今日の空こそ五月晴れです。風はそよ風。みんなどこに行って遊んでいるのか、家の近辺は静かです。田植えする人たちも見当たらず。もう、大体は終わったのでしょうか。
ほとんど機械を使っての農作業ですから、専業農家は数えるくらいしかなくて、それも年々高齢化が進んでいますから、作付面積は多くはなく、少しずつ縮小しているくらいですので、田植えはすぐに終わってしまうのかも知れません。
田植えは子供のころを思い出します。その頃は我が家でも田んぼを作っていました。
母が早く起きてご飯を炊き、おかずをいろいろと作って、父と一緒に荷車を引き田んぼまで行くと、そこはまるで田舎の銀座です。あっちでもこっちでも田んぼで作業する人たちがいました。機械はありません。全部手作業でした。
ご飯はお櫃に入っていて、独特の美味しそうな香りがしました。おかずは大体がサトイモとか油揚げの煮物でしたが、田んぼの太いあぜ道で食べる、この非日常的なお昼ご飯は特別でした。
今でも、その香りと味と風景は忘れられません。
父はサラリーマンでしたので、日曜百姓でした。あの頃はいつ田植えをやったのか覚えていません。おそらく梅雨の頃だったろうと思います。
今頃は田んぼはまだ人はまばらで、学校で相談をし「今日はやるか}「うん」と約束をして、バケツを持って田んぼに集合、と言っても二三人でしたが。
そして、水をかぶっていない泥土にポツッと鉛筆を差し込んだくらいの大きさの穴があったら、その周囲から両手を泥に差込み、泥をひっくり返すのです。そしたら、丸々と太ったドジョウがくねりながら出てくるのです。それを取ってはバケツに入れ、たくさんとって帰ります。その晩はもちろんドジョウ汁でした。
あのときめきは今でも忘れられません。大人になってからは、遊びではあのようにときめいたことは、たぶん一度も無かったと思います。
田んぼは良かったです。真ん中に川が流れていて、全速力で駆けてきてジャンプをしても飛び越せないくらいの幅でした。そして、ゲンコツ大から、それ以下の丸くなった小砂利が川底に敷き詰めてあり、水の深さはほとんどがくるぶしくらいまででした。深いところで、もちろん子供のサイズでいえば膝の上くらいまでで、済んでいて飲めば飲めるくらいきれいでした。
おもちゃも、遊ぶ物は何もなかったので、季節がよくなると川が一番の遊び場でした。その川の名前が私たちの住んでいる地名になっています。
遠いとおい、そして目の前にいつもある思い出です。