こげの耳に★ねんぶつ★

たわいない日々の思うことと愛犬こげと花が咲いていたら花の写真など

あらぎ島

2009-11-16 05:31:04 | 和歌山県
山頂から下りてスカイタワー下の物産店上の食堂に入りました。食べるものは山の

中だからそうありません。セルフとのことで、入ってすぐ「ご注文を先にすませて

ください」と言うので、選んでもいられない。きつねうどんとカツどん食後のコー

ヒー、しめて2200円あまり・・。しかし、次から次とお客が来るし、厨房が

一人、お店に一人、片付けにひとりだから注文先行でなかなか番号が呼ばれない。

「おい、二十分経ったぞ」とお父さんが小声で言う。隣の夫婦とおばあちゃんは

うどんを注文したのだが、なかにキジうどん用のキジ肉が入っていたらしく奥さん

は「話の種になるからいいわ。うどんが硬い」と言っていた。店内はあわただしく

なるばかりでも番号が呼ばれないのは悲しい。やっと呼ばれて私は700円のきつ

ねうどんをすする。この分だと早めに食後のコーヒーの指示を出さないとどれだけ

待つか・・・。コーヒーに指示をしても、すんなり呼ばれず隣のテーブルに座った

アベックがキジ定食を「お!食べる前に写真、写真」この人ブログ書いてるな・・

と観察をしてしまった。カップを戻しに行ったときに「ごちそうさま」と言うとひ

ときわ大きな声で「ありがとうございました。お気をつけてお帰りください」と言

ってくれました。ハイ、無事に帰りたいです。

おとうさんは生石高原(おいしこうげん)まで行く予定を立てていたのだけど、道

中とここで意外と時間をとってしまったので帰路につくことにしました。しかし、

今度は「花園村に恐竜ランドあったやろ、あの子らと来たことある、あそこを通っ

て有田(ありた)に出るコースで帰る」と言います。なんか花園村って山の中でし

んどかった記憶があるんだけど。そう言うなら仕方ないです。


             なぜか巨大壁画が・・・

花園村は伊都郡にあった村で、2005年10月にかつらぎ町に編入されて自治体

としては消滅した。壁画は平成元年に村制100周年を記念して描かれたらしい。

高さ55m底辺100mで日本最大という。もう20年も経ってしまったからか

色もあせて、黒ずんできている。前の建物が中学校なので中学生が描いたような絵

です。花園村の恐竜ランドは、恐竜がいたとか、骨が出たとかという土地ではないのだけど

昔の炭鉱洞窟跡だったかを利用して観光地に仕立てたようだ。私たちも前に行った

けど、大きな恐竜がいて(恐竜のオキモノ)その大きさに驚いたのだ。洞窟は暗く

寒く、次男君が迷子になりかけた。小学校低学年までが喜びそうなところでした。

     

この川岸の刈り込みは誰がするんだろう・・生徒がするのかな?かなり面積広いし

役場がするのか?これも観光のスポットなのか?ふと父兄が整備に出るなんてこと

になると参加者ないやろなぁ~と思いました。

 帰路についたのはいいけど、トイレタイムのために道の駅に寄りました。相変わ

らず、ここはどこ?です。道の駅 あらぎの里 というそうです。

ここでおばあちゃんになにか買っていかないと、こげの散歩にきょうは出てもらう

ので。売店には土地の産物や手作りのジャムや草履とか売っていましたが、

目についた手作り農作業用帽子が350円で売られていたので色々あるのを被っ

てみて自分用のと3枚購入。おとうさんはジャム。どうやら有田川町は山椒の生産

地というので、粉のやら粒のやら、なかには粒と小さなすり鉢スリコギ付きという

のもありました。「この近くに≪あらぎ島≫というのがあるみたいやから行ってみ

よか」というけど、あらぎ島、あらぎ島・・・あ!あれや・・・思い出しました。



 春の田植えや黄色くなった夏、季節のニュースでよく見る風景がここでした。

道の駅を出てすぐはいり口があり、車ですぐですが駐車場がありません。道の駅か

らでも歩けない距離ではないと思います。が、ちょうど展望台すぎたところに止め

られる場所をみつけ、駐車。徒歩で展望台に・・。それがうえの写真。

関西の人なら一度は目にしたことがある風景だと思う。扇状に広がる棚田、日本の

棚田百選にも選ばれています。扇状と書いたけど、ホタテ型と書かれたものもあり

ます。300年以上前に新田として開発されたそうで、有田川のくねった川の中に

台地のように54枚のたんぼが作られています。現在も付近の農家が休耕田にする

ことなく耕作、こう観光スポットになると一枚でも荒れさせることはできなくなっ

てしまいますね。でも、キャンドルを並べたりイベントなども計画して認知度をあ

げています。黄金色のときも、緑の時もきっと見ごたえあるやろなぁ。


                  こげも感激!あらぎ島



ここは二川(ふたがわ)ダム湖。ダムって今、話題の工事よね。必要か、否か。

完成するまでにこう時間がかかると、その時必要であっても今はいらんやん・・・

ってことになって、それより河川の浚渫、改良で治まっていくんじゃない?という

場合もあるかもしれない。造っても奈良のダムみたいに地すべり起こしかねないダ

ムなんて、無くてもいいやん。村民を仲たがいさせて住民の利にはなっていない。

本当に造ってほしいところに、一刻も早く造ることできないかなぁ・・。



前方の山に不思議なもの?あれって家?道路のガードレールなどみえません。林の

上に家を置いたように見えます。どうやら別荘地のようですが、あんなところで

何が見えるんでしょう?風が当るんじゃない?買出しは下界に下りてくるの?って

この付近、下界も拓けてなさそうだけど。神戸の街も遠くにこんな風景だったなぁ

別荘持つ人は、あえて不便さを求めるのね。もうすぐ拓けたところに出れるか?

車中は疲れムードが・・・。



有田のインターに入る信号で停車、横を見るとさすが和歌山、みかん畑。地面すれ

すれまでみかんが垂れ下がっています。交通量が多いせいかカラスなんかきていま

せん。写真の右がわ、ちょうど切れているところは収穫がすんだ木で、みかんがつ

いていませんでした。しかし、これだけのみかん、本当に消費できるのだろうか?

愛媛や静岡なんかと競争しても余るやろ~。そんなにみんなみかんが好きなのか!

 なんだかんだ言いながらやっと串本町に帰りつきました。のう凪(のうなぎ)ま

できたところ、ちょうど夕焼けがきれいだったので≪夕焼けモード≫で撮影しまし

た。


                のう凪の夕陽


夜のニュースでこの日、紀伊山地に世界の名車が集まる「ヴェトロモンターニャ高

野山2009」(ヴェの打ち方ぼんくらさんが教えてくれました)があったことを

知りました。そういや毎年11月にやっているな、クラシックカーのマニアたちが

高野山金剛峯寺近くの駐車場に集まってそれらの名車を展示するのだ。俳優の

夏木陽介が毎回のように参加している。今年で18回目らしいが保坂尚希・高岡早

紀元夫婦が来たこともあったし、たしかマッチ近藤真彦もあったんじゃないかな。

翌日の8日は高野龍神スカイラインを一列縦隊で走って、田辺市から白浜町でゴー

ルとか。最初の頃は その中の数台が串本町内まで走っているのを見たことがある

けど、なんかオープンカーが寒そうでもあり、かっこいい車もあったりすれ違うと

きに騒いだ記憶があります。
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護摩壇山 ③

2009-11-14 06:49:00 | 和歌山県


ここまで来たからは、護摩壇山頂に行こう・・ということで、歩いても500mや

し・・と言いながら、歩き出しました。標識の左隅に見える無舗装の道。前を4人

の熟年たちが歩いていたので、でもチェーンソーの音と木の倒れる音が聞こえるの

で、100mほど歩いて「やっぱ間違えてる感じや」とUターン。熟年たちは歩い

ていってしまったけど。で、また標識まで戻ってよく見ると、微妙に矢印らしく斜

めにカットしてました。「あのまま行って遭難したらどうすんよ!この看板が中途

半端やって訴えてやるわ!」と私は自分の落ち度なんてそっちのけで文句を言いま

す。キャンプファイヤーみたいに積み上げたのが≪ごまさんスカイタワー≫です。

その横の道を上がるのです。毎日こげの散歩で歩いてるから平気や!とおとうさん

も不安はなさそう。

しかし、現実は違うものなんですね。普段は高低の無い道、舗装された道を歩く私

たちですが、この山頂への道は一面落ち葉で覆われた幅広の階段になっています。

ただの坂道よりは歩きやすいという人もいるかもしれないけど、その階段が二歩で

上の段に行けば楽なんだけど、一歩半とか二歩半で上の段となるとだんだんテンポ

が狂ってきて「あ、足にきそう」と50mほどで言ってしまった。おとうさんが

「そこに杖があるから拾って使えば」みると、階段両横には何本かの枯れ枝の杖が

投げ捨てたように置かれています。戻ってきてここに次の人(私たちのような)の

ために置いてくれた・・と思っていいですよね。「うちの山ならおばあさん、そこ

らの木を折って杖にするなぁ」とおとうさん。「この間、加寿地蔵さんに行った時

「まだ杖はいらんわぁ」って思ったのに」と弱音を吐く私。杖を使うと足取りも軽

くなったようです。そういや、さっき上がっていく老人は山岳用の杖持ってたなぁ


                 自然のしくみ

理科で習うことですね、ようは いらんものを持ち込むな! ですが、こう環境変

化が続くと、それはそれで生き残っていくものとそうでないものに別れていく、

山奥の生物が里山に下りてくる・・もう自然のしくみは崩れている。それもこれも

人間が悪いのです。ところでクマ出るのかな?途中の木の皮が剥がれ、つめ跡みた

いなものが・・。「クマ除けの鈴忘れた、大台が原で買ったのに」と嘆くおとうさ

ん。「大丈夫!このこげ人形に鈴がついて微かに鳴るから。それにこの杖で戦う」

 ヒーコラ言いながら上がると前に30過ぎの娘さんと両親という三人連れが

歩いていました。だいぶお疲れのようで、山頂から降りてくるおじさんにあとどれ

位か訊ねています。「このあたりで半分」と聞かされ父親は「あと半分も・・」と

ショックのようです。母親が疲れたようなので一休みしそうなので、「こんにちは

お先に」と声をかけ、横を通り過ぎた時に「おい、杖ついてるぞ」という父親の声

が聞こえました。私達は小声で「まさか私らがその辺の枝を折って、杖にしたって

思って、折ったりしないよ・・・」「ね」という前に後方で「ボキッ」と木を折る

音が・・・。私達は下で捨てられた杖を拾ってきたんだー!父親が疲れた奥さんに

杖を作ったようです。

 しかし、山はいい。下りてくる人が皆、「こんにちは」と声をかけてきます。

次男君ぐらいの年頃の若者が4人下りて来ましたが、挨拶をしてくれます。書写山

のときも、夏の笹の滝の時も同じです。狭い道は譲りあい、きっとみんなにわか山

男みたいな気分かもしれません。

 山頂が見えたのでやっと到着です。そこには見晴台とモニュメントがありました

     
               和歌山県朝日夕陽百選

古座川の一枚岩にも、海中公園にもあるモニュメントです。協力してくれた杖と。




冬は写真のような景色なんでしょう。子供の時に両親と叔母の四人で高野山に行く

ためたしかこの道を走ったことがあった。こともあろうに帰路で雪道になり、ガソ

リンスタンドで急遽、チェーンを買うことになったんだけどシーズン中でタイヤに

合うのが無く、それでも下りなければなりません。父親は渋る店員から大きいチェ

ーンを購入し、たぶん大は小を兼ねる・・精神だったと思う。付け方を教えてもら

い(本州最南端で生きている限り、一生雪道でチェーンを装着することはない)、

下りだしたら、タイヤに合って無いからズレだしはじめ車は振られるわ、滑るわ、

止めてトランクから紐やら何やらで固定しなおし、横を走って行く車からはジロジ

ロ見られ、ナントカ下りた記憶があります。その時父親は「あの店員はサイズの違

うのを売った」となんとまぁ、勝手なことをブツブツ。そういう父親なのだ。

まだある、私を連れて高野山に行こうと言い出しこの道を、まだ舗装されていない

箇所があったのだけど、また車が振られ始め窓か後輪を見たらパンクしてるやん。

路肩に止め、今度はスペアタイヤに交換・・・つくづく私と父親ペアではこの

高野龍神スカイラインは鬼門なのだと思う。


              山頂にある石版

山頂だけど、じつはこの近くに≪和歌山県で一番高い山≫があるのです。山頂から

700mいったNHKの中継局のあるあたり。それなら写真撮ってたなぁ。その山

は国土地理院で計測されて和歌山の最高峰になったけど、名前の無い山で最近命名

されました。新聞で読みました。700mはきつかったので、やめました。


                      標識



                    NHK中継局



 この道を上がってきました。落ち葉の道は滑る・・こうやって見て思わず

「竹ぼうきで掃きたくなる、レレレのおじさんみたいに」と言ってしまった。杖を

握るおとうさんの影がおかしぃ。

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護摩壇山 ②

2009-11-13 05:43:02 | 和歌山県



高野龍神スカイラインという長い道をひたすら、護摩壇に向かいます。途中で

紅葉を撮影していたので、トイレ休憩で追い抜いたバスにまた抜かれました。クネ

クネ道なの追い抜きはできません。カーブのむこうからバイクが連なって走ってき

ます。この季節はバイクが多いのか、昔バイクに乗っていたおとうさんはすれ違う

たびに嬉しそうです。

     
               標高900m






このあたりは赤・黄・橙・緑・・・と色とりどりでこれからどんな風景か楽しみに

していたのですが、どうやらきれいなのはこのあたりまでだったようです。

     
               標高1200m

標高が上がるにしたがって、色づく木々が見えなくなり山頂あたりは葉っぱがない

灰色の木ばかりが見えてきます。そういや以前来た時も「灰色で寒そうな山」と

口々に言ったっけ。




動画の中で小さくチリチリ鳴っているのは、羊毛こげの首につけたベル型の鈴。

クリスマス・ケーキの飾りだったけど、ちゃんと音が出るんだ・・・

前方に≪ごまさんスカイタワー≫が見えてきました。今回はこのタワーに上がりま

せん。



車を降りましたが駐車場はオートバイや車でいっぱい。前に来た時はたこ焼き屋さ

んがあって、あまりの寒さに買った記憶があるけどもうありません。一台でも多く

駐車させるのでしょう。前日おばあちゃん達は、この1㌔ほど手前の広場で景色を

見たんだけど、トイレが×とか言っていました。なぜタワーまで行かなかったのか

不思議です。



このあたりは杉を植林していて、今はそれを伐採して出してくる道を造っているら

しく、観光タワーらしからぬチェーンソーの音が駐車場まで聞こえます。私たちに

は耳慣れた音なんだけど、やはり似合いません。



どうやら宿泊案内図のようですが、人だかりで見えませんでした。でもさすが龍神

村、看板の上部にドラゴンが・・あ、龍神です。日本三大美人の湯 龍神温泉。

いくらスカイラインとは言っても、串本からではかなりしんどいし、山ばっかしで

まだこの時は、このあと山の中を走って行くとは思っていませんでした。
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護摩壇山 ①

