Chun日記~両足脛骨欠損症の娘をもった父親の育児&子育て奮闘日記

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最後だとわかっていたなら

2009-11-17 02:15:22 | インポート
少し前、ある詩をみつけた
読んでいて、なんだかとても感じるところがあったので、ご紹介


なんだか、一日一日を大切にしなくては…
今出来ることは、やっておかなければ…
と考えさせられる内容です







『最後だとわかっていたなら』


あなたが眠りにつくのを見るのが
最後だとわかっていたら
わたしは もっとちゃんとカバーをかけて
神様にその魂を守ってくださるように祈っただろう


あなたがドアを出て行くのを見るのが
最後だとわかっていたら
わたしは あなたを抱きしめて キスをして
そしてまたもう一度呼び寄せて 抱きしめただろう


あなたが喜びに満ちた声をあげるのを聞くのが
最後だとわかっていたら
わたしは その一部始終をビデオにとって
毎日繰り返し見ただろう


あなたは言わなくても 分かってくれていたかもしれないけれど
最後だとわかっていたなら
一言だけでもいい・・・「あなたを愛してる」と
わたしは 伝えただろう


たしかにいつも明日はやってくる
でももしそれがわたしの勘違いで 今日で全てが終わるのだとしたら、
わたしは 今日
どんなにあなたを愛しているか 伝えたい


そして わたしたちは 忘れないようにしたい


若い人にも 年老いた人にも
明日は誰にも約束されていないのだということを
愛する人を抱きしめられるのは
今日が最後になるかもしれないことを


明日が来るのを待っているなら
今日でもいいはず
もし明日が来ないとしたら
あなたは今日を後悔するだろうから


微笑みや 抱擁や キスをするための
ほんのちょっとの時間を どうして惜しんだのかと
忙しさを理由に
その人の最後の願いとなってしまったことを
どうして してあげられなかったのかと


だから 今日
あなたの大切な人たちを しっかりと抱きしめよう
そして その人を愛していること
いつでも いつまでも大切な存在だということを
そっと伝えよう


「ごめんね」や「許してね」や「ありがとう」や「気にしないで」を
伝える時を持とう
そうすれば もし明日が来ないとしても
あなたは今日を後悔しないだろうから






うーむ
考えさせられます


そのときそのときを一生懸命 後悔のないように
簡単そうで難しい



最後の願いと判っていたのなら
…というより
それが 愛すべき人の“願い”であるならば、やはりなんとかして叶えてあげたい

まぁ私の場合
娘や妻が 将来願うかもしれない可能性まで含めて なんとかして叶えてあげたい
そんな気持ちかもしれない


最後かどうかは ともかく
人の願いを叶えること
家族の願いを叶えること

そこに 一生懸命になる人生があってもいいのかなと思う



私自身もその中から いろんなものを学び 成長し 自分自身のありたい姿を見つけていける
そんな気がした



闘病しているご家族の皆様 介護をされているご家族の皆様
そんな皆様にも 読んでもらいたい詩だなと 思いました




コメント
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