私が、感激したのは西村伊作という人物を少しだけ知ったことと、やはりこのメル
ヘンチックな建物、それに付随する家具類。とくに≪窓ガラス≫。ガラスについて
は詳しいことはわからないけど、窓ガラスが昔製のもので厚いところとそうでない
ところがある、いまのガラスのように均一でないところにメチャクチャ感激したの
だ。子供時代一部屋だけ薄いガラスのはめ込んだ窓があって、それはたぶん昭和の
ガラスだと思うけどそのガラスを透して入ってくる太陽の光、熱が柔らかく感じた
ことを思い出させてくれた。ここのガラスはそれ以前のガラスだと思うけど、それ
を透して外を見ると、微妙に景色が歪んで見える。現代ではあまり見られない感覚
だった。嬉しくなってカメラを向けて歪んだ風景を撮影していたら、館長さんが
「お客さん、其処は写真がが歪んで写ってしまうので、窓を開けましょう」と言う
ではないか。「あ~、わたしは、それを写したいんだけど・・・」

この窓ガラスも薄いんだけど、館長さんの説明ではなんと自動的に窓が上がってい
くという、画期的な窓なのだ。左の窓、開いていますね。この上がった窓は下に
止め具があって窓枠に止められている、右の閉まった窓状態になります。止め具を
解除するとグィ~ンと半分まで窓ごと上がっていくのだ。仕組みはガラスの入った
窓とはめ込んだ窓枠が重りで可動するようになっているんだって。きゃー!私は
それを伊作さんが大工さんにどうやって説明して作らせたのか、もうそれを想像し
て浮かれ状態。カーテン上部左の窓に滑車が見えるでしょ、あれがタネでしょうね
それに食堂の一ヶ所に床板が外れるところがあって、そこから蒸気が出るようにな
ていたとか(スチーム?床全体ではなさそう)。館長さんは次々と説明してくれま
す。二階も上がっていいといいます。
二階に上がる階段は、幅は大人2人が並べるくらいで真ん中に赤い敷物を敷き、手
すりがあり「串高の木道校舎のところにもあったやろ、これより広い階段。あれも
よかったなぁ」とおとうさんに相槌を求めながら階上に行きます。二階にはいくつ
か部屋があり、どの部屋から見ようか・・と進むと、おとうさんと館長さんは隣の
部屋に行ってしまった。私一人でパチリ、パチリ写真を撮りながら見ることにした

洋間の片隅に、洒落た今でも立派に使える鏡つきテーブル、日本語で言えば鏡台、
洋風にドレッサーですね。このターコイズブルーというのでしょうか、タイルの色
がとても日本では考えられないし、木製の家具に不思議と合っている。最近通販の
雑誌でこんなカラータイルをミニテーブルとかに使用した商品を見ることがある。
その時「あ、お洒落じゃん」と感心したのだな、それが目の前に現れたからびっ
くり!!椅子は当時のものかは不明。これも直線デザインだ。

ただの窓辺ではありません。窓の外にバルコニーがあるのです。今で言うベランダ
みたいな、でもベランダほど幅がないのでバルコニーです。伊作さんは新宮・日和
山(ひよりやま)に日本で初めてのバルコニー付きのバンガローを立てた人なんだ
よ~。老朽化のため、バルコニーには出られませんが、ここも古いガラスです。

伊作さん設計のバンガロー
模型を置いた台は、どうやら子供たちのベッドのようです。9人の子供がいたのだ

伊作さんは、その後神戸と東京に設計事務所を持ったそうだし、この記念館の裏
に当時新宮教会の神父さんの住むための家もデザインしたそうだ。う~ん、奇抜な
黒川ナントカさんとか安藤ナントカさんみたいな、建築家だったようです。

この廊下に沿って和室、浴室(当時二階に浴室でっせ)、畳を外せばフローリング
になる部屋があるのだ!!突き当たりの大きな窓ガラス、日本人ならここは壁にな
ってしまいますね。そうなると廊下は暗くなる。

