しているペットボトルのお茶。
手軽だから? ほかのヘンなジュースよりいいから?
すでに味覚音痴になっているから?
これでは長年培ってきた日本のお茶文化が崩れかねない。
リサイクルもいいけれど、お茶をまず自分でいれるようになれば
ペットボトル、ひいては貴重な資源をムダにしなくてもよくなる。
まやかしの味に惑わされることなく、本物のおいしさを
おいしいと思える本来の味覚を失うこともない。
これはなにもペットボトルのお茶に限ったことではない。
すべてのことに共通している。
「便利さ」と引き換えに失うものはとても大きい。