重大な見落としを、していたかもしれない。
それは、もしも「にかわ」のような接着剤が戦国時代より
も以前に、存在していたとしたら。
今までの推測は、無駄になってしまうかも知れないのだ。
と言うのは、もし弓道が確立する、ずっと前に、合板が出
来ていたとしたら、弓は上から下まで強度が均一に出来て
いたはずだ。
もう下の方を持つ必要は、何も無いのだ。
たとえ習慣になっていたとしても、いざ戦争になったら、
下とか上とか、言っていられない。
当たればいいのだ。
自分を狙っている敵に対しては、一秒を争うし、一発必中
でなければならないのだ。
もしかしたら、真ん中を持つ弓が、存在していたかもね。
戦争中に、耳の後ろまで引かなきゃだめ。なんて言われて
も、聞いてなんかいられないよね。
あともう一つ気が付いたのだが、長い弓で、長い矢を射る
のも、アリかもね。
それは命中率が、あまり必要の無い戦法が、あったかも知
れない。
たとえば、、向かってくる敵の大群に対して、5~60人
で一斉射撃で、雨あられのように矢をあびせる戦法だ。
この戦法で、大事なことは矢の貫通力だろう。
長くて重い矢を、ゆっくり長い時間で、加速するには、長
い弓は最適だと思うのだ。
真ん中を持つ弓は、狙撃用なのかもね。
では推測的結論。
もしかして、もしかしたら、
日本人は弓の真ん中を持って、使っていたのかもね。
弓の下の方を持つのは、弓道の人達だけだったりしてね?。
あくまでも推測だからね、可能な限り資料無しで、議論
するのが決まりだからね。
火縄銃はまた、つづきにします。