かっこうのつれづれ

麗夢同盟橿原支部の日記。日々の雑事や思いを並べる極私的テキスト

宗教は民衆の阿片と言うけれど

2005-04-07 23:20:23 | Weblog
オウム真理教の事件、今日ようやくそのうちの一人に、死刑が確定しましたね。
事件発生からはや16年。被告が一貫して起訴事実を認めているのに、こんなにも時間がかかってしまう今の司法制度。
全くもって目眩をともなう不信感が抑えきれない一方で、ともかくも一応のケリが付いたことにわずかな安堵の溜息が漏れます。
でも、まだ首魁を含めて12人も判決を待つのがいるんですね。しかもそのうち5人はまだ高裁止まり。死刑判決が出ても上告すればまた長引くわけで、一体何時になったら終わるのか。
そんなまどろっこしいことをしているうちに、またカルト宗教家が馬鹿なことをしでかして世間を騒がせる、と。私は共産主義の幻想には組みしませんが、宗教は民衆の阿片だと宣ったカール・マルクスの言葉だけは、肯える気がします。
私自身は素朴な多神教が息づく日本の風土にあった、要するに節操のない宗教的に無教養なやつなため、こういう端から見たらどう見てもまともとは見えない自称宗教にすがる人々の心情がどうにも理解しがたいのですが、私などには想像も付かない心身の傷を負って助けを求めていたのかも知れません。そんな人に、所詮宗教も神様も、人間の脳が生み出した幻想に過ぎない、と言ってみたところで何の足しになるわけでもなく、もし身近にそんなふうに騙されている人がいたとしたら、正直なんと声をかけてよいか、言葉を見つけられそうにありません。鰯の頭も信心から、とも言いますけど、もう少し何とかならないものか、ともどかしさが募るばかり。
そんな狂える教祖共を犯罪者として処罰するのは簡単ですけど、それにすら縋ってしまう人々の心の闇は、そう簡単には払えそうにないですよね。ほんと、どうしたらいいんでしょう。まさにこれこそ末法の世と言うことなんでしょうか?
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする