金曜日、おとうさんが用事で新宮税務署に行くと言うので『西村記念館』に寄って
もらうことにしました。ここ数年前から、一度行ってみたかった場所です。時々
南紀州新聞で目にする西村伊作という人物、明治・大正時代の新宮に西洋文化を取
りこんだ・・ぐらいしか私の知識はありません。ただ、写真のその記念館はとても
レトロでその建物が見てみたい・・・と思っていたら、この間NHKの和歌山限定
ニュースで中継されていたのです。場所もわからず、インターネットで調べて
新宮郵便局の裏みたい・・なら税務署は郵便局と並んでいるから近くじゃん!
長年の夢を・・・で行ってきました!!

まずはおとうさんの用事を待っているときに、車の中から「え?あれちゃうの」
でパチリ。裏じゃなく局の表玄関から見ると前方にあるのです。やはり、地図を
読めない女でした。調べたとおり駐車場はないので車をスーパー・オークワに駐車
して、徒歩で記念館にむかいます。

近づくにしたがって、「きゃーきゃー」と私の心は騒ぎます。なんてカワイイ建物
なんでしょ。奥に見える白っぽい二階建てです。まわりの家々も記念館に合わせた
ような落ち着いた家ばかり、といっても何軒もあるわけではなくそれでも敷地が
広い家ばかり、路面も石畳みたいですてき。

ベージュの壁に赤茶色のペンキで塗られた扉。
隣のお庭では庭木の伐採中で、それがあまりに丸坊主のように切られているのは残
念でした。
西村伊作・・・1884明治17年、新宮で生まれる。父は大石余平。父親はクリ
スチャンで新宮教会の中心人物、伊作という名は聖書にあるアブラ
ハムの子イサク(アイザック)にちなんでつけられる。
3歳の時に、母方の奈良県下北山村の西村家の養子となり西村伊作
となった。その後、名古屋で暮らすが7歳の時英和女学校の礼拝堂
で礼拝中、濃尾大地震で両親をなくす。伊作は下北山村に帰り、新
宮高等小学校を卒業。
1895明治28年、父方の叔父大石誠之助がアメリカで医学を修
め帰国、伊作の父代わりとなるべく自宅に呼び寄せる。誠之助から
米国の最新の生活改善や社会主義の知識を得る・・・・・
「西村記念館を守り伝える会」から

石でできた中庭に入るための門
中に入ると、スリッパが置かれ入館料100円を小さな箱に入れて静かに入ります
午前中でしたが、誰もいません。さっそくカメラを握りしめ辺りを見ましたが、
≪撮影禁止≫の紙は貼られていません。撮影は可のようです。

最初の部屋には可愛いストーブが、かわいい暖炉風の場所に置かれています。
何度か新聞で見た家具類が、狭いけれど部屋に合うように置かれています。なんと
いうのかな、今でも生活できるじゃん・・と感じてしまいます。床は板張り。今な
ら不思議ではないけど、1915年大正4年に建てられたのですから、それに大都
会ではなく、当時熊野地方の材木市場で栄えた片田舎で、ですから珍しいといって
もいいと思います。部屋の壁に沿っていくつもの家具、その中にはこれまた陶芸品
が飾れれています。テーブルも椅子もソファーもどれも直角。座るのは疲れるだろ
うな「ちょっと、昔お医者さんとかの長いすはこんな感じやったね。布のところに
押しピンみたいなのがいっぱい並んだ・・座ってみよかな」と言ったとき、後ろか
ら男性の声が。「ようこそいらっしゃいました」・・すっとした初老の館長さんで
しょうか。「遠くからお越しですか?」「串本です」「この西村伊作の住んでいた家
は・・・・」と、伊作の生誕から始まり、家族構成、時代風景、叔父大石誠之助の
『大逆事件』、展示している写真について当時の新宮の様子などなど、あとあと
なんで録音しなかったのかと悔やまれるほどのお話を、館長さん(だと思う)はし
てくれます。私たち2人(2人しか来館者はいなかった)に一つ一つ説明してくれ
ます。2人、というか私はそのお話しにとても、興味をひかれワクワクもんでした
もらうことにしました。ここ数年前から、一度行ってみたかった場所です。時々
南紀州新聞で目にする西村伊作という人物、明治・大正時代の新宮に西洋文化を取
りこんだ・・ぐらいしか私の知識はありません。ただ、写真のその記念館はとても
レトロでその建物が見てみたい・・・と思っていたら、この間NHKの和歌山限定
ニュースで中継されていたのです。場所もわからず、インターネットで調べて
新宮郵便局の裏みたい・・なら税務署は郵便局と並んでいるから近くじゃん!
長年の夢を・・・で行ってきました!!