2009-11-12 05:33:21 | 和歌山県
前日に西村記念館に行ってきたのに、その翌日また遠出することになりました。

でも、こっちの計画のほうが先に立てていたのでしかたありません。7日です


             遠出初参加の羊毛こげたち

左はちのとのお供、右はおとうさんの車のこげ。朝7時に出発してきょうは護摩壇

山(ごまだんざん)通称ごまさんに紅葉を見にフラフラと・・・。数日前の読売紙

にきれいな紅葉の写真が掲載されていて、「いまがいいかも」と行くことに。一応

おばあちゃんにも声をかけたけど、おばあちゃんは山歩き友達とその前日に同じよ

うなところへ行くというので不参加。おばあちゃん達は上富田から入ったように言

っていましたが、おとうさんとナビは前に梅振興館のあった南部のほうから入るら

しい。私に運転させないので、どこを走っているやら地名も道も覚えられない。

これは横に座るものは退屈なのだが・・・。連れていってくれるのだから、文句も

言えない。


しばらく走っていくと、いくつめかの道路標識がでました。高野龍神スカイライン

子供たちと前に来たのは、次男君がまだ保育園児ぐらいだったか。11月後半だっ

た、寒かった、紅葉は終わっていた・・ぐらいの記憶しかない。あの時もごまさん

まできたのだが、風景は灰色でちっとも楽しくなかった。



きょうは天気は快晴。少しずつ紅葉した木々が現れはじめたけど新聞で見たような

きれいな赤や黄色の木がありません。標高も高いのに、やはり温暖化で秋らしく

気温の変化がないのかも、遅れているのか?紅葉  

陽が当るところはきれいに紅葉も映えるのだが、日陰に入ると常緑樹の緑が勝って

しまうというような、ちょっと残念な風景ばかり続きます。



途中の道路わきの案内板。ウサギがえらそうに「ぼくたちをさがせるかい?」と

言っています。(ウサギさん、歯が伸びすぎです。それではエサをうまく食べられ

ません。)自然派体験・・とうたっても、こんな道にカモシカも小鳥も現れないし

車の音、特にオートバイの騒音で鳴き声なんか聞けません。そういいながら前方を

見ると、一本の紅葉したモミジを発見!



