歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

水戸に行って来ました。

2007年05月11日 | 街の風景
一昨日、水戸に行って来ました、四年ぶりだと思います。

水戸には「4回」来たと思います。最近「記憶」が「あぶなく」なってきました。最初に、一人で来た時の記憶は「ハッキリ」しているのです。

しかし、「二人」で来たのは、「梅まつり」の頃と、「秋」にも一度「来た」記憶が「うっすら」とあるのです。

「近代美術館」の前に植えられた、「イチョウ」の木の下で、「銀杏」を見つけた「記憶」があるのです。「銀杏」の記憶は「ハッキリ」しているのですが、もしかして、そこは「別の場所」だった様にも思えるのです。

まぁ。「そんなこんな」で、今回は「たぶん」四回目のような気がします。水戸が近づき、6号から右へ入って暫く走ると「右手前方」に「あの県庁舎」が見えてきます。

1999年に竣工。総工費約800億円、都道府県庁舎としては、東京都、群馬県に次いで全国第3位。高さは「116㍍」で、県内最高の高層ビル。

「スゴイ!」建物ですよ。今回初めて「間近」で見ました。前知事の「竹内藤男さん」の遺産です。



「竹内さん」は「あのゼネコン汚職」で1993年7月に収賄容疑で「東京地検特捜部」に逮捕され、保釈される94年10月まで「東京拘置所」で、一年ほど「臭い飯」を食べてきました。

建設省のお役人から、参議院議員を経て県知事になった人です。在任中、筑波研究学園都市・筑波科学万博の誘致、常磐自動車道建設など、高度成長の「終焉段階」を象徴する「知事」でした。2004年9月7日、肺がんのため死去。享年86歳でした。

それで兎に角です。県庁舎から10分程で「千波湖」に到着。平日で、10時半を少し回ったこの時間でも、「無料」駐車場の空きは、奥の方に数台分しか残っていませんでした。ホントに「ギリギリセーフ」でした。

トランクから自転車を引っぱり出して「いざ!出発!」です。天気は最高です。



以前、二人で来て「銀杏を見つけた広場?」です。うん!間違いなさそうです。
向こうに見える建物が「美術館」です。さすがに「県庁所在地」、さすがに1988年開館(昭和63年)「箱物全盛時代」の「美術館」です。敷地も「たっぷり」、建物も「立派」です。

そうです。思い出しました。二人で見学しました、もう!絶対間違いないです。



美術館前の広い通りを左に折れ「千波大橋」を渡り始めると、視界が「パット」広がります。


左手方向に千波湖、遠くの木立が「偕楽園」です。小さく「うっすら」と「好文亭」が見え・・・?ないですね。


右手方向には中心部のビルが見えます。この橋からの「眺め」が「気に入って」ます。おすすめ「ポイント」です。


駅ビルです。


駅から市街に向かう「メインストリート」です。


いよいよです。目指す先は「旧県庁舎」です。この建物が「なかなかイイ」のです。

その話しは、明日「たっぷり」と、致します。

それでは・・・・・・

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都会型の「駐在所」と「自然」

2007年05月10日 | 東京の風景
昨日の続きです。

染井霊園を後に、西日暮里を目指し歩き始めて直ぐに、「珍しい」ものを「発見」しました。

もしかして、都内23区内で「唯一」と思われる「駐在所」。巣鴨警察署「染井駐在所」です。


駐在所と云うと「田舎」です、村の「駐在さん」のイメージです。都会型駐在所には驚きました。

最近になって、我が町の「駐在所」が、交番になっていたのに気づき、ここも「都会」に近づいたのか・・・と思ったものです。

時代は「駐在所から交番へ」と思っていたら、「都会」では「交番から駐在所」へ流れが変化したようです。住宅地の「駐在所」は「なかなかイイ」と思います。


駐在所の先、裏通りに面して「立派」そうで、「高級」そうで、「高価」そうな「マンション」が現れました。完成して間もない様子です。

歩道近くの「植え込み」に「古木」と思われる2本の「ソメイヨシノ」。

場所が「染井」と云う場所だけに、「何か」謂われでもと思い、辺りに「案内板」でもないかと探したのですが、木の幹に「ソメイヨシノ」と書かれた「プレート」が下がっていただけです、「只のソメイヨシノ」でした。


