実がなるとイイナ

2016年12月13日 | Weblog


昔の月の名前、霜月とか師走というような呼び方ですが、なかなかその由来ははっきりとは分からないそうです。分からないと知りたいですね。しかし、分からない → なんとなく苦しい感じ。でも分からない。う~~~~ん。   ま、いいか。 諦めです。諦観。

  
                            諦めて寝ちゃおうっと

物事の始まりとか、言葉の大もと、例えばどうして猫は猫と言う名前なのか。猫より 「 寝子 」 の方がピッタリしているのではないのだろうか・・・・・。知りたくても分からないことは沢山ありますね。
現代でもいくらでもありますよ。事件の真相。あの人の心変わり。どうして彼が宝くじが当たって私がハズレなのか・・・・・・。

  

あまりこだわっていると、おかしくなります。この忙しい師走なのにおかしくなったらもう大変ですから、やっぱり 「 ほどほどに 」 とか 「 テキトーに 」 と言うことも大切ですね。
「 山道を歩きながらこう考えた 」 のは漱石の三四郎です。まあ、そういうときなら良いかも知れません。

  
                   ダリアが倒れないように・・・・ の残骸です

倒れるのはダリアばかりではありませんね。菊も倒れ易いです。こういう花は本来は倒れて乱れた咲き方をするのでしょうか。それを体裁よく見たいと思うから大変なのかなと思うことがあります。
でもやっぱり、きれいに咲いて欲しいですね。

  

トウモロコシなども風に倒れ易いですね。しかし、これは起こすとたいへん。根っこが千切れてしまうことがありますから、ほったらかしておくと、びょ~~ンと茎が曲がった状態で立ち上がりますね。
人間が改良に改良を重ねて作った作物などは、一般に弱くて倒れたり病気になりやすかったりしますね。動物もそのようです。

  

バナナの木は、強風で避けたり折れたりしていますが、ここに来て霜が降りるという寒さのために、とうとう茶色くなってしまいました。
これは見栄えは悪いですが、このままにして来春を待っていると、この茎を覆っている茶色い部分が防寒の衣のようになるのでしょうか、春には中から緑の若い部分が出て来て再生します。

以前も書いたことがあったかと思いますが、木の幹は無くて、幹に見える部分は葉っぱが巻いているのだそうです。
まあ、そういう理屈よりも、本当はバナナの実がなって欲しいなと思っているのですが・・・・・