この和室は少し小さい(畳数を数えておくべきだった)、館長さんいわく伊作さん
の奥さんが使っていたのではないか・・ということです。
ヘンチックな建物、それに付随する家具類。とくに≪窓ガラス≫。ガラスについて
は詳しいことはわからないけど、窓ガラスが昔製のもので厚いところとそうでない
ところがある、いまのガラスのように均一でないところにメチャクチャ感激したの
だ。子供時代一部屋だけ薄いガラスのはめ込んだ窓があって、それはたぶん昭和の
ガラスだと思うけどそのガラスを透して入ってくる太陽の光、熱が柔らかく感じた
ことを思い出させてくれた。ここのガラスはそれ以前のガラスだと思うけど、それ
を透して外を見ると、微妙に景色が歪んで見える。現代ではあまり見られない感覚
だった。嬉しくなってカメラを向けて歪んだ風景を撮影していたら、館長さんが
「お客さん、其処は写真がが歪んで写ってしまうので、窓を開けましょう」と言う
ではないか。「あ~、わたしは、それを写したいんだけど・・・」

この窓ガラスも薄いんだけど、館長さんの説明ではなんと自動的に窓が上がってい
くという、画期的な窓なのだ。左の窓、開いていますね。この上がった窓は下に
止め具があって窓枠に止められている、右の閉まった窓状態になります。止め具を
解除するとグィ~ンと半分まで窓ごと上がっていくのだ。仕組みはガラスの入った
窓とはめ込んだ窓枠が重りで可動するようになっているんだって。きゃー!私は
それを伊作さんが大工さんにどうやって説明して作らせたのか、もうそれを想像し
て浮かれ状態。カーテン上部左の窓に滑車が見えるでしょ、あれがタネでしょうね
それに食堂の一ヶ所に床板が外れるところがあって、そこから蒸気が出るようにな
ていたとか(スチーム?床全体ではなさそう)。館長さんは次々と説明してくれま
す。二階も上がっていいといいます。
二階に上がる階段は、幅は大人2人が並べるくらいで真ん中に赤い敷物を敷き、手
すりがあり「串高の木道校舎のところにもあったやろ、これより広い階段。あれも
よかったなぁ」とおとうさんに相槌を求めながら階上に行きます。二階にはいくつ
か部屋があり、どの部屋から見ようか・・と進むと、おとうさんと館長さんは隣の
部屋に行ってしまった。私一人でパチリ、パチリ写真を撮りながら見ることにした

洋間の片隅に、洒落た今でも立派に使える鏡つきテーブル、日本語で言えば鏡台、
洋風にドレッサーですね。このターコイズブルーというのでしょうか、タイルの色
がとても日本では考えられないし、木製の家具に不思議と合っている。最近通販の
雑誌でこんなカラータイルをミニテーブルとかに使用した商品を見ることがある。
その時「あ、お洒落じゃん」と感心したのだな、それが目の前に現れたからびっ
くり!!椅子は当時のものかは不明。これも直線デザインだ。

ただの窓辺ではありません。窓の外にバルコニーがあるのです。今で言うベランダ
みたいな、でもベランダほど幅がないのでバルコニーです。伊作さんは新宮・日和
山(ひよりやま)に日本で初めてのバルコニー付きのバンガローを立てた人なんだ
よ~。老朽化のため、バルコニーには出られませんが、ここも古いガラスです。

伊作さん設計のバンガロー
模型を置いた台は、どうやら子供たちのベッドのようです。9人の子供がいたのだ

伊作さんは、その後神戸と東京に設計事務所を持ったそうだし、この記念館の裏
に当時新宮教会の神父さんの住むための家もデザインしたそうだ。う~ん、奇抜な
黒川ナントカさんとか安藤ナントカさんみたいな、建築家だったようです。

この廊下に沿って和室、浴室(当時二階に浴室でっせ)、畳を外せばフローリング
になる部屋があるのだ!!突き当たりの大きな窓ガラス、日本人ならここは壁にな
ってしまいますね。そうなると廊下は暗くなる。

この和室は少し小さい(畳数を数えておくべきだった)、館長さんいわく伊作さん
の奥さんが使っていたのではないか・・ということです。