近寄って撮影したいのだけどガードレールの外の斜面に生えていたので無理。少し

色がきついのは、紅葉モードで撮影したからかも・・。赤色一本の後ろの黄色が引

き立てているようで、じつはこのモミジしかこの日はモミジらしいのに出会わなか

ったのです。走っているときに川向こうの土手に整然と植えられたモミジが十数本

あったけど、日陰で色も冴えていず、やはりこう赤々、黄ぃ黄ぃ(こんな言葉はな

い)した自然に生えた木のほうが好き。


               こげもいっしょに・・・
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西村記念館 ④

2009-11-11 05:29:02 | 和歌山県

              二階から庭を見る

古くなり補強もされている窓、階下の庭は思った以上広く、先日NHKが中継した

ときも大勢の参加者が写っていた。館長さんも「串本と言えば、この間の放送も

串本、勝浦、そしてここ新宮の順でしたね。NHKさんもたくさんのスタッフを

連れてこられ総勢50人ほどでしたか、下の部屋の通路にケーブルが一面に這いま

して・・・」いや、参加者入れて50人くらいじゃなかったかな、新宮の淡交会と

新宮高校の茶道部・琴部の女子に見学者がお庭に溢れていました。



二階のバスルームの蛇口は、館長さんが説明されたとおり温水・水の蛇口で、これ

もレトロだし、今のデザインと変わらない。バスタブは・・・というと



これはもうイメージして下さい!みたいな、バスタブが置かれた位置とタイル張り

ということかな?まさかここの館長さんが住んで使っているわきゃないわなぁ。

でも明るいお風呂はいいよね。


          二階の踊り場から見た階段

この記念館は外観は洋館だけど、内部には日本的な畳や床の間とかをしつらえてい

る。それは伊作さんの西洋文化への思いと残しておきたい日本様式の和洋折衷住宅

なんですね。丸々洋風にしてもホッとしたい空間を求めたみたいな。

 きっと神戸や横浜には、昔からこんな家があったんだなぁ、それをこんな当時は

栄えていたといっても、熊野地方の材木で成り立っていた新宮に作るんだからたい

したもんだ。でも、それも母方の西村家の資産でやり始めたというから、お金があ

るからできたということだな。叔父の大石誠之助も渡米して医学を学ぶのだから

裕福な家のようだ。しかし、新宮で開業すると貧しい人には診察料不要。

障子を三度たたいたら、この患者さんからお金を貰うな・・という暗号みたいなも

のがあったそうだ(館長さんが言っていた)。誠之助の≪太平洋食堂≫は開業した

当初は、なかなか評判だったけど誠之助らがあれこれそばで、フォークやナイフの

持ち方を口うるさく講釈をたれるので、いつしか閑古鳥が鳴くようになった・・。

 まぁ、悪気はないけど横で、あーだこーだ言われたら、おいしくないもんね。

誠之助はのちに、『大逆事件』に連座して処刑されてしまうのだけど館長さんいわ

く「この事件は 後世になり時の政府が捏造した事件であり社会主義者を排斥する

ものだったということがわかったのです。」当時、新宮は材木を切り出し資産家も

多く、誠之助のように外国の社会主義社会を体験してきた者のところには、また同

士も集ったようだ。明治時代の新宮市を舞台に辻原登の小説『許されざる者』は

モデルが誠之助だそうだ。大逆事件の関係者、幸徳秋水と誠之助が酒を酌み交わし

た・・という説もあるけどそれは?みたいなことを新聞記事でみました。

       
                     西村伊作

伊作さんは何枚もの絵を描かれていて、部屋や廊下にと展示されていました。絵を

カメラで写していいのか、館長さんがぴったりとついて回ってくれるので、撮影は

断念しましたが、モデルは家族や静物、なかには与謝野晶子像という絵がありまし

た。顔だけが浮き上がったような、夜中にくらい廊下で見たら悲鳴を上げそうな絵

だけど、じっくり見ていると与謝野晶子に見えてくる・・って、私も晶子サンには

白黒写真でしかお会いしてないのだけど・・・。風景画なども飾られていたけど

複製画?かなとも思うのだ・・・。

      最後の部屋で「うわぁ~!」と言ってしまった椅子です。



これは幼児用食卓椅子です。小さい子供と一緒にテーブルで食事をするときに使う

レストランとかでも見かけますね、それが大正時代に新宮で使われていたんだ。

肘掛の湾曲したところが、今までの直線的デザインとは違う・・これは伊作さんの

弟の作品だったかな?あめ色の木肌が暖かい感じだ。



玄関先の階段、家を建てたならこんな階段をぜひとも造りたいと思うのでした。

記念館を出て少し奥に歩いていくと、もう一軒レトロな家が見えます。館長さんが

二階の窓から教えてくれた伊作さんが、設計した当時の新宮教会の神父さんの自宅

旧チャップマン宅。途中で持ち主が代わったため、玄関横に建て増しをされたよう

で、少し昔とは違ってしまったようです。この日はさきの台風のために瓦がずれて

しまい、屋根に作業の方が上がっていました。二階から見たときに青い屋根瓦が

ステキに思い「まるで神戸や横浜にあってもおかしくないような、屋根ですね」と

言ったところ「昔はあの屋根ではなかったんですよ」と言われてしまい、ちょっと

がっかり。でもステキな家でした。




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西村記念館 ③

2009-11-10 05:38:00 | 和歌山県
私が、感激したのは西村伊作という人物を少しだけ知ったことと、やはりこのメル

ヘンチックな建物、それに付随する家具類。とくに≪窓ガラス≫。ガラスについて

は詳しいことはわからないけど、窓ガラスが昔製のもので厚いところとそうでない

ところがある、いまのガラスのように均一でないところにメチャクチャ感激したの

だ。子供時代一部屋だけ薄いガラスのはめ込んだ窓があって、それはたぶん昭和の

ガラスだと思うけどそのガラスを透して入ってくる太陽の光、熱が柔らかく感じた

ことを思い出させてくれた。ここのガラスはそれ以前のガラスだと思うけど、それ

を透して外を見ると、微妙に景色が歪んで見える。現代ではあまり見られない感覚

だった。嬉しくなってカメラを向けて歪んだ風景を撮影していたら、館長さんが

「お客さん、其処は写真がが歪んで写ってしまうので、窓を開けましょう」と言う

ではないか。「あ~、わたしは、それを写したいんだけど・・・」


この窓ガラスも薄いんだけど、館長さんの説明ではなんと自動的に窓が上がってい

くという、画期的な窓なのだ。左の窓、開いていますね。この上がった窓は下に

止め具があって窓枠に止められている、右の閉まった窓状態になります。止め具を

解除するとグィ~ンと半分まで窓ごと上がっていくのだ。仕組みはガラスの入った

窓とはめ込んだ窓枠が重りで可動するようになっているんだって。きゃー!私は

それを伊作さんが大工さんにどうやって説明して作らせたのか、もうそれを想像し

て浮かれ状態。カーテン上部左の窓に滑車が見えるでしょ、あれがタネでしょうね

それに食堂の一ヶ所に床板が外れるところがあって、そこから蒸気が出るようにな

ていたとか(スチーム?床全体ではなさそう)。館長さんは次々と説明してくれま

す。二階も上がっていいといいます。

二階に上がる階段は、幅は大人2人が並べるくらいで真ん中に赤い敷物を敷き、手

すりがあり「串高の木道校舎のところにもあったやろ、これより広い階段。あれも

よかったなぁ」とおとうさんに相槌を求めながら階上に行きます。二階にはいくつ

か部屋があり、どの部屋から見ようか・・と進むと、おとうさんと館長さんは隣の

部屋に行ってしまった。私一人でパチリ、パチリ写真を撮りながら見ることにした



洋間の片隅に、洒落た今でも立派に使える鏡つきテーブル、日本語で言えば鏡台、

洋風にドレッサーですね。このターコイズブルーというのでしょうか、タイルの色

がとても日本では考えられないし、木製の家具に不思議と合っている。最近通販の

雑誌でこんなカラータイルをミニテーブルとかに使用した商品を見ることがある。

 その時「あ、お洒落じゃん」と感心したのだな、それが目の前に現れたからびっ

くり!!椅子は当時のものかは不明。これも直線デザインだ。



ただの窓辺ではありません。窓の外にバルコニーがあるのです。今で言うベランダ

みたいな、でもベランダほど幅がないのでバルコニーです。伊作さんは新宮・日和

山(ひよりやま)に日本で初めてのバルコニー付きのバンガローを立てた人なんだ

よ~。老朽化のため、バルコニーには出られませんが、ここも古いガラスです。


          伊作さん設計のバンガロー

模型を置いた台は、どうやら子供たちのベッドのようです。9人の子供がいたのだ



 伊作さんは、その後神戸と東京に設計事務所を持ったそうだし、この記念館の裏

に当時新宮教会の神父さんの住むための家もデザインしたそうだ。う~ん、奇抜な

黒川ナントカさんとか安藤ナントカさんみたいな、建築家だったようです。

     

