かっこうのつれづれ

麗夢同盟橿原支部の日記。日々の雑事や思いを並べる極私的テキスト

日本人のDNAには「事故調査」など無理なのではないか、と考えさせられました。

2006-11-29 23:05:08 | Weblog
 今日は久しぶりに本の紹介をしてみようかと思います。
 先日京都に行った際、時間調整に立ち寄った本屋さんで見かけた本で、久しぶりに寝るのも惜しんで本を読む醍醐味、を味わいました。
「隠された証言 日航123便墜落事故」藤田日出男(新潮文庫)です。
 私は車にしても銃にしても飛行機にしても、あまりメカニックなことには関心がないというか、疎い方なのですが、事故とかヒューマンエラーというようなことに関しては関心があり、その手の本を好んで読む傾向があります。たとえば柳田邦男の「マッハの恐怖」などは代表的な「その手の」本になりますが、ヒトの判断ミスというようなことに興味がより偏っているので、たとえば「失敗の本質 日本軍の組織論的研究」なんていうような本も同一傾向の趣味として見ております。
 それはともかく、なぜこの本が気になったかといいますと、日航123便事故、とあったからです。後部圧力隔壁の修理ミスが原因で空中でジャンボジェットが操縦不能になり、御巣鷹山に墜落、520名が亡くなる、という航空史上最凶の事故のことで、ふと見た拍子に、その事故からもう20年になる、ということを改めて認識したからでした。今頃まだその種の本が、文庫とはいえ新刊として出版されているのか、と一種の感慨を持って手にしたのでした。とはいえ、事故当時の私はというと、それなりに興味は持ちながら、「たった520人死んだだけで連日連夜の大騒ぎ、交通事故では毎年1万人死んでいるのに」とマスコミの時におろかしい報道合戦ぶりを斜に構えて見ていただけで、事故調査委員会の「圧力隔壁破壊説」を頭から盲信していたのでした。ところがこの本はその公式見解に重大な疑惑がある、というのです。当時はあまり持ち得なかった興味が、俄然湧き上がるのを覚えた私は、そのままその本をレジまで持って行っておりました。
 一通り読んでの感想は、暗澹たる絶望というところでした。
「マッハの恐怖」等を読むと、昔の日本の事故調査委員会というのは本当にいい加減というか、事故調査の体をなしていないことに驚かされます。しかしその問題点はその後もまったく解決されることなく、この123便事故においても、科学的調査からは程遠い、「まずシナリオありき」の八百長がまかり通っていることを知らされるのです。また、当時の報道を見ても思っていたことですが、事故の真相を解明することよりも犯人探しを重視する、愚昧きわまるマスコミやわが国の制度、風潮にも絶望させられます。それにしても、本当に国土交通省はいったい何をしているのでしょう? いくらお役人が文系ばかりで国土交通省に就職したからといって交通機関の専門家ではないといっても、少々ひどすぎるのではないでしょうか?
 私自身は飛行機などほとんど乗らないのですが、飛行機ばかりでなく、公共交通機関全般に、事故や故障が増えてきているような気がします。折から、「失敗学」というような学問分野も注目を集めてきている今こそ、単なる犯人探しからは卒業した真の事故原因追求と安全向上対策に努める視点を持たねばならないと切に感じました。

コメント (2)
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