冬の畑はさびしい

2007年11月26日 | Weblog


 三連休中は、朝晩の冷え込みこそありましたが、天気に恵まれ、寒い風も吹かずに穏やかな日でした。

 畑はどんどん寂しくなっていき、いままで作物があり、その下を緑で埋めていた雑草もなくなり、まるでさら地のような部分があちこちに見られます。

 冬野菜があるとは言っても、夏から比べれば、蔓が這い出して多くの面積を占めるようなものもなく、種類ははるかに少ないので、畑全面を覆うどころか、土が顔をだしている部分の方が多いかなと思うくらいです。

 やっぱり冬は寂しいですね。その分だけ休めますけどね。日だまりの芝生で新聞や本を読む時間が少しはとれるようになってきました。

 いろいろな季節があり、その季節毎にやることが異なるってのも良いものですね。

               

 「always  続・三丁目の夕日」を見てきました。

  

 こんなシーンは無かったナー。これはカレーのCMです。でもあのころは、カレーは大ご馳走だった。今もカレーは人気がありますね。

  

 見栄っ張りの はとこ の女の子が同居することになり、喧嘩ばかりしていたんですが、女の子の性格がどんどん変わり、さびしいお別れのシーンです。男の子が貯金をして、東京タワーにのぼるお金を作っているのかなと思っていたら、女の子のに色鉛筆のセットを買って贈ってあげたという場面
です。「大きくなったらお嫁さんになってあげる。」と言われてびっくり。

 昭和30年代の設定だそうです。私の中学から高校あたりの頃のことです。東京タワーは出来上がっていました。第一作は、タワーがどんどん高く作られていくシーンが出てきたとか。

  


 原作は漫画なのだそうですが、なかなか面白かったです。それにちょっぴり泣かすシーンもありました。パロディーも結構ありましたね。「君の名は」を彷彿とさせるシーンがあったり、「踊る大走査線」の柳葉さんと同じスタイルと行動をする男がでてきたり、芥川をねらう貧乏作家の名前が茶川龍之介だったり、、、。

 夜の8時からの最終公演でした。帰りはおそくなりましたね。

               
  

  

 こんなシーンはありませんでした。これは映画でなくって、わが家のプランターのワケギです。時は昭和30年代ではなくて、平成10年代です。今年は畑には植えませんでした。以前も言いましたが畑まで取りに行くのがたいへんですから。

 このワケギというのは、ワケギを取ってきたから何を作ろうという食べ方はあまりしませんね。「 ※ を作ったからワケギ取ってきて 」
と頼まれることがよくあるように、作ったものにより使われる材料という場合がほとんどというより、全部です。

 ですので、畑まで出ていくのがたいへんなんです。特に今どきは霜どけで履き物に泥がつきますから、長靴にはきかえて行くという手間がかかりますからね。

 それより、台所の流しの上によくある手で下げる戸棚がありますね。あのように、縁側あたりにいて手で下げるとキャベツのプランターだったり、こっちのを下げると、、、、。バカらしいから、その話は途中で止めます。ハッと気づきました。いつものように、ついつい。


  

 どうして出ているのかわからないのですが、ハウスの真ん中にこの里芋があるんですよ。あまりにも邪魔なので撤去しました。真ん中は通路になっていますが、そこは肥料分が少ないので、食べられるほどの芋はたいしてありませんでした。

 夏中、トマトを取りに行くのに、そうとう邪魔だったはずですが、なぜ早く撤去しなかったのか、自分でもわかりません。無意識に無視していたんですね。

 こういうことってのは、他の場面でもあるものです。第三者ならパッと気づくのですけどね。「なんでこれがここにあるの? 邪魔じゃないの?」と聞かれて、「あっ、そうだった。」と気づくものってないですか?


   

 奥さんが、さかんに花の苗を植えてはいるのですが、やっぱり冬は花の数も少ないです。苗では写真に撮ってもしかたありませんからね。

 これは うめもどき です。裏山に沢山あって、歩くと足にからまって邪魔です。庭に移したものはきれいな実が生ってきれいです。小鳥はいち早くこの実を食べますが、今年はまだ食べられませんね。山に餌があるのかなと思います。

 これは野生ですが、盆栽用に改良したものは実がかなり大きくなって、小豆くらいになるでしょうか。

 「三丁目の夕日」に出てきた人たちのように、毎日は穏やかで出来るだけ自分に正直に生きることが一番かなと思いますね。

 きょうも、平和な日であると良いですね。