通りの斜め向かいに「ビオトープ」のような「空間」がありました。 都会の中の自然です。我が家の回りは「全て」「ビオトープ」何ですけどね。



「ザリガニ」に釣りの「準備」している男の子に声を掛けました。

『僕。餌は何を使っているの?』

『ハイ。ベーコンです!』

さすがに「都会」です。餌も「洒落て」います。しかし、ベーコンを糸で「結わく」のに「手こずって」いました。

昔は「凧糸」を使って、餌は「するめの足」が定番でした。「釣り糸」で「ベーコン」には「無理」があります。



配偶者が「助っ人」して準備完了。

草の影に居た「小指」位の「ザリガニ」が、餌を挟んだのですが、水面から10㎝位のところで、餌が千切れて水中に落下。

『ダメなんだよ!餌はするめの「ゲソ」じゃなきゃ!』と、ザリガニ採りの「先輩」として、「一言」云いたかったのですが、ここは「ぐっと我慢!」です。

都会の「ザリガニ少年」は「めげず」に、又、「ベーコン」を釣り糸で「結わき」始めました。ガンバレ!ザリガニ少年!

帰り際に辺りを見回したのですが、「公」の施設ではないようです。ボランティアが運営しているようでした。都会でこれだけの「土地」を「提供」してくれる「太っ腹」な人がいるんですね。

都会型の自然は「お金」がかかります。

一緒になって「ザリガニ釣り」をしたような、「楽しく懐かしい気分」になりました。


その後、西日暮里駅までの計画は「暑さ」の為に、「駒込駅」に変更しました。

「二人で一緒」に「歩く、見る、食べる、」も、いいものです。


それでは。 
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墓地が「好き」になってしまった。

2007年05月09日 | 東京の風景
昨日の続きです。

「おはぎ」を食べ、「皮餃子」を食べ、満腹になり、帰りは「西日暮里」まで歩くことにしました。

「中仙道」を「とげ抜き地蔵」の裏手まで来たところで、「公衆トイレ」で二人そろって用を足し、先に出て待っていたところ「坊さん」の行列が通過して行きました。交代時間のようです。


『トイレきれいじゃないねェ』と云いながら配偶者が出て来ました。
中山道を渡る為に、横断歩道のある処まで戻ろうとしたら、立派な「建物」の「一階」に「高岩寺手洗所」の文字。

『ナ~ンダァ!ここですればよかったァ!』と、配偶者の一言。

立派な「両開き」の自動ドアの先には、大きな「観葉植物」の鉢が両脇に置かれ、「受付カウンター」があり、職員の男性がいるのです。

看板がなければ、誰も「トイレ」とは思わないでしょう。高岩寺の「財政力」の現れと思います。兎に角「スゴイ!」です。




中山道を渡り、高岩寺の「駐車場」の前に差し掛かったところで「これ」を発見しました。



配偶者が「足を止め」、『何アレ!変!』と小さく「呟いた」のです。「荷物室を点検しているのでしょうか? それとも休憩? 

それにしても「付近」に「履き物」が無いのです。二人で見つめていると「微かに」白い「五本指ソックス」が動きました。生きていることが判明したので、直ぐに歩き始めました。