この廊下に沿って和室、浴室(当時二階に浴室でっせ)、畳を外せばフローリング

になる部屋があるのだ!!突き当たりの大きな窓ガラス、日本人ならここは壁にな

ってしまいますね。そうなると廊下は暗くなる。



この和室は少し小さい(畳数を数えておくべきだった)、館長さんいわく伊作さん

の奥さんが使っていたのではないか・・ということです。

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西村記念館 ②

2009-11-09 06:00:01 | 和歌山県

          ストーブのあったところから居間をみる

14歳、広島で牧師の妻となっていた叔母宅に身を寄せ、私立明道中学校に入学、

卒業後下北山に戻り、山林資産家の後継者として自学自習の生活に入る。

1904明治37年、誠之助は生活改善啓蒙のため≪太平洋食堂≫を開き伊作も

手伝う。

1906明治39年、米国で流行していたバンガローを新宮・日和山に建てる。こ

れがわが国における現代の家の居間を中心にした住宅。      前出から

 館長さんのお話によるとそれまでの日本家屋は、客間中心の建て方であったけど

伊作さんは家族が中心に集まる居間を大事に設計し、それをこの館に用いたそうだ

この館はスイスシャレーと郷里である北山村の民家のスタイルを主としてはいるが

内部は洋式生活を取り入れている。どおりで今風にもなれる雰囲気が漂っているん

だわ!私は「こんな家に住みたい」を連呼していたのだけど、伊作さんは設計監督

しながら日本人の大工さんと造り上げたのだ。大工さんも困ったと思ったよ、だっ

て窓下が丸くなっているんだもん、そんな明治大正時代、洋風の家なんてその辺に

ないんだもん。伊作さんは屋上に水槽を作り地下に井戸を掘って、手押しポンプで

くみ上げ、(昔はトイレやお風呂は外に作ったけど)それを一階、二階のトイレに

水洗トイレとして使ったり、二階にお湯と水が出るお風呂を作ったりと驚くことを

やっているのだ。当時なら≪ハイカラさん≫か≪洋風かぶれ≫なんて言われたこと

だろうな。



 伊作さんがデザインしたテーブル。彼はシンプル・ライフをモットーとし、その

頃は洋風といえば華美に装飾された家具調宅品が主だっていたのを、全ての家具を

直線で表した。いや、この直線は座ると背筋ビシッとだけど、クッション性がない

私が学生の頃≪シンプル・イズ・ベスト≫という流行語があったのをふと思い出し

た。人間、すっきりしたものを欲しがる時期というものがあるのだな。



ここは家族の食堂だそうだ。さきのテーブルやストーブの置かれた部屋は、サロン

として使用し、そこには歌人の与謝野寛・晶子夫妻や画家石井柏亭、彫刻家保田龍

門、陶芸家冨本憲吉、土地の文学者佐藤春夫などの芸術家が訪れ交友を持ったそう

だ。勉強不足で画家や彫刻家、陶芸家の人は知らないのだけど伊作さんが残してい

る絵画や陶芸品にはきっと何らかの影響を与えたんでしょうね。とはいっても、

伊作さんって職業はなに?と思ったんだけどマルチな才能とキリスト教から教えで

これからは日本式の教育ではなく、日々の生活を外国の生活と比べて恥ずかしくな

いように、当時は女子は裁縫・家事のための学校教育ではいけない・・と思ったよ

うだ。それは女子はこうあるべきだ・・という封建制度に変革を示したかったわけ

で、彼の生活哲学でもあったそうだ。

1921大正10年、伊作の第一子が尋常小学校を卒業するに際して友人与謝野夫

          妻、石井柏亭らと語り合って東京神田駿河台に新しい自由な

          芸術学問の学園、国際的な広い視野と生活方法を身につけた

          日本人を育てる学校として文化学院を創立したのである。

 文化学院は天災や官憲の圧迫にも堪えて、彼の息子娘達によって引き継がれ、現

在も彼の言っていた≪小さくて良いもの≫としてその存在を続けている・・・

文化学院の創立者だったんだ!他にもいくつかの著書を残している。
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西村記念館 ①

2009-11-08 06:22:45 | 和歌山県
金曜日、おとうさんが用事で新宮税務署に行くと言うので『西村記念館』に寄って

もらうことにしました。ここ数年前から、一度行ってみたかった場所です。時々

南紀州新聞で目にする西村伊作という人物、明治・大正時代の新宮に西洋文化を取

りこんだ・・ぐらいしか私の知識はありません。ただ、写真のその記念館はとても

レトロでその建物が見てみたい・・・と思っていたら、この間NHKの和歌山限定

ニュースで中継されていたのです。場所もわからず、インターネットで調べて

新宮郵便局の裏みたい・・なら税務署は郵便局と並んでいるから近くじゃん!

 長年の夢を・・・で行ってきました!!



 まずはおとうさんの用事を待っているときに、車の中から「え?あれちゃうの」

でパチリ。裏じゃなく局の表玄関から見ると前方にあるのです。やはり、地図を

読めない女でした。調べたとおり駐車場はないので車をスーパー・オークワに駐車

して、徒歩で記念館にむかいます。



近づくにしたがって、「きゃーきゃー」と私の心は騒ぎます。なんてカワイイ建物

なんでしょ。奥に見える白っぽい二階建てです。まわりの家々も記念館に合わせた

ような落ち着いた家ばかり、といっても何軒もあるわけではなくそれでも敷地が

広い家ばかり、路面も石畳みたいですてき。


      ベージュの壁に赤茶色のペンキで塗られた扉。

隣のお庭では庭木の伐採中で、それがあまりに丸坊主のように切られているのは残

念でした。

西村伊作・・・1884明治17年、新宮で生まれる。父は大石余平。父親はクリ

       スチャンで新宮教会の中心人物、伊作という名は聖書にあるアブラ

       ハムの子イサク(アイザック)にちなんでつけられる。

       3歳の時に、母方の奈良県下北山村の西村家の養子となり西村伊作

       となった。その後、名古屋で暮らすが7歳の時英和女学校の礼拝堂

       で礼拝中、濃尾大地震で両親をなくす。伊作は下北山村に帰り、新

       宮高等小学校を卒業。

       1895明治28年、父方の叔父大石誠之助がアメリカで医学を修

       め帰国、伊作の父代わりとなるべく自宅に呼び寄せる。誠之助から

       米国の最新の生活改善や社会主義の知識を得る・・・・・

                    「西村記念館を守り伝える会」から


                石でできた中庭に入るための門


中に入ると、スリッパが置かれ入館料100円を小さな箱に入れて静かに入ります

午前中でしたが、誰もいません。さっそくカメラを握りしめ辺りを見ましたが、

≪撮影禁止≫の紙は貼られていません。撮影は可のようです。



 最初の部屋には可愛いストーブが、かわいい暖炉風の場所に置かれています。

何度か新聞で見た家具類が、狭いけれど部屋に合うように置かれています。なんと

いうのかな、今でも生活できるじゃん・・と感じてしまいます。床は板張り。今な

ら不思議ではないけど、1915年大正4年に建てられたのですから、それに大都

会ではなく、当時熊野地方の材木市場で栄えた片田舎で、ですから珍しいといって

もいいと思います。部屋の壁に沿っていくつもの家具、その中にはこれまた陶芸品

が飾れれています。テーブルも椅子もソファーもどれも直角。座るのは疲れるだろ

うな「ちょっと、昔お医者さんとかの長いすはこんな感じやったね。布のところに

押しピンみたいなのがいっぱい並んだ・・座ってみよかな」と言ったとき、後ろか

ら男性の声が。「ようこそいらっしゃいました」・・すっとした初老の館長さんで

しょうか。「遠くからお越しですか?」「串本です」「この西村伊作の住んでいた家

は・・・・」と、伊作の生誕から始まり、家族構成、時代風景、叔父大石誠之助の

『大逆事件』、展示している写真について当時の新宮の様子などなど、あとあと

なんで録音しなかったのかと悔やまれるほどのお話を、館長さん(だと思う)はし

てくれます。私たち2人(2人しか来館者はいなかった)に一つ一つ説明してくれ

ます。2人、というか私はそのお話しにとても、興味をひかれワクワクもんでした
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カメラが・・・

