
二階から庭を見る
古くなり補強もされている窓、階下の庭は思った以上広く、先日NHKが中継した
ときも大勢の参加者が写っていた。館長さんも「串本と言えば、この間の放送も
串本、勝浦、そしてここ新宮の順でしたね。NHKさんもたくさんのスタッフを
連れてこられ総勢50人ほどでしたか、下の部屋の通路にケーブルが一面に這いま
して・・・」いや、参加者入れて50人くらいじゃなかったかな、新宮の淡交会と
新宮高校の茶道部・琴部の女子に見学者がお庭に溢れていました。

二階のバスルームの蛇口は、館長さんが説明されたとおり温水・水の蛇口で、これ
もレトロだし、今のデザインと変わらない。バスタブは・・・というと

これはもうイメージして下さい!みたいな、バスタブが置かれた位置とタイル張り
ということかな?まさかここの館長さんが住んで使っているわきゃないわなぁ。
でも明るいお風呂はいいよね。

二階の踊り場から見た階段
この記念館は外観は洋館だけど、内部には日本的な畳や床の間とかをしつらえてい
る。それは伊作さんの西洋文化への思いと残しておきたい日本様式の和洋折衷住宅
なんですね。丸々洋風にしてもホッとしたい空間を求めたみたいな。
きっと神戸や横浜には、昔からこんな家があったんだなぁ、それをこんな当時は
栄えていたといっても、熊野地方の材木で成り立っていた新宮に作るんだからたい
したもんだ。でも、それも母方の西村家の資産でやり始めたというから、お金があ
るからできたということだな。叔父の大石誠之助も渡米して医学を学ぶのだから
裕福な家のようだ。しかし、新宮で開業すると貧しい人には診察料不要。
障子を三度たたいたら、この患者さんからお金を貰うな・・という暗号みたいなも
のがあったそうだ(館長さんが言っていた)。誠之助の≪太平洋食堂≫は開業した
当初は、なかなか評判だったけど誠之助らがあれこれそばで、フォークやナイフの
持ち方を口うるさく講釈をたれるので、いつしか閑古鳥が鳴くようになった・・。
まぁ、悪気はないけど横で、あーだこーだ言われたら、おいしくないもんね。
誠之助はのちに、『大逆事件』に連座して処刑されてしまうのだけど館長さんいわ
く「この事件は 後世になり時の政府が捏造した事件であり社会主義者を排斥する
ものだったということがわかったのです。」当時、新宮は材木を切り出し資産家も
多く、誠之助のように外国の社会主義社会を体験してきた者のところには、また同
士も集ったようだ。明治時代の新宮市を舞台に辻原登の小説『許されざる者』は
モデルが誠之助だそうだ。大逆事件の関係者、幸徳秋水と誠之助が酒を酌み交わし
た・・という説もあるけどそれは?みたいなことを新聞記事でみました。

西村伊作
伊作さんは何枚もの絵を描かれていて、部屋や廊下にと展示されていました。絵を
カメラで写していいのか、館長さんがぴったりとついて回ってくれるので、撮影は
断念しましたが、モデルは家族や静物、なかには与謝野晶子像という絵がありまし
た。顔だけが浮き上がったような、夜中にくらい廊下で見たら悲鳴を上げそうな絵
だけど、じっくり見ていると与謝野晶子に見えてくる・・って、私も晶子サンには
白黒写真でしかお会いしてないのだけど・・・。風景画なども飾られていたけど
複製画?かなとも思うのだ・・・。
最後の部屋で「うわぁ~!」と言ってしまった椅子です。

これは幼児用食卓椅子です。小さい子供と一緒にテーブルで食事をするときに使う
レストランとかでも見かけますね、それが大正時代に新宮で使われていたんだ。
肘掛の湾曲したところが、今までの直線的デザインとは違う・・これは伊作さんの
弟の作品だったかな?あめ色の木肌が暖かい感じだ。

玄関先の階段、家を建てたならこんな階段をぜひとも造りたいと思うのでした。
記念館を出て少し奥に歩いていくと、もう一軒レトロな家が見えます。館長さんが
二階の窓から教えてくれた伊作さんが、設計した当時の新宮教会の神父さんの自宅
旧チャップマン宅。途中で持ち主が代わったため、玄関横に建て増しをされたよう
で、少し昔とは違ってしまったようです。この日はさきの台風のために瓦がずれて
しまい、屋根に作業の方が上がっていました。二階から見たときに青い屋根瓦が
ステキに思い「まるで神戸や横浜にあってもおかしくないような、屋根ですね」と
言ったところ「昔はあの屋根ではなかったんですよ」と言われてしまい、ちょっと
がっかり。でもステキな家でした。