「駐車場」の先を左に入ると、「染井霊園」の緑の木立が見えてきます。


最近は「お墓」が「好き」になってきました。「落ち着く」のです。ちょっと・・・・・・「マズイ」かもしれませんね。

この日は暑かったので「木陰」が嬉しいです。


個人のお墓です。23区内で「これだけ」の「お墓」は「すごい!」です。「数億円」の値段が付きそうです。

二人で「広い」ねェ、「大きい」ねェ、「立派」だねェ、と話しながら「お墓観察」です。途中の「自販機」でジュースを買い、休める場所を探しながらの観察です。

正面入り口近くでべンチを発見。一休み。ベンチの脇には「著名人」の「墓ガイド」が建てられていました。


『ふーん。岡倉天心・・・、高村・・光雲に、光太郎に、智恵子か・・・。へぇー、二葉亭四迷も・・・・・・』何て、ジュースを片手に暫く眺めて休憩です。

ジュースを飲み終わり、歩き始める前に「用足し」です。年をとると「近く」なります。新しい「洒落た」トイレです。外壁の「板張り」がイイです。


古い墓地は「入り口」の「佇まい」がイイです。桜も終わってしまいました。「染井吉野」発祥の地です。


さぁてと、西日暮里に向けて出発です。

それでは、また明日 

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参ったね!巣鴨「ファイト餃子」!?

2007年05月08日 | 東京の風景
昨日の続きです。

「ホワイト餃子」の「チェーン店」ですが、ナゼか「ファイト餃子」です。多分、「ホワイトシャツ」が、「ワイシャツ」と呼ばれるようになった「類」でしょう。


予想通り並んでました。我々は4組目になります。店先は陽射しが当たる為、各組は代表を残し、道の反対側の日陰で「他のメンバー」が待機しています。


6枚のフライパンが「稼働」しており、「餃子」を「揚げ」て、「蒸し」て、「焼い」ていました。創業以来「ウン十年」の「伝統」が、蓋に「こびり着いて」います。


店頭にある「テイクアウト」の「価格表」で、左の水色側が「生価格 1個26.5円」で、右のオレンジ色側が「調理済み価格 1個27円」です。

それにしても、「生」は500個までの価格が、「焼き」は250個まで価格が表示されています。スゴイ!ですね。

10分ほどでカウンターに座れました。メニューを見て考えました。

【10個よりも、15個、25個のほうが1個あたりの価格が高くなっています。5円のおつりが「面倒」なので切り上げしているのです】

10個は少ないし、15個もチョットねェ、しかし、25個は「カロリーオーバー」だし、20個がベストなのですが無いのです。仕方なく「15個」を注文。そして「生」を一杯。

多分、開店当時は「5の倍数」で注文を受けていたのですが、フライパン1枚で「25個焼き」なので、これまでの「実績」から「20個」の「残り5個」が「滞留」してしまい、「20個」はメニューから「消された」ものと「推測」します。

そんな事を考えたり、店内の様子を観察しながら「餃子」を待っていました。



壁一面の色紙は有名人の「サイン」と思っていたのですが、「40個30分」の「完食記念(無料)」の「色紙」でした。9割が裏の「大正大」の「学生」でした。


2枚だけ「芸能人」がいました。「石塚英彦」と「デビ夫人」のものです。二人は「来店記念」の色紙です。私がこの店を知ったのは、この「二人」が出た番組です。

何と「5分」で餃子が出てきました。壁を見ていた「スキ」にカウンターに置かれていました。

先ずは表面の「焼き色」を「じっくり」と観察。ふぅ~ん。この「焼き色」は「明らか」に、25個の10個抜きではなく、「三種混合」の「パターン」に間違いない! と思いました。


内部の撮影後、「タレナシ」で食べてみました、

『ふぅ~ん、なるほどねぇ、そう云うことですか!』

と、思ったのです。ここの餃子は「皮」の事ばかり「話題」になります。店側も「皮」を「売り」にしています。

「フランスパン?」を作る「粉?」を使っていると「云って」いるそうです。そんな粉があるのでしょうか? 

