野菜作りは、適量に作るというのが難しいですね。たいていは作りすぎです。作りすぎは食べ過ぎにつながります。
作りすぎの原因は、ちょうど良い量かなという程度では、なにかあったら出来ないでしまうのではないかなという不安があるからです。それから、これくらいだとすぐに食べ尽くしてしまうのではないだろうか、という心配が生じるからです。
それは、自信がないからでしょうね。多めに作っておくと安心できます。しかし、本当はそういう理由は たてまえ のような気がします。実際は欲張りだからかなと自己分析しています。
昨日は、とある所に行って事務的なことをやっていたので、せっかくの良い日だったのに、ほとんどお日様の暖かい日射しを浴びないでしまいました。もったいない。
でも、他の三人と仕事の合間にいろいろな話ができましたので、刺激になりました。たまには人にあって、いろいろと雑談するのも良いですね。
妖怪四角豆も、だんだんここで勢いがなくなってきました。もう霜を何度も浴びていますからね。ここで朽ち果てるのではないかと思います。でもまだ緑なんですよ。茶色になったら、一気に解体しようと思っています。
これは何だか分かりますか。海のものか、それとも山のものか。海にあるわけないですね。
秋の夜を長しと言えど積もりにし
恋を尽くせば短くもありける
突然ですが、万葉集を読んでいたら、巻第十(第十巻)に誰かが作ったものがありました。つまり詠み人知らずです。
秋の夜は長いとは言っても、積もりつもった恋の思いを晴らすのには、なんとも短いものだ という意味なんでしょう。若い頃は楽しいですね。
私は若くないのですが、気持ちは若くてまだ二十代です。でも私の場合は恋心ではなくて、いろいろな世の中の雑事を考えていると、それはもう長い夜なんてありませんね。
こんな危ないのもありましたよ。
黄葉(もみじは)の過ぎかてぬ子を人妻と
見つつやあらむ恋しきものを
もみじが過ぎてしまうように見過ごすことができないあの女(こ)なのに、人妻だからじっと見ていなければならないのだろうか。こんなに恋しいのに。「黄葉の」は「過ぎ」の枕詞で、「かてぬ」は不可能という意味だとか。やり過ごすことが出来ないということでしょうか。
大昔も人の思いは同じですね。こういう歌は現代でも新鮮です。大川栄作の「さざんかの宿」と同じような世界に突入寸前の歌ですね。いままさにわが家では赤だのピンクだのと、山茶花の花は満開の時です。
上の赤い球をみていたら、それがルビー見みえてきて、そんなことを考えてしまいました。「あ、畑のルビーだ」なんてね。
これは、アスパラガスの実です。この赤い球の中に黒い実が入っているのです。みなさんに考えていてもらうあいだに、万葉集の歌を二つご紹介したまでです。万葉集も面白いですね。
撮ってから少し日にちが経ってしまいましたが、ターサイは何とかそれらしくなってきました。一部、虫にやられたものもあります。白菜とキャベツの虫取りに気を取られていましたから、こっちはほったらかしでした。というより、虫がつくなんてことは考えもしませんでした。野菜ですから、虫がつく可能性はあるのに、私にとっては初めて作るやさいなので、頭がそこまでは回転しなかったんですね。回転しなかったのだからどうしようもない。
回転寿司ならいつだって行きたいですけど。だいたい十皿ですね。これを越えるか越えないかです。越えると言うことは、ルビコン川を渡るかどうかの覚悟が必要で、今なら海外旅行に行くような覚悟が必要です。何で? と言われそうなので、説明します。(ここで改行)
それはお金の問題ではなくて、栄養過多の問題だからです。なんか十皿までなら安全圏のような気がするんです。そんなわけないのにね。ハッと気が付けばターサイとは関係なかった、、、。
今日は晴れるのかどうか。外の今の様子はまだ暗いので分かりません。そうとう寒くなってきました。石油ストーブをたくようになりました。今朝も霜がおりるんでしょうね。
4時に起きたら、すぐに猫のミーちゃんが外でニャンと私を呼びます。毎晩、外ですからね。毛皮を着ているので寒くはないんでしょうか。夏も冬も、この毛皮一枚で過ごしているわけです。これこそ正に正真正銘の一張羅(いっちょうら)ですね。負けた~~ 。
そろそろ夜明けが近いので、時間的に腹が減ってきたんでしょう。家の近くをうろついているんですね。いつ眠るのかなと思いますよ。あ、昼間でした。昼間はいつも座布団十枚でした。
補)ルビコン川を渡るかどうかの、、、
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