まずはおとうさんの用事を待っているときに、車の中から「え?あれちゃうの」
でパチリ。裏じゃなく局の表玄関から見ると前方にあるのです。やはり、地図を
読めない女でした。調べたとおり駐車場はないので車をスーパー・オークワに駐車
して、徒歩で記念館にむかいます。

近づくにしたがって、「きゃーきゃー」と私の心は騒ぎます。なんてカワイイ建物
なんでしょ。奥に見える白っぽい二階建てです。まわりの家々も記念館に合わせた
ような落ち着いた家ばかり、といっても何軒もあるわけではなくそれでも敷地が
広い家ばかり、路面も石畳みたいですてき。

ベージュの壁に赤茶色のペンキで塗られた扉。
隣のお庭では庭木の伐採中で、それがあまりに丸坊主のように切られているのは残
念でした。
西村伊作・・・1884明治17年、新宮で生まれる。父は大石余平。父親はクリ
スチャンで新宮教会の中心人物、伊作という名は聖書にあるアブラ
ハムの子イサク(アイザック)にちなんでつけられる。
3歳の時に、母方の奈良県下北山村の西村家の養子となり西村伊作
となった。その後、名古屋で暮らすが7歳の時英和女学校の礼拝堂
で礼拝中、濃尾大地震で両親をなくす。伊作は下北山村に帰り、新
宮高等小学校を卒業。
1895明治28年、父方の叔父大石誠之助がアメリカで医学を修
め帰国、伊作の父代わりとなるべく自宅に呼び寄せる。誠之助から
米国の最新の生活改善や社会主義の知識を得る・・・・・
「西村記念館を守り伝える会」から

石でできた中庭に入るための門
中に入ると、スリッパが置かれ入館料100円を小さな箱に入れて静かに入ります
午前中でしたが、誰もいません。さっそくカメラを握りしめ辺りを見ましたが、
≪撮影禁止≫の紙は貼られていません。撮影は可のようです。

最初の部屋には可愛いストーブが、かわいい暖炉風の場所に置かれています。
何度か新聞で見た家具類が、狭いけれど部屋に合うように置かれています。なんと
いうのかな、今でも生活できるじゃん・・と感じてしまいます。床は板張り。今な
ら不思議ではないけど、1915年大正4年に建てられたのですから、それに大都
会ではなく、当時熊野地方の材木市場で栄えた片田舎で、ですから珍しいといって
もいいと思います。部屋の壁に沿っていくつもの家具、その中にはこれまた陶芸品
が飾れれています。テーブルも椅子もソファーもどれも直角。座るのは疲れるだろ
うな「ちょっと、昔お医者さんとかの長いすはこんな感じやったね。布のところに
押しピンみたいなのがいっぱい並んだ・・座ってみよかな」と言ったとき、後ろか
ら男性の声が。「ようこそいらっしゃいました」・・すっとした初老の館長さんで
しょうか。「遠くからお越しですか?」「串本です」「この西村伊作の住んでいた家
は・・・・」と、伊作の生誕から始まり、家族構成、時代風景、叔父大石誠之助の
『大逆事件』、展示している写真について当時の新宮の様子などなど、あとあと
なんで録音しなかったのかと悔やまれるほどのお話を、館長さん(だと思う)はし
てくれます。私たち2人(2人しか来館者はいなかった)に一つ一つ説明してくれ
ます。2人、というか私はそのお話しにとても、興味をひかれワクワクもんでした