そんな事はどうでもいいのですが、「餃子」よりも、「餃子の皮」が「好きな方」には「好まれる」「皮餃子」と云った「代物」です。

兎に角です。口の中は「モソモソ」した「皮の味」だけしか「しない」のです。
餃子の「具」は「何処へ?」 そんな「ファイト餃子」でした。配偶者も同意見でした。

まぁ兎に角です。「安くて、ボリューム」はありました。「学生」向けの「餃子」でした。

ファイト餃子は「青少年」の「育成」には「貢献」しているようです。

ここまで書いて、「気が付いた」のですが、我々が食べた「15個三種混合焼き餃子」は、再加熱品だった可能性があります。普通は考えられないですけどね。

今回は、同行者から、

『「おはぎ」も「餃子」も、入り口の席だった為、待っている人の「視線」を感じ、慌ただしかった!』とのクレームがありました。

「ゴールデンウィーク」、「庶民の味」都内食べ歩きでした。


ありがとう御座いました。 


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巣鴨庚申塚の「おはぎ」は?

2007年05月07日 | 東京の風景

昨日の続きです。

「とげ抜き地蔵」のお参りを済ませ、「おはぎ」と「餃子」を目指して、都電「庚申塚停留所」方向へ「ブラブラ」と歩き出しました。

履き物屋さんです。並んでいるのは「サンダル」に「草履」です。全て、夏向きに「い草の畳表」を使用していました。

改めて、店の看板を見上げると「清水畳店」の文字。畳屋だから「畳表」のサンダル?と一瞬思ったのですが、単に「季節商品」のようです。



「観光ガイドマップ」を二組の男女が見つめていました。若い組と、中年組です。若いのに「こんな場所」に来るんですね? 私が彼らの「年代」頃には、巣鴨何て頭に有りませんでした。時代は「巣鴨」へ向いている?


庚申塚に近づくに連れ人通りは淋しくなります。


庚申塚の停留所です。電車が近づき「遮断機」が降りてきたのですが、真ん中の「お婆ちゃん」が「遮断機」の真下に立ち、電車から降りる人を見ていたのです。

私は、お婆ちゃんの腕をとり、降りてくる遮断機を指で差し『危ないですよ!』と声を掛けました。お婆ちゃんは「笑い」ながら「後ろに」にさがりました。

その後も「ずっと」降りてくる客を確認していました。サンダル履きで近所の人のようです。


これが「有名」な「ホーム」にある「おはぎ屋」さんです。この写真は去年の11月の「平日」に撮ったものです。昼近くですが「誰も」並んでいません。(今回、店の全景を撮り忘れた為、去年の写真を使用しました)


去年は一人でしたので、「食べられ」ませんでした。ひげ面の中年男が一人「おはぎ」を「注文」するのに「抵抗」があったのです。しかし、本日は「二人連れ」です「問題」ありません。

この日は、一組待ちでした。10分ほどで席に座る事ができました。一番手前、ホーム寄りの席です。次のお客が順番待ちをしています。


我々が注文したのは「季節限定」の「桜あんおはぎ 200円」と、「普通のおはぎ 180円」を「2セット」です。


店は女性従業員が4名で切り盛りしています。写真一番右の女性が、経営者?か、店長?か、責任者?のようです。もう一人は店先で「焼きそば」を作っています。

その「焼きそば」も「名物」のようです。客が「焼きそば!」と「注文」すると、「焼き方」に『こだわり一丁!』と声をかけるのです。

確かに「品書き」には「こだわり焼きそば」と書いてあります。店として「かなり」「こだわって」いるようです。


「おはぎ」は「注文」を受けてから「握って」いました。「なかなかケッコー」です。とうとう「念願」の「おはぎ」が到着しました。

しかし、「大きさ」が「イメージ」より「小ぶり」でした。テレビで観て、目の前にするまで「有余年」、私の頭のなかで「勝って」に「イメージ」が「膨らんで」しまったようです。

どうです? 美味しそうでしょ? 
そう! 庚申塚の「おはぎ」美味しいのです!


