歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

真面目な人が「戦争」を支持する?

2006年12月06日 | 世間話し
真面目というか、生真面目というか、何事にも真剣に取り組み、人生の目的とか、生きる価値とか、考え過ぎる人って怖いですね。

一度走り出すと止まらなくなり、自分だけが正しいと思い込み、意見の異なる人に対しては、その存在すら許す事が出来なくなってしまったりします。

争いを起し先頭に立つのは、これらの「純粋」な人達です。

これまでは国家間の争いが戦争であったが、現在の世界は「テロ」が人類最大の敵であり「民主主義国家」はすべて「テロ」との戦争に参加しなければ、「テロ」と同じく「敵」と見なす。と拳を振り上げた「ブッシュ」さん。

「ブッシュさん」のバックで選挙応援しているのが、キリスト教の「原理主義者」達です。戦争の理由は別な所にあったとしても、ブッシュさんの叫んだ「テロとの闘い」に共感し支援したのは彼らです。 彼らは「真面目」で「真剣」で「純粋」なんです。

何が「テロ」で、何が「レジスタンス」なのか?
911は「テロ」で、「アルカイダ」が犯人?
「アルカイダ」を支援しているのが、「アフガン」と「イラクのフセイン」?

世界の敵、平和の敵は「戦争で叩き潰す」「平和の為の戦争」、「正義は我にあり」

「そうだ! もっともだ!」と云って、我が「コイズミ」君も、一緒になってくっついて行きました。

そして、今、「アフガン」も「イラク」も「内戦状態」です。
反米闘争の先頭に立ち、武器を持って闘っているのは「イスラム原理主義」の人達です。

原理主義は、「真面目」で「純粋」で「真剣」です。それが、厄介なのです。困るのです。「拗れて」、「捻れて」、憎しみを増幅してしまうのです。

ホントにどうにかなりませんかね? 神様、仏様。
ねぇ。ホントにどうしたらいいの。宗教が出来て何千年も経つというのに、人類の争いはより残酷になるばかりですよ。

宗教家は考えないのですかねェ、何千年経っても解決しないのは、自分達の教えは「もしかして、どこか間違っていた」と・・・・・・。ねェ、そうでしょみなさん。

宗教という範囲には、あらゆる思想も入れてです。あらゆる思想も宗教です。右も左も「ひっくるめて」です。あらゆる宗教は「真面目」です。

やはり。これは、物事「真面目」に考え、「真面目」に行動しても、解決の可能性はない「証拠」ではないですか?

昔、私の青春時代にもいたのです。真面目過ぎる人達が、少しでも異なる考え方を許せず、闘う相手を間違えて、味方同士で命の奪い合いをしていました。

昔といえば、もっと昔、第二次大戦の末期に「真面目な青年達」が「特別攻撃隊」として「自爆攻撃」に「参加」しました。美しくも悲しい出来事でした。

彼らは「純粋」で「美しい」のです。だから危険なのです。「美しい」ことは危険です。

彼らも含めて、真面目な人達は「目的」を忘れて、自分達の目的を達成する為の「行為」に「酔いしれて」しまうのです。我こそが「正義」だと「叫んで」、目的のためならどんな「残酷」な「手段」も正当化してしまうのです。

「真面目」は「美しく」、危ないのです。

本日は、「真面目」はよくないと、「真面目」に云ってしまった。
これが「真面目」のこわいところ?


「不真面目」が人類を救うのです。 

目をつり上げず。拳を振り上げず。みっともなく。好い加減に。カッコ悪く。ダラダラと、生きてみませんか!


今日は、「ちから」が入り過ぎて「危険」な領域に踏み込んでしまったようだ。

  焼酎飲んで、テレビ見て寝よッと!  





コメント (2)
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