四角豆の種をとる

2007年11月05日 | Weblog


 部屋の中を片づけると、とてもきれいになって気持ちよいのですが、あとで困ります。必ず捜し物をしなくてはならなくなるからです。あれはどこへやったんだろうとか、これはどこへ持っていったんだとか、普段は使いもしないものが、そう言うときに限って必要になるんです。

 昨日は、その片づけをやりました。おかげで隅々まで掃除をすることが出来ました。今のところは捜し物はないです。

 捜し物は何ですか なんていう歌がありましたね。歌詞はどうということのないものですが、繰り返しのおもしろさとメロディーのおもしろさで、脳のどこかにへばりついていて、思い出すといつまでも残像として脳裏に存在っている歌だと思います。

   

 8月29日に話題にげたのですが、このバジル(バジリコ)は今でも同じように元気ですね。近くに行くと香ります。わざわざ足が触れるようにして通ると、なお香りが強くなります。なかなか良いものですね。畑の一番手前にあります。

   

 今頃になっても、まだ花が咲いているタカノツメです。これは植えたのが遅かったせいか、実も赤くなっていません。

   

 どこかの国の国旗に似たイメージになってしまいましたが、四角豆の種ができました。これは沢山できそうですよ。これから出来るのを含めて全部蒔いたとしたら、私の畑は四角豆だらけになってしまいます。ビッシリと作ったら、雑草も「こりゃ、まいったナー。」と言うかも知れませんね。

 この種も四角だと面白かったんですけどね。「おい、ついでだ。種も四角になれよ。」「そうだな。サヤだけではインパクトがないね。日光の手前かも知れないね。」「そうそう。」「でも、種も仕掛けも、、、いや、種も四角にせよなんて、ムム無理だーーーッ。」なんて四角豆の種を前にして勝手に一人二役で会話をやってしまいました。


    


    


 土曜日に祭日だったので、今回は三連休になりませんでしたね。紅葉の名所は、ずいぶんにぎわってその付近は渋滞したようです。

 そういうものに取り憑かれない私は楽です。紅葉ね、なるほど。なんてニュースを見ているだけ。昂揚されない。効用がないです。それより、また芭蕉の言うそぞろ神に取り憑かれた方が良さそうな感じがします。

 補)東京方面から日光に行くときには、日光の
   手前に今市(いまいち)という町がありま
   す。今は日光に合併されました。

 補補)理解に苦しむというコメントがありまし
    たので、さらに付け加えます。
    今市 → いまいち 
    「日光の手前だね。」→「いまいちだね。」