念願が叶い「満足」でした。彼女の方を見ると。ボリュームと甘さに「少し」手こずっている様子。


さぁ! 甘い「おはぎ」を「完食」して、次は「辛い」「餃子」に「挑み」ます。

それでは、明日は「ファイト餃子」です。

      よろしく。 




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とげ抜き地蔵の「御影」と「薬事法違反」

2007年05月06日 | 東京の風景
昨日の続きです。

「高岩寺」の「山門」下に、「街頭布教スタイル」をした二人の「僧侶」が立っていました。普段は「一人」です。本日は「ゴールデンウィーク体制」のようです。


高齢化社会に「とげ抜き地蔵」は、益々「繁盛」しています。


自分の悪いところを洗うと治るという「水洗い観音」は、山門の処まで、順番待ちで長蛇の列です。


これは「去年」撮ったものです。平日のため待ち時間「0」でした。「水洗い観音」なんですが、「水掛観音」のようです。

昔は、「たわし」で擦ったそうですが、摩耗が激しく、平成4年に開眼した「二代目」の「観音様」から「たわし」が禁止となり、「タオル」で擦るようになったそうです。

「たわし」と云えば、元祖「亀の子たわし」の「本社」は巣鴨付近だったような?



お参りを済ませた後、「とげ抜き地蔵」ですから、「とげ抜き」の「お札?」を「おふくろ」への「おみやげ」にと思い、「札所」に行き「とげ抜き札」を探したのですが、「それらしき札」は見あたらないのです。

のどに刺さった「とげ」がとれる「札」と「説明書き」があると「思って」いたのです。

しかし、「とげをとる」のは、もしかして「医療行為」に該当し、「医師法違反」とか、或いは「薬事法違反」等として「処罰」される為に、もしやこれは、こっそりと「闇」で売買しているのでは?・・・・・・と思いました。

私は、辺りを見回し、それらしき「売人」の姿を探したのですが、確認できませんでした。もしかして、参道の「露天商」が?とも思ったのですが・・・・・・。

「意を決して」札所の「窓口?」で、お坊さんに聞いたのです。

『あの~。喉に刺さった・・・魚の骨なんかを・・・取るお札は・・・?』

『ハイ。「おみかげ」ですね。100円で~す!』

と、明るく爽やかな回答が返ってきました。「な~んだ。そうか、そういうことなの」と思い、「三枚」購入しました。

密かに「闇」で「売買」されていると「面白かった」のですが、そん事、ある訳ないですね。

これが「おみかげ」です。


包みを開けると、お地蔵様の「お姿」が描かれた「紙片」が「5枚」入ってました。この紙片を丸めて「唾液」を含ませ「飲み下す」と「とげ」がとれるのです。


【おみかげ】
江戸時代、武士の田付又四郎が、夢枕に立った地蔵観音のお告げにより地蔵尊の姿を描いた紙を川に流すと、妻の病が回復したことが御影の始まりであるとされる。毛利家の女中が針を誤飲し、御影を飲み込んだ所、針を吐き出すことが出来たという逸話に由来する。・・・・・・ Wikipedia