2009-11-04 06:02:38 | いろいろ

                      タデ

この間、デジカメの中枢部をサビで痛め修理をし、復活したのだけど先週末

充電したのにレンズが伸びずまた液晶画面が真っ黒状態。「やば!」と思い

「それでも修理したばっかりやし、再修理かな。三ヶ月以内だと無償でやって

くれるみたいなコト書いた明細書があったなぁ」と、ゴソゴソしていたら充電して

いたUSBクレードルに設置したカメラがグリーンランプに。ボタンを押すと

レンズが伸びて、シャッターを切ると今度は戻らなくなってしまった。

 充電はできているみたいなので、取扱書をみると電池を交換したほうがいいよう

なので、とりあえず串本のエイデンにカメラ持参で電池を買いに行った。

 店員さんに「このカメラの電池ありますか?」と聞くと電池は取り寄せになると

いいます。どんな不具合かと聞くので、充電したのにレンズが出なかったり戻らな

かったり、画面がでなかったり。最近修理に出した(錆びさせた、とは言えず)。

というと「電池カバー開けますがいいですか?」というので「どうぞ」店員さんは

メモリーカードを抜き、電池を取り出しまた差し入れてカバーを戻して、なにやら

シャッターを長押ししていたけど、カシャっとシャッター音。「たぶんこれで大丈

夫です。充電ができているということなので、カメラというよりときたまあるんで

す。放電させると直ることが。時々電池もカードも抜いて放電させてくださいね」


キラ!!っと輝く歯が・・・店員さんは爽やかに笑ったのだ。放電・・・電気が

溜まりすぎたのか!?そうか!迷っていたけどここでデジイチを、あの店員さんで

買おうか!と心揺らぐのだ。若い人に親切に教えられると嬉しくなりますね。

 でも、こんな知識でデジイチを持っていいのか?という気持ちも・・・。

最近、オリンパスのペンが発売されていっそう女子にデジイチブームに拍車がかか

ってきたと聞く。私もその一人なんだけど、欲しかったペンは取り下げてニコンに

目標を定めてしまった。でもデジイチって撮影後はちゃんと掃除をしておかなくち

ゃいけないというし、ズボラな私が使っていいのか?とも思う。でも、楽しそうだ

もっぱら大型家電店にいっては 手にして重さを体験したりしてるんだけど、じつ

はネットショップのほうが安く、おまけがついていたりしてそっちで買おうかな、

と思っていたんだけど、今回のようなキラッと輝く爽やか青年が対応してくれるな

ら「串本でいいわい!!」とも思うのだ。どっちにしろ修理になると、メーカーに

送ることになるし・・・。撮影実力がないのはわかってるし、カメラを替えればい

い写真が撮れるわけではないし・・・カメラよりちゃんとした老眼鏡を買ったほう

がいいのか? また迷う・・ノダ。

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葉牡丹

2009-11-03 08:42:46 | 花・植物など


 前回「秋らしくなるか?」なんて題で書いたら、きのうの夕方から一気に冬っぽ

くなってしまった。やれハイビスカスやアマリリスが咲いた、カマキリを見かける

なんてことを、季節の神様が許さなかったように・・・。

 葉牡丹の苗とヒマワリの苗を9月の末に分けてもらったのだ。それから異常な

残暑が残るなか、両方とも成長を続けています。葉牡丹は途中でアオムシに食べら

れかけたけど、なんとか全員そろって大きくなってきました。昨日の朝には葉に露

を、というか地中の水分を葉の先端から放出しているような、水滴を出していまし

た。朝日にキラキラしてきれいだったのでパチリ!



 まだまだ大きくなってくると思われるけど、植えた花壇が狭いのでこれから先成

長すると、ちょっと無理かも。まぁなんとか年末まで持ちこたえたら切り花として

使うと意外と長持ちするし、瓶の中で発根する。おばあちゃんはそうやって、根を

出したのを畑に植えて、春まで楽しんでいた。成長するに従い下葉をもいでいくと

スッキリした姿になるんだけど、近くの葉牡丹を出荷している人達のと比べると

恥ずかしいくらいの葉牡丹である。苗を分けてくれた人には申し訳ないので、頑張

るつもりだ。ヒマワリのほうは昨年も分けてもらったけど、それとは雲泥の差にな

っている。長引いた残暑がよかったのか、ぐんぐん伸びつつある。台風にも倒れず

てっぺんにはつぼみもあるのだ。分けてくれた人は この冬先に出荷予定だったの

が台風で、そう倒れはしなかったものの山手まで吹き込んだ潮風で葉が黄ばんでし

まい。先日刈ってしまった。それでも数本を残したけど昨夜の強風でどうなったか

 私もチューリップ用に花壇に土を入れたけど掃除をしていたら、いつの種かはわ

からない景品でもらった≪美女撫子≫というのが出てきたので隅っこに種を蒔いた

咲くと見栄えもするけど、いかんせん私の花壇は土が少ないのだ。花壇自体が小さ

いからケチってしまう・・・それでも花は咲かせたい・・・これではいけないな。
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