歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

落語と「笑点」そして金馬の「居酒屋」

2006年12月04日 | 昔の思い出
私が、落語に出会ったのは、小学校の五年生の時でした。

ある日、夕食後に、父親が知り合いの家に車で出かけることになり、無理やり付いていった時のことです。当時は車は未だ珍しく、乗るのが嬉しく誇らしく思っていた頃です。

後年、母親から教えられたのですが、父親が出かけた目的は、友人と共同でやっていた、自動車修理工場の資金繰りの為だったそうです。
 
知り合いの家は、今は高島平団地になっている少し先の、赤塚の山の中で、当時はドングリ山と呼んでいた所です。子供の足で家から1時間ほどの距離です。

私は、暗い車内で一人ラジオを聞いて父親を待っていました。そのとき流れていたのが、居酒屋で、店の小僧と客とのやり取りを、面白おかしく演じた話しでした。

世の中に、こんな面白い物が有るんだと、興奮したのを今でもはっきりと憶えています。周りは山で、車や人も通らない真っ暗な車内、話しの情景が目に浮かび、落語を聴くにはいい条件でした。

それが三代目三遊亭金馬の十八番「居酒屋」と言う事が判ったのは、かなり後の事です。父親の修理工場はそれから間もなくして倒産しまた。


その後は、ラジオで落語を聞くようになり、一度だけ「学級会?」か何かで、話しの「まくら」の部分をやった事が「しょっぱい記憶」として残っています。

その後は、テレビ放送が始まり、「赤胴鈴之助、矢車剣之助、少年ジェット」を見るようになり、落語とはは暫く遠ざかりました。

「赤胴鈴之助」



「矢車剣之助」


「少年ジェット」

その後、20代になり落語に出会ったのは「笑点」でした。
最初の司会者が「立川談志」、「前田武彦」、「南伸介」と続き、「三遊亭円楽」に変わった頃から、少しずつ「笑点」は見なくなりました。円楽になってから明らかにつまらなくなりました。

しかし、その頃から、落語の「レコード」・「テープ」を買って聴くようになりました。レコードは金馬師匠の一枚だけで、残りはカセットです。

このテープも30代の後半頃から聴かなくなってしまいました。
そして、最近になって「笑点」をまた見るようになったのです。懐かしさと、昔の面白さが復活した気がするのです。

そうです。司会の「円楽」が居なくなったからです。
円楽が嫌いなのです。

86年に「円生」の直弟子の「円丈師匠」が出した、円生一門の内幕本「御乱心」を読んでから、私の「円楽嫌い」は確固たる「正しき」「確信」となりました。

それと、新メンバーの「春風亭昇太」は3年ほど前から、好きな落語家の一人でした。

「笑点」を楽しみにしています。 「昇太」ガンバレ! 


いまいち風邪が抜けない  早く寝ます 





 
コメント (1)
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