さて、お参りを済ませ、「御影」も手に入れ、これからが、本日の目的、「おはぎ」と「餃子」です。

続きは明日で~す。よろしくネ!・・・ 






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「とげ抜き地蔵」と「直送ニンニク」

2007年05月05日 | 東京の風景
予定どおり「巣鴨」に行って来ました。

巣鴨と云えば「とげ抜き地蔵」、そして、今日の目的には「おはぎ」と「餃子」が追加されています。今日も「二人」です。

JR巣鴨駅を降り、改札を抜け真っ直ぐ横断歩道を渡る、最短コースではなく、右に折れ、駅前広場側に出ました。

広場の先、真正面に「福々まんじゅう」の看板が見えます。広場を半周して店に向かいました。途中で饅頭を「蒸かす」湯気の「甘い香り」が「僅かに」漂ってきます。

店先には、客が数人並んで待っています。


「福々」饅頭なんですが、私はずっと「ふかふか」饅頭と思っていました。「ずっと」は「50数年間」です。

赤羽に住む前は、板橋区の蓮根町に小学校の4年生までいました。その頃は「チンチン電車」が「中山道」走っていたのです。

チンチン電車に乗って、母や「おばちゃん」と何度か「とげ抜き地蔵」に来た想い出があります。

「お地蔵様」に来ると「必ず」買って帰ったのが「ふかふか饅頭」です。その頃は「黄粉」が「ふりかけて」あった様な?気がします。

この日は「おはぎ」を食べる「計画」のため、「ふかふか饅頭」は「見る」だけにしました。

店先を通り過ぎ、中山道を渡り、「とげ抜きコース」に戻りました。「やっぱり」人通りは「賑やか」でした。「高齢者」の「需要」に合わせた「店」が並びます。

一瞬。『何んだこれ?』だったのですが、「かりん」の「干物」でした。「せき・声・のど」に「かりん」です。「かりん」の「松岸」です。有名? 



この露天の「ニンニク売り」には「笑っちゃい」ました。
『青森直送 一山 500円』と書かれていました。見ると「一山は8個」です。

「メッチャクチャ安い」のです。そして、この「おねえさん」の「売り言葉」を聞くと「中国語」訛りで、間違いなく「中国人」です。

ニンニクも「よく見ると」、一片が「小さく」痩せ気味で、明らかに「中国産」、「スーパー」で買えば「一山100円」位です。

それで、青森「直送」なのです。青森「産」とは「表記」していなところが「味噌、醤油、味の素」なのです。「おねいさん」は「なかなか」考えています。まぁ。誰か知恵を付ける「悪人」が後ろに居るのでしょう。

高齢者の「需要」は「甘い物」に向かっています。巣鴨名物「塩大福」のお店です。大変「繁盛」しています。


うって変わって「斜め向かい」の「お煎餅さん」です。「ひっそり」としています。「地蔵尊煎餅」の「むさしや」さん、「大丈夫」ですかね?

それにしても、この看板は「超スッキリ・超シンプル」です。白地に黒で「潔く」「地蔵尊煎餅むさしや」だけです。

もしかして、これは「主人」の「煎餅作り」に対する「職人魂」が、「熱く」そして「静かに」、そして「真っ直ぐ」に表現されている?のかも知れません。


しかし、嫁いで来た「女将さん」は、毎日、向かいの「塩饅大福屋」の「繁盛ぶり」を眺めながら、何で「煎餅屋」に嫁に来たのか、「反省と後悔」の日々・・・。

又、「跡継ぎ」の「一人息子」の「嫁探し」に「苦労」の日々を送っているのでは?・・・と思い、店の中を覗いたのですが、「だーれも」居ませんでした。

年寄りの「お茶受け」には「煎餅」と考えたのですが、やはり「入れ歯」で煎餅は「敬遠」されそうです。

ここは「一発」新規に「高齢者需要」の開拓です。柔らかい「濡れ煎餅」とか、「超薄焼き」の「パリポリカリ煎餅」略して「パポカ煎」何てどうでしょうか?

「パ・ピ・プ・ペ・ポ」等の「濁り」のない「破裂音」を商品名に入れると、その「商品」はヒットすると、「昔」広告業界で「良く云われた」ものです。

客層は「昔の人」ですから、この作戦は「成功」するかも?・・・・・・しれません。


話が「横道」に逸れ過ぎてしまい、長くなってきました続きは明日にします。

それでは。 
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つくば市街「青空」と「緑」の「挙式」

2007年05月04日 | つくば市の風景
つくば市街に行って来ました。「ゴールデンウィーク」、「何か」やっていると思ったのです。

先ずは「つくば国際会議場」です。


「ガラスと金属」です。この手の「建物」に、この手の「吹き抜け」、よくある「デザイン」です。

「吹き抜け」は、外から見た「高さ感」よりも、内部に入って見上げると、「かなり」高さ感が「強調」されます。



それなりに「新しさ」の「演出」が「やり易い」素材何でしょう。確かに、入った瞬間、「開放感」はあります。でも、いつも『う~ん。そうなんだ~』と思ったりします。



1階から、最上階の4階まで、「エスカレーター」で上がりました。2階から3階へ上がる時に、上を見上げると3階から4階へ行くエレヘーターが、「空中」に「浮いて」いる様に見えるのです。


