朝のつづき。
ではなぜ現代に至るまで下のほうを、持ち続けているのだ
ろうか。
高性能の接着剤が手に入る、いまはどのような合板も作れ
るはずだ。
と言うか、少なくとも江戸時代は、すでに「にかわ」が、
存在したはずだ。
つまり上から下まで全て均一の合板が出来たはずだ。
5.6ヶ月前にテレビで和弓の製作を放送していた。
中には、カーボンまで使用している物もあったのだ。
もう下のほうを持たなければならない理由は、何も無く
なってしまったはずだ。
やっと推測の出番が来て、うれしい。
たぶん弓道が確立する、かなり前に、当たらないのを、
弓と矢のせいにした少年は、かなり大勢いたはずだ。
私もその一人だ。と、誇りを持っている。
この少年達を、ずーと怒鳴り続けた、大人たちが、その
何十倍も、いたのではないのか。
当たらないのを、弓のせいにすることは、世の中が、
タブーにしてしまった、結果なのではないだろうか。
すったもんだしている所に、鉄砲が伝わってきた。
これ以降、弓は武器として、あまり大切な物では無く
なってしまったのではないのか。
そのあたりで、「弓道」が確立し始めたのではないの
か。
多分当たりだと思う。
次は命中率が悪いメカニズムだ。…つづく
日本の、あのながーい弓は(次からは和弓と言うことに
する)なぜあのように下のほうを、にぎって使うのか、
それとなんであんなに長くないといけないのだろうか、
と疑問に思ったことは、ないだろうか。
それとかなり命中率が低いのに、疑問を持ったことは、
ないだろうか。
以上は、私が小学校5年の時に、抱いた素朴な疑問だ。
誤解を恐れるので、大切なことを、おことわりしてお
きます。
これから先、和弓の欠点と思われることを、何度ものべ
ます。
しかし弓道の精神や、残心(すみません残身かも)の
ことにはいっさい触れません。
それとこのブログは、疑問を全て推測または、推理して
解決しようとするプロセスを、
楽しむことにしています。
小学校5年の頃、弓作りに凝ったことがあった。
材料は当然、竹を使用した。たぶん古代人も、そうした
のだと思う。
あまりにも、手近に弾力性に富んだ竹が有るからだ。
だがこれが、のちのち和弓の性能の低さの原因になった
のだと思う。
弓と矢に適した木を、探す努力をしなかったのではな
いか。
では最初は、下のほうを握る訳と、やたらと長い理由、
から行きます。
少年は、魚肉ソーセージぐらいの太さの真竹で、
120センチぐらいの弓を作りました。
矢もちゃんと、矢竹と言われる竹を使用しました。
このように、簡単に弓の材料が手に入ってしまう環境
なのが、高性能にならない原因なのだろう。
真ん中を持って引いてみると、上の3分の1ぐらいの
当たりだけが、曲がってしまい、下の方はほとんど
曲がらない。
原因は竹の根元の方と、上の方との強度の違いによる
ものだ。
上の方だけ、よけいにしなってしまうのだ。
そこで上側の曲がりを、もっとおだやかにするため、
もう少し下のほうを持つことにした。
なんとなく、自慢しているようだが、そうではない。
生理的に、そうしないと危ないと思えてくるのだ。
多分、古代人もそうしたに違いない。
だがこれで解決したわけではない。
やはり上の部分だけが、しなるので、右手はどんどん
下に下がってしまい、矢が上を向いてしまうのだ。
だからここで射るためには、弓をその分だけ、前に倒
さなければならない。
これは後で気が付くのだが、弓道の人達もやっている
ようだ。
結論、その昔、1本の竹や木で弓を作ったため、上の方が
極端に曲がってしまうので、下3分の1あたりを、持
つようになったと推測する。
そして弓がやたらと長いのは、矢が極端に上を向いて
しまう特性を、おだやかな物にするためだと推測する。
つづく