さて、やっとこの話題にたどり着きました。
最初にも書いたように(これ)、
今回の京都行きの目的は、
妙心寺の坐禅会と中村仁一先生の講演会。
それに加えて、アルゼンチン人のカウチサーファーに会う、
という嬉しいオマケもつきました。
あ、オマケの部分が一番ご紹介が長くなりましたが。
中村仁一先生の「自分の死を考える集い」、
今回は第205回、テーマは
「年寄りはどこまで医療を利用すべきか」。
難しい問題ですね。
とにかく現在の日本では医療にどっぷり浸かって、
医療がどうにかしてくれる、
医療に頼りたい、と考える人がほとんどだと思います。
そのため、医療費は増える一方。
健全な健保組合でも、高齢者医療のため拠出金が
莫大な額となり、財政を圧迫しています。
由々しきことです。
中村先生は、医療には限界があるわけであり、
老いと死に対しては無力である、
従って、利用できるところをうまく利用することを勧めています。
医療が主役ではなく、自分が主役で、
病気やケガは本人が治すもの、
病院や医者がどうにかしてくれるわけではない、と。
医療は人生をより豊かに生きるための一つの手段(にすぎない)、
と知っておくべきである。
また、医療には不確実性があり、賭けの側面も持っている。
ただし、医療にまったくかかわるな、というわけではなく、
医療を利用する目安として、
回復する可能性が高い、あるいは、
生活の中身(QOL)の向上の見通しがある、
そういった場合には利用していいとしています。
ただ死ぬのを先送りするだけという場合は
医療を利用すべきではない、
中村先生の主張です。
つまり、回復できる見込みがないのに
長期間胃ろうを続けるとか、そういったことです。
まあ、人間というものは、
そういった事態に直面した時、
医者に勧められるままに周囲の人間が
いろいろやってしまうのでしょうね。
冷静に対処できるようにするためにも、
常日頃、考えておく、
覚悟を決めておく、
それも重要になってくると思います。
前回に続き、とても中身の濃い講演会でした。
最初にも書いたように(これ)、
今回の京都行きの目的は、
妙心寺の坐禅会と中村仁一先生の講演会。
それに加えて、アルゼンチン人のカウチサーファーに会う、
という嬉しいオマケもつきました。
あ、オマケの部分が一番ご紹介が長くなりましたが。
中村仁一先生の「自分の死を考える集い」、
今回は第205回、テーマは
「年寄りはどこまで医療を利用すべきか」。
難しい問題ですね。
とにかく現在の日本では医療にどっぷり浸かって、
医療がどうにかしてくれる、
医療に頼りたい、と考える人がほとんどだと思います。
そのため、医療費は増える一方。
健全な健保組合でも、高齢者医療のため拠出金が
莫大な額となり、財政を圧迫しています。
由々しきことです。
中村先生は、医療には限界があるわけであり、
老いと死に対しては無力である、
従って、利用できるところをうまく利用することを勧めています。
医療が主役ではなく、自分が主役で、
病気やケガは本人が治すもの、
病院や医者がどうにかしてくれるわけではない、と。
医療は人生をより豊かに生きるための一つの手段(にすぎない)、
と知っておくべきである。
また、医療には不確実性があり、賭けの側面も持っている。
ただし、医療にまったくかかわるな、というわけではなく、
医療を利用する目安として、
回復する可能性が高い、あるいは、
生活の中身(QOL)の向上の見通しがある、
そういった場合には利用していいとしています。
ただ死ぬのを先送りするだけという場合は
医療を利用すべきではない、
中村先生の主張です。
つまり、回復できる見込みがないのに
長期間胃ろうを続けるとか、そういったことです。
まあ、人間というものは、
そういった事態に直面した時、
医者に勧められるままに周囲の人間が
いろいろやってしまうのでしょうね。
冷静に対処できるようにするためにも、
常日頃、考えておく、
覚悟を決めておく、
それも重要になってくると思います。
前回に続き、とても中身の濃い講演会でした。