いざ4階へ向かうエレベーターに乗ると、下から見た「イメージ」と、動きながら「見下ろす」高さ感、そして「天井」に近づく「圧迫感」で、「あまり」と云うより「かなり」の「怖さ感」があります。高い所が「ダメ」なんです。


裸婦像と外の景色を見ながら、コーヒーで一服。目立たない場所に「自販機」があります。

そうなんです! 今日は「二人」なんです。彼女はここに「入った」のは始めてです。

『凄いネ!』と感心たり、見学者が我々以外に誰も居なかった為、『用も無い人が勝ってに入って大丈夫なの?』と心配したりしていました。


この階、外に出ると「こんな」芝生の「庭」があるのです。ビャガーデンに「最高」です。


一階には「レストラン」。「なかなかいい感じ」です。

(帰り、近道なのでレストランの前を通ったら「90分食べ放題1500円」の「ランチ」をやっていたのです。気が付くのが遅かったです)


最近、トイレが「気になって」います。



外は、「青い空」に「新緑」です。陽射しは夏です。


筑波大の「アカペラ」グループ。客は「数人」だけ。実は「この日」連休なので「人が出ている」と思ったのですが、意外にも、街は「平日状態」でした。


「何か」やっていると思ったのですが、何かは、この「アカペラ」だけでした。

つくば駅近くの、ショッピングビル「Qt」です。この場所は「賑わって」いました。写真は「裏側」なので、チョット「閑散」。



駅近くの公園。「フクロウ彫刻」が「イッパイ」あります。中でもこれが「気に入り」ました。タイトルは「七つの子」。


残り3羽は後ろに居ました。「フクロウ兄妹」可愛いかったですよ!


やってましたよ!「イベント」。ガーデン挙式です。おめでとう!
参列者、正装で暑そうでした。 ごくろうさま!



今日のランチは「豚の生姜焼き」です。沢山の「モヤシ」の上に「生姜焼き」です。このタイプ「始めて」です。

『まぁ。そうか、そうか』の味でした。彼女の「まぐろ丼」撮るのを忘れました。

「90分1500円食べ放題ランチ」残念でした。


空気が「澄んで」いました。ホントに「空と緑」が「きれい」でした。

明日は「巣鴨」に行く予定です。

     それでは。 

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5月3日は憲法記念日

2007年05月03日 | 世間話し
政治の話しは、日本人は「好まない」傾向があります。「日本人は」と云ったところで、「日本以外」では、「好んで」いると云う「確証」はありません。

まぁ。その程度の「話し」です。

「世間」では、改憲に護憲の「老舗」から、最近は、論憲に、創憲に、加憲に、活憲に、「追憲・廃憲」何てものもあるそうです。

憲法論議が「活発」になる「時代」は、あまり「いい時代」では「ない」と思います。

「これまでの仕組み」が「機能」しなくなり、「新しい仕組み」が「必要」になったと、「思い始め」た「人達」が出てきたからでしょう。

護憲以外の、改憲、論憲、創憲、加憲、活憲、追憲、廃憲、いろいろな「派」があります。いろいろな「言い方」をしています。

いろいろ「名称」は「改憲」という、「刺激的」な言葉を和らげる為の「言葉」いじりに見えます。これは、問題の本質を「ぼかし」、改憲論議を混乱させるだけです。

又、戦勝国による敗戦国への「押しつけ論」などの、手続論に逃げず、「改憲派」は「正々堂々」と、「9条」の改憲を主張すべきでしょう。


兎に角です。

改憲派は「護憲派」を中国の手先で「共産主義者」と呼んでいます。
護憲派は「改憲派」をアメリカの手先で「軍国主義者」と呼んでいます。

確かに、改憲派の一部には「間違いなく」、戦争好きの軍国主義者がいます。
確かに、護憲派の一部には「間違いなく」、時代遅れの共産主義者がいます。このことが、憲法論議を「ややこしく」しています。


落ち着いて、冷静に考えるべきです。急ぐ必要はありません。
憲法を読んで「じっくり」考えるべきです。私も、これから「じっくり」考えます。「答え」は未だです。


みなさん、最低限、「9条」ぐらいは読んでみましょう。

第2章 戦争の放棄 
第9条 
1.日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


どうですか? 確かに「高い理想」が述べられています。

理想に近づけるように「努力」するのか?

理想ではなく、「現実」に則して「改める」のか?

この際だから、「理想」と「現実」を並列に表記する、3項を追加したりして・・・・・・、そんな「適当」な事はダメか?

どうしましょうかね。兎に角、考えましょう。

憲法記念日でした。 


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バケツで「稲作」をはじめました!

2007年05月02日 | バケツで稲作
毎年5月の「ゴールデンウィーク」になると、私の住んでいる周辺では「田植え」が始まります。



今年は、細かいところも「気になる」のです。う~ん。かなりの「蛇行」だ、この程度のことはあまり問題ないのか・・・・・・、「なるほど、そうかそうか」。 


どの位の生育した苗を植えているんだ? 苗の間隔は? 
「なるほど、そうかそうか」。


なかなか、見事な景色だ。うん!これでいいのだ!


「なるほど、そうかそうか」と、「これでいいのだ」と、「いつもと違う」田植え観察をしてきたのです。


そうなんです! 私、とうとう『稲作を始めたので~す!』と、大きな声で叫けばして下さい。

「お米」を作るって、何か感動する仕事に思えるのです。お百姓さんは「エライ!」のです。何たって「お米」は「主食」です。

それで、その始めた「稲作」なんですが、実は、先日の「つくば科学技術週間」に出かけて行き、見学先で「お米栽培セット」を貰ってきたのです。

これがその時に貰った「作り方のパンフレット」と、「種籾」と「顆粒状の肥料」が入った「有色米のバケツ栽培セット」です。


丁寧にこの「クリヤファイル」に入れてくれました。


そして、マニュアルに従い、種籾(20粒×2・・・二人で行ったので2セット)を「水に浸し」ました。説明通りに「一週間」ほどで「芽」が出てきました。

そして、今日は「田植え」を行ったのです。それで何ですが、「本職」とは「やり方」が少しだけ異なるのです。

本職の方は、「苗床」を作り、一定程度育った「苗」を「田圃」に植えるのですが、こちらの「バケツ稲作法」では、発芽した種籾を「バケツ田圃」に植えるのです。「苗床」と「田圃」が一緒なのです。

これが我が「バケツ田圃」です。田圃は「5個」あります。「漬け物用」のバケツが3個と、種籾には「失礼」ですが「ゴミ箱」が2個です。


発芽した種籾は「水面下」、「深さ6~7㍉」の土の中に眠っています。しかし、6~7㍉と説明書にはあるのですが、「かなりビミョー」な深さです。私は「だいたい」そんな「感じ」で「植え付けた」のですが、少し不安です。



それと「説明書」に、『植え付ける間隔が「近すぎる」と生育が悪くなり、病気にかかりやすくなるので「適当」な間隔で植えよう』と書いてあるのです。

「近すぎる」とか、「適当」とか、「感覚的」に表現されているのです。ここら辺が、「ちょっと疑問」で「かなり不安」です。

それに、「どの位の期間」で、土の中から芽を出すのか書いてないのです。環境の違いが「影響」するので、「適当」には書けなかったのでしょうが、目安ぐらいは「適当」でいいから、書いてほしかったです。

まぁ。兎に角、「稲作」が開始されました。時々、この場で、生育状況をお伝えしていきます。ご期待下さい。

う~ん。これから暫く「空」を見上げ、「バケツ」を覗き込む日々が続きそうです。

さぁ~! 早く! 地上に芽を出せ! 